魔獣騒乱9
人命救助が目的なので、いつもより低空を飛んでるエリエルちゃんは、実の所それどころではない。
先ほどのノエルさんの申し出が嬉しくて、一度は辞めると決めた魔法少女だけれど、続けてみても良いかな?
というか今の状況…あんまり後先の事考えず、人命救助に奔走しようとしちゃってる自分を顧みれば、そもそも魔法少女を辞めるという事自体無理なんじゃないかな?
今はたまたま魔法少女の衣装を身に纏っているけれど、これが無かったとしてもおそらくユーリカ・マディンとして空を飛んでるんじゃないかな?
等と考えを巡らせるのですけれど、そもそも、溢れ出す正義感を抑える事ができるなら魔法少女なんかやってない。
どうせ無理なら、エルダーヴァイン家の後ろ盾を得て魔法少女を続けてしまう、というのも確かに一つの選択肢ではある。
一つの選択肢ではあるけれども、それを選択すれば、自分を心配してくれる人達に申し訳が立たたなくなってしまう、とも思ってしまうのが心優しいエリエルちゃんですから、板挟みになってしまいます。
ノエルさんの申し出には、『そんな事は気にせずに自分のやりたいようにやりなさい』、というメッセージも含まれてるのは分かるのだけれど、そうは言われても優柔不断にもなるというものですよ。しょうがないじゃないですか?
しかしそれはそれとしてノエルさんは、何故こうもエリエル=ユーリカに良くしてくれるのだろうか?
メリルさんやシニャック老なら、過去にユーリカとの接点があったのだから分かるのだけれど、ノエルさんはどうなのだろう?そんな話は聞いてない。
ソフィア・パナスとしてならば、ノエルさんは叔母に当たる訳ですからら良くされるのも分かる気はするのだけれども、よもやユーリカ=ソフィアであるという事が…あれ?まさかバレてるの?
という所まで考えたエリエルちゃんは、先日ちょっと疑問に思ったけれども、その後のゴタゴタで考えるのを止め、それっきりになっていた事が有った事を思い出す。
何故父シルドラ・パナスは魔法少女の正体がユーリカと入れ替わったソフィアである事に気付いたのだろう?
いや、そもそもこれクルーア君の依頼主がシルドラ王であると仮定した場合の話。
それは確定した話ではないのだけれど、もうエリエルにはそれ以外の可能性を考える事ができない。
シルドラ王がエリエルの正体を特定した事に明確な理由があるのなら、ノエルさんにも自分の正体がバレバレであっても不思議ではないのだけれど、だとすればその理由とは何のか?…
エリエル最大の特徴と言えば、他の誰にも真似する事の出来ない飛行魔法にある訳だけれど、自分が空を飛べるという事は誰にも話した事は無く、誰も知らない事のはず…なのだけれども
「あれ?…私、いつから空を飛べるようになったんだろう?」
別の疑問が降って湧く。
物心ついた時には飛ぶ事ができてたような気がするのだけれど、記憶はかなり曖昧で、この事は誰にも話してはいけない事だと思い込んでいたのだけれど、何故そう思い込んでたのかが分からない。
これもまた、エリエルの記憶のぽっかりと穴が開いてしまった期間に関係があるのかもしれないけれど良く分からない。
良く分からないけれど、関係があるのならソフィア・パナスが空を飛べる事を知っている人物がいる可能性が出てくる。
それなら父シルドラやノエルさんが知っている可能性も出てくる訳で、だとするとメリルさんやシニャックさんも知ってないとおかしいような気もしますし、フェリア先生やクルーアさんも…
「訳が分からなくなってきた…」
実際バレバレな訳ですけれど、そうは思いたくないのが心情というもので、それを考えるのは後回しにする事にする。
何より今は余計な事を考える時ではない。
「ママー!」
泣き叫ぶ幼い子供の声が届き、エリエルは両の手で自分の頬をパンと叩いて気合を入れ直し、声の聞こえる方へと飛んで行く。
貧民街から大通りを一つ挟むと、そこはまるで別の街。
大通りによって分断され、人の流入を拒絶してるかのようで、実際大通りを渡って貧民街に行く者も、貧民街からこちら側に来る者も、一部を除いて滅多にいるものではないのだけれど、現状そんな事は言ってられない。
貧民街から大通りを渡った先。商業区にある大きめの公園。
魔獣の現在地から約1.5㎞の距離にあるその場所が、軍と守護隊の臨時対策本部兼貧民街住民の一時避難所となった。
ここまで魔獣出現から約30分と、なかなかの手際なのは非常警戒態勢の成せる業だけれども、上の方ではこれを災害扱いにするのか、有事扱いにするのかで揉めてるとか、いないとか…事件は現場で起きてるのにね?
首尾よく近くの守護隊と合流できたリック・パーソンくん。
避難誘導が一段落して、今は野次馬対応に駆り出されてる。
一時避難所は予想以上に怪我人が多いのにも拘らず、医療班が遅れてる事が気が気でならないのと、それすらも面白がってるかのような野次馬連中に苛立ちを隠す事ができない。
目の前の野次馬市民が邪魔だとばかりにパーソンくんを押しのけ、規制線の中へ入ろうとするものだから
「いい加減にしろ!」
思わず声を荒げてしまい
「ああ!なんだテメエ!」
野次馬市民と一触即発になる。
個人的にはそんな奴ぶん殴っちゃえよって思いますけど、守護隊隊員が市民に手を上げたなんて事になったらそれは懲戒処分もの。
「やめろリック!」
現場に到着したばかりのワルドナさんが止めに入って、パーソンくんの頭を無理やり押さえて野次馬市民に下げさせた上で
「どうもすみません、ここから先は一般市民の立ち入りは禁止となりましたので、お下がりいただけますようお願いします」
ゴッツイ身体と厳つい表情でそう言われれば、本人にそういうつもりは無くても相手は威圧されてしまう。いや、これ本人そういうつもりでやってるな…
という訳で野次馬市民
「チッ…」
舌打ちする事で精一杯の抵抗をして見せるけれど、渋々後ろに下がるしかありません。
これパーソンくんからしますと、自分には噛みついてきたくせにワルドナさんに対しては引き下がるっていうのは、要するに自分が舐められてたって事ですから、面白くないのが顔に出るのを止められない。
「何苛ついてるんだよ?」
ワルドナさんに言われてしまい
「別に…何でもないですよ」
不貞腐れてしまうけれども
「医療班到着しました!」
待っていた報告が入って避難民に安堵が広がるのを受け、露骨にホッとしてしまったからワルドナさんに笑われてしまう。
今度はそれが面白くなくてまた不貞腐れてしまうけれども、それがまた面白くてさらに大笑いをしてしまうワルドナさん…いやイチャついてないで仕事しなさいよ…ですけれど、到着した医療班に混ざって、それとは明らかに別のグループがいる事に目敏く気が付いた。
白を基調とした出で立ちの集団は、それだけなら医療班と見間違いそうではあるけれど、先頭を歩く女性のその腰には、秀麗な装飾が施された鞘に収めらた細身の剣がぶら下がっており、その剣こそが何より彼女の身分を表してる。
「驚いたな…近衛騎士様の登場か」
先頭を歩くのが近衛騎士様なら、その後ろを付いて歩くこれまた秀麗な刺繍を施されたローブを身に纏う三人組は近衛隊のシバースという事になるのだろう。
そのまま4人は軍人に案内されてこの周辺で最も高い建物の中へと入っていった。
選ばれし者による少数精鋭の近衛隊の中でも、近衛騎士と呼ばれるにはパラノーマルであることが必要条件とされてるために、更に希少な存在であり、現在は二人しかいない。
それが女性であるという事は
「あれがスカーレット・イヅチ様ですか?」
有名人である事もあって簡単に個人を特定できる訳です。
それにしても、そもそも近衛隊というのは君主直属の兵隊の事ですから
「…しかし、何でここに近衛が来てるんだ?」
斯様な現場には不釣り合いであるからして、当然ワルドナさんは疑問に思う。
しかし現場に不釣り合いとは言っても、そもそもワルドナさんをはじめとして、後から合流してきた守護隊の皆様方は状況を何も聞かされていない。
その異常性から只事ではない事態が起きてるのは分かってはいたけれど、近衛隊まで出張ってくるとなるとそれは予想の斜め上。
「なあリック?お前は今何が起こってるのか聞いてるのか?」
先に現場に来ていたパーソンくんなら何か知ってるかと尋ねてみますけれど
「え?知らないでここに来たんですか?」
そっちの方が意外な事であり
「ああ、具体的な話は何も無くて、
とにかくここに行けって言われて来たんだ」
何とも奇妙な話ではあるけれど、ワルドナさんがそういうのなら事実なのだろう…
さて、パーソンくん。何が起こってるのか聞いてるも何も、ほんの少し前まで今起こってる事態の中心にいたのですから、他の誰よりも詳しく知っている訳です。
詳しく知ってますけど、こう…言えない事というか…言っちゃいけない事というか…どこからどこまで話して良いのか判断に迷い
「あの、魔獣が出たんです…」
9割方端折って、結論だけを言う結果となりました。
だけれども
「はあ?魔獣だ?何言ってるんだお前?頭大丈夫か?」
架空の生き物ではないけれど、過去の生き物であるのが魔獣であって、現代にいる訳がないというのが一般常識。
魔獣が出たなんて話は、与太でなければ頭がおかしくなったと思われるような事。
なるほど。
ワルドナさん達が何も聞かされずにここに来た理由というのに察しがつくパーソンくんなのでした。
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