魔獣騒乱8
その気になれば時速200㎞くらいは出せる空飛ぶエリエルちゃんが、聖グリュフィス聖堂まで帰り着くのに時間はかからず、往復並びに向こうでのゴタゴタ合わせて10分程度。
雑談に時間を割いてた割には、しっかり怪我人を受け入れる準備は整えている大人達。
マリーを抱えて帰ってきたエリエルちゃんを、待っていたノエルさんが聖堂内の一室へと誘導するのです。
「ほ…本当にマリーだ…マリーだよ!離して、ノエルさん離して!」
「ダ~メ!怪我人だよ!」
再会の感動で感極まり、泣いて叫んで眠るマリーに抱き付こうとするメリルさんは、ノエルさんが羽交い絞めにして押さえつけ
「適切な応急処置ができてるね。リカちゃん良くやった」
フェリア先生がマリーの背中の傷を見て、回復魔法を施し
「呪いの類では無さそうですが…無理に起こすよりは自然に起きるのを待った方がリスクは少ないでしょう」
ダリオさんが眠っている原因を探る。
というエルダーヴァイン一家の見事な連係プレーを見せられたから、先程までの緊張感がどこかへ飛んで行ってホッとしてしまうエリエルちゃん。
加えて
「ね?傷残らない?」
「自然にっていつ?いつ起きるの?」
等々、心配のあまり落ち着きなく、余計な事を聞いて皆に迷惑をかけてるメリルさんを見ちゃったら、心配されてるマリーという少女を羨まく思いながらもホッコリせずにはいられない。
しかし、事態は収束するどころか悪化の一途をたどってるのでして、ホッコリばかりもしてられない。
魔獣が現れたという情報は、まだここ聖グリュフィス聖堂には届いてないけれども、その咆哮はここまでだって聞こえてきますから、先程までとはまた騒ぎの質が全く違う物になってる事は当然一同気付いてる。
「何がありました?」
代表して聞くシニャック老の真剣な表情を見て、エリエルちゃんは気を引き締めます。
「あの…魔獣が…出ました」
それは突拍子もない事で、聞けば先ず自分の耳を疑い、次いで言った相手の正気を疑うレベルの話。
けれども、エリエルちゃんがこの状況で冗談を言うとも思えないし、何よりその表情は真剣そのものですから、一同はその話を事実として受け入れるしかない。
であるならば
「アナトミクス派の仕業なの?」
奴らなら然もありなん、という事ではあるけど
「超えちゃいけない一線はとっくに超えた連中だったが…いや流石にそこまでの事をやるのか?…」
それでも俄には信じられないというのが本音。
それほどまでに魔獣化というのは、魔法を扱う者にとって最大級の禁忌なのです。
しかし、禁忌だとは言っても過去にその一線を超えようとした人間が一人もいないのか、と言ったらそんな事は無く
「そういえば、違法デモで捕まったうちの生徒が、隠れて魔獣化魔法の研究を行ってた事が分かって、国外追放になったのがいたな…」
エリエルちゃんが魔獣という言葉から一人の人物を思い浮かべたように、フェリア先生もまたその言葉から一人の人物を思い浮かべ、誰に言うともなく呟く。
それは当然と言っては何だけどエリエルちゃんが思い浮かべたのと同じ人物。
リチャード・ヘスコー。
当時15歳だった少年の起こした事件はその重大性から公にはされておらず、その事実は捜査に当たった者達と学校関係者だけが知る所であり
「あー、あの事件ってそういう事だったんだ?違法デモくらいで国外追放って大袈裟だなって思ってたわ」
メリルさんのこれが一般的な認識で、これはフェリア先生のうっかり失言ではあるのだけれど
「違います!ヘスコー先輩がアナトミクス派なんかに関わってる訳がない!悪い事をするために魔獣化魔法を使ったりする訳がありません!」
それを聞いたエリエルちゃんがいきなり大きな声を出すものだから、一同ビックリ困惑してしまう。
そもそも魔獣化魔法を使うこと自体が悪い事なんじゃないかなぁ?と思うのですけど…それはまあ置いといて…
フェリア先生からしてみれば、何も「リチャード・ヘスコーがこの件に関わってる」と断言して言った訳ではない。
「いや、そういうつもりで言った訳じゃ…」
ない…そう言いかけてフェリアは黙ってしまう…
本当にそうだろうか?
何度も言うように魔獣化魔法はシバースにとって最大の禁忌。
禁忌とされてから、どれだけの魔法使いがその一線を超えようとしたのか…あるいは誰一人超えようとさえしなかったのか…分からないけれど、少なくともパナス王国建国からリチャード・ヘスコーの事件までの500年間、王国内ではそういった記録は存在しない。
超えてはいけない一線をあっさりと超えていく人間というのが何人もいるとも思えなく、フェリア先生が件の魔獣とリチャード・ヘスコーを結びつけて考えてしまった事は、フェリア先生自身にも否定できない事ではあるけれども、何にしたってこれは迂闊。
エリエル=ユーリカ・マディンがリチャード・ヘスコーと関わりを持っていた…それも割と深くという事をフェリア先生は知っていたのに…
もっと言葉を選ぶべきだったとフェリアが内心で反省してる時、エリエルは、つい大きな声を出してしまった自分に驚き、何故そんな事をしてしまったのかと、自分の言動を顧みる。
それは自分もまたリチャード・ヘスコーの関与を疑ってるからに他ならならない。
それゆえ「あの魔獣を、誰が、何の目的で」という事を、無自覚にではあるけれども考えないようにしていた事に気付いてしまったから、思いつめたように俯いてしまう。
「は~い、そこまで~。二人とも暗くならないの~」
そんな嫌な空気なってしまった所へ割って入るノエルさんは、自分より頭二つ分くらい背の高い愛娘の頭を、背伸びするようにして優しくポンポン叩き
「失敗は誰でもあるからね~。後で~ちゃんと謝りなよ~?」
小声で母親らしくアドバイスをしてから、その手を今度はそのお尻に持っていってギュッとするから
「な、ママ!何するの!」
はい、ついにフェリア先生『ママ』って言っちゃいました。
個人的には恥ずかしがる事ないのにね?って思います。
そんな愛娘を満面の笑みで見つめてから、今度は俯くエリエルちゃんを下から覗き込むようにして
「で、ユーリカちゃんはこれからどうするの?」
質問をする。
ヘスコー先輩の事を考えてたエリエルちゃんは、咄嗟には質問の意図が理解できずに
「どうするって…何を?」
軽く混乱するけれども、すぐにその質問の意図に気付いて、首を振って気持ちを入れ替える。
今、重要なのはあの魔獣をどうするかだ。
どうするかって言っても、直接対峙したエリエルちゃんには、自分が戦ってどうにかできるとも思えない。
どうにかできるとも思えないけれど、だからと言って自分にできる事が何もないという訳ではない。
「あの…今、魔獣が街を壊して歩いてて…逃げ遅れてる人がいるかもしれないから…私行きます」
人命救助を買って出る。
何よりそれこそが魔法少女の一番の仕事。
「よし、良く言った~!そんなユーリカちゃんには、これをあげよう!」
その言葉を待っていたとばかりのノエルさん。
ポケットから怪しげな液体の入った怪しげな小瓶を二つほど取り出し、エリエルちゃんに渡すけれど、見た目が非常に怪しげな小瓶なものですから
「な、何ですかこれ?」
恐る恐る聞くエリエルちゃん。
「エルダーヴァイン社特製魔力補給ドリンク~!」
どこかで聞いた事のあるイントネーションで答えるノエルさん…や、やめてください…
えーと…という訳で小瓶の中身は、例によってどういう原理かさっぱりわからないけど、とにかく飲めば魔力が大幅に回復するドリンク剤。
マリーが使ったカプセルの強力版みたいなもので、うん…身体には悪そう…
とはいえ、先日魔力を使い果たして気を失ったなんて事もあったり、普段から自身の魔力不足を感じていたエリエルちゃんにはありがたい代物であります。
「ありがとうございます…」
素直に感謝の言葉を表し、ここまでも割と魔力を消耗してるという事で、その場で一本グイッと飲み干す。
味の方は、エリエルちゃんの渋い表情でもってお察しください…
で、もう一本をポケットに入れ
「じゃあ、行ってきます!」
意を決して出動しようとしますけれど、ノエルさんにはまだ言いたい事があるらしく
「ちょっと待って~」
エリエルちゃんを引き止め
「いい?ユーリカちゃんが魔法少女をどうしても辞めるっていうならそれは尊重するけど、もしこれからも続けるなら、エルダーヴァインは全力でそれを応援します!」
宣言します。
宣言しますけれど、これは現エルダーヴァイン家当主であり、エルダーヴァイン社最高経営責任者であるはずのダリオさんにとっては寝耳に水な事。
「な…ノエル、また勝手な事を…」
当然異議を唱えようとしますけれど
「ダリオは黙ってて」
「は…はい…」
という事で…ダリオさんが名ばかりCEOであるという事は…うん、なんとなく分かってた…
で、言われたエリエルちゃんからしてみると、それは嬉しい申し出ではあるのだけれど、本人辞めると決心してた事であるからして、なんて返答すれば良いのか分からずに難しい顔になってしまう。
でもそれね?分からないって事は迷ってるって事で、迷ってるって事はちょっと続けても良いかな?って思っちゃってるって事なんですよ。
そういうエリエルちゃんの心境というのを、察する事ができないような大人達ではありませんから
「あまり難しく考える事は無いですよ?」
シニャック老が優しく切り出し
「ユーリカちゃんがどんな選択をしても~、私達はユーリカちゃんの味方って事だかね~?」
ノエルさんがその言葉の真意を語り、それを聞いたエリエルちゃんの表情は難しい物から晴れやかな物へと変化するのだけれど
「もっとも、それはお前が余程道を踏み外さない限り、という前提があっての事だからな?」
一応釘を刺しておかないと、と思うのがフェリア先生の性分でありまして
「もうフェリアちゃん!」
ノエルさんに怒られるから、その場に優しい笑いが生まれる。
その優しい笑いが収まった所で、メリルさんがその部屋の窓を全開にして
「何度も言うけれど、無理だけは絶対にしない!いざとなったらうちのバカ息子が…」
言いかけた所で、エリエルちゃんの中で不意に何かが繋がる。
「あの…もしかしてメリルさんの息子さんって、クルーアさんの事ですか?」
「え?そうよ?言ってなかったっけ?」
ようやくメリルさんのバカ息子の正体が分かって、そしてその二人が親子であるって事が、妙に嬉しくて笑いを堪えられなくなる。
…うん、根拠はないけど、確かにあの人なら何とかしてしまいそうだ…
それなら自分は安心して人命救助の方に集中できるという訳で、笑いたいのを必死に抑え、気持ちを引き締め直し
「それじゃあ、行ってきます!」
言って窓に近づいて、いつでも飛び立てる体勢を作り、メリルさんの
「行ってらっしゃい!」
を待ってから、飛び立って行った。
エリエルちゃんが飛び立った後の部屋。その姿が見えなくなった所で
「すでに道を踏み外してるんじゃないかと思うのですけどね…」
言うダリオさんの言葉は、彼女の行為が違法である事を考えれば正論ではある。あるのですけど
「ダリオ、黙りなさい…」
とにかくその場の女性陣には不評であり、冷たい視線を浴びせられ、肩身の狭い思いをしてるのをシニャック老は憐みの表情で見てる…
そんな一連の会話の流れの中で、いつ目覚めるとも分からないマリー・クララヴェルの表情が、不思議と柔かい物に変化していった事に、その場にいた誰もが気付く事はありませんでした。
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