12-10

 「寝不足と、貧血」

 一志は目の前に立つ杉本を見ず、どこか余所よそを向いて言った。まるで独り言のようだったので、あえて返事をしなかった。

 「そうなんだよな」

 ベッドの端に浅く腰かけて脚を組んだ彼が、杉本を見上げた。白い顔をしていた。

 「あ、うん。鉄分とって、ちょっと様子みようね」

 話しかけられて多少まごつきながら杉本は答えた。

 一概には言えないが、女性と違って男性の貧血には重篤な原因が潜んでいることも多い。気をつけて様子をみてゆこう、と思う。

 一志はぼんやりと視線を彷徨わせていたが、やがて顔を上げた。杉本と目を合わせる。

 「紙、持ってない?」

 「ん? メモ用紙でいいかな」

 芯の丸まった鉛筆と一緒に、小さなメモ帳を手渡した。一志は用紙に鉛筆を走らせた。

 「……あ、間違えた」

 紙をぴりっと破り、裏返して書き直す。

 杉本はしばらく黙って待った。

 記入が済んだメモを手渡されて見てみると、簡単な地図のようだった。

 「塚野原。知ってる?」

 つかのはら。聞きおぼえがある。

 「弥絵ちゃんが言ってたな、そういえば」

 「墓。たぶん、俺が死んだら、そこに弥絵が骨持ってくからさ」

 「死んだらって、そんな」

 「もしもの話だ。いいから聞いておけって」

 「はあ」

 「あいつひとりだからさ。連れ戻してやんないと危ないし」

 淡々と一志は続けるが、飛躍する話についてゆけない。

 「……えーと……なに言ってるかよく判らないよ? ごめん。僕でも理解できるように話してくれないかな……」

 「……」

 「……」

 ふたりはお互いに困った顔を見合わせた。

 「……平たく言うと」

 一志は後ろ頭を掻いた。

 「あいつの面倒、見てやってくんないかな」

 「え?」

 「俺になにかあったら。かわりに連れ出してやってくんないか、この村から。べつに、一生面倒見てほしいって言ってるんじゃないんだ。金ならちょっとだけあるから、もしものときはそれ使って。土地なんかは手放してもたいした額にはなんないと思うけど……。学校にでも入れて、ひとりで生きてけるように、助けてやってほしいんだ」

 無口な彼がこんなに長く喋るのを、杉本ははじめて聞いた。

 それにしても意外な申し出だった。内容を単純に受け止めきれず考えこんでいると、一志が小さな声で続けた。

 「あんたにこんなこと頼むのお門違いだよな。ごめん。芝じいがいればよかったんだけど」

 「えっ。いいんだよ」

 一志が、杉本を頼ってくれたのだ。

 内心、とても嬉しく感じていた。

 杉本はそんな自分に少し戸惑った。面倒を避け、なるべく他人と関わらぬよう生きてきたのに、どうして嬉しいなんて思うのだろう。

 同時に不安な気持ちも生じていた。生活能力の低い自分に、ひとりの少女の面倒を見るなどという大役が勤まるのだろうか。

 それ以前に、与えられた仮定からして妙だ。彼はそれに気づくと苦笑した。

 「あのさ。きみがそんなに早く死ぬことなんて、ないから」

 心配しなくていいよ、と続けようとしたが、一志が遮った。

 「ペインのこと調べてるんだろ」

 平然とそう言われ、ぎくりとした。やはり知られていたのか。

 芝医師には「厄介事に巻き込まれないよう、調査についての他言は無用だ」と助言されていたのに。嘘がつくづく下手な自分にため息が出る。

 「あれに毒性があること知ってるだろ」

 「……うん」

 ここまで承知なら、隠しても仕方がない。

 「いつ死ぬか判んないよ。俺も」

 一志は暗い笑みを浮かべていた。杉本は少なからず動揺した。

 「人間、誰だってそうだろ。寿命なんか判らないって」

 一般論にすりかえると、一志は目を伏せた。

 「……まあ別に本気で言ってるわけじゃないっていうか、保険。ごめん。忘れてくれてもいいよ。俺が死ぬより、あんたが街に帰るほうが先だとは思ってるんだ。実際」

 「うーむ……」

 杉本自身も、その可能性は高いと思った。解析が終了するか芝医師が帰還するまでの逗留なのだから、安易に約束をしてはまずいのかもしれない。

 「うん、でも、判った。弥絵ちゃんのことは約束するよ」

 兄妹との距離が少し縮んだように思えて、ひっそりと心が浮き立つ。

 「頼ってもらえるのは、嬉しいんだ。ありがとう」

 「礼を言うのは、俺のほうなんだけど」

 一志は赤くなってぷいっと横をむいた。仕種が弥絵とそっくりだった。

 たいそう可愛らしく感じてしまい、杉本は思わず声を出して笑った。

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