そこに至るまでの経緯2

 若手の守護隊隊員は、よく所属以外の管轄区に応援に駆り出される。


 経験を積ませるという名目らしいのだけれども、若手からはすこぶる評判が良くない。


 大概の場合、その日になって突然言い渡される。というのがその理由の一つなのだけれども、本日のリック・パーソンくんもまた、そうして所属管轄外の応援に駆り出されていた。


 それだけでも憂鬱だというのに、この日は更についてない。


 先日の緊急事態令移行、巡回活動には正規軍の兵士が同行する事になってるのだけれど、今まさに同行してる二人組の軍人さんが、どう見ても昨夜件の酒場にいたあの軍服マッチョである…一人は手に包帯まいてるし間違いない…


 とはいえ、自分が昨日あそこにいた事に、この二人が気付いていない可能性…


「あ!お前昨日の…」


 …は無かったみたいです。諦めます。


 という事で、この気まずい雰囲気の中で巡回に出る事になるのだけど、その場所がまたパーソンくんを憂鬱にさせるのです。


「…貧民街か…」


 地方の貧しい家庭で育ったパーソンくんは、大都会である王都エリックリンドに過剰な憧れを持っておりました。


 過剰な憧れはイメージを大いに膨らましやがります。


 そこは誰もが裕福で、着る物、食べる物、住む所に困るなんて事もなく、幸せに暮らせる夢のような場所なのだ、と勝手に思い込んでいたわけです。


 貧民街の存在というのは、「そんな訳あるかーい!」という否応のない現実をパーソンくんに突き付けてくるわけで、だからこの場所がどうしても好きになれないのです。


「そんな事言ったら、またクルーアさんに怒られるのかな?」


 多分そういう事ではクルーア君は怒ったりしないと思います。けれど前にシバースに対する差別的な発言をした事で責められた事がトラウマになってるらしく、念のためこの話はクルーア君にはしないでおこうと心に決めるパーソンくんでございます…


 それにしても今日はつくづくついてない…


 貧民街はどういう訳か王都エリックリンドで最も治安の良い地域らしい…しかし、これだけついてない事が続くと、今日に限って何か良からぬ事が起きたりしないか?なんて事を考えて不安になる。


 そうは言っても仕事は仕事。


 クソ真面目なパーソンくんに、起こるかどうかも分からない事を嫌がって巡回を拒否する、という選択肢は無いのですけれど…
















 マリーは心を落ち着け、状況確認のために周囲を窺う…後ろも左右も壁に塞がれている…そして目の前には魔女ヴィジェ・シェリル。


 ここは袋小路の突き当り。


 逃げるためには、どうしたって目の前の魔女と遣り合わない訳にはいかないらしい。


 しかしなんだってこんな所にこんな道があるのかとも一瞬考えたけれども、何の事は無い。ここはこの旧地下水路の出入り口のためだけの通りなのだろう。


 それでも不自然な道だとは思うけれども、なるほどこういう場所だからこそアナトミクス派はここを、移動の際の出口として選んだのだろうと思うと納得がいく。


 ここまでがあまりにも上手くいきすぎていたのだから、どこかで落とし穴があっても仕方がないとは思うのだけれど、この状況…


 逃げるのが目的なのだから倒す必要はないのだけれども、そうは言ってもあのパラノーマルが相手ではそう簡単にいくはずもない…



 パラノーマル…現実世界の言葉に訳せば超常現象という事になるわけですけど、何故その人達がそう呼ばれるかというのは今は置いておく。


 一説には1000万人に1人しかいないと言われる異常に身体能力の高い人類。


 そして、その能力の持ち主は否応なく有名人になってしまうのがこの世界。


 シェリル姉さんは、シバース教アナトミクス派の殺人狂として有名になるよりも以前から実はパラノーマルとして知られていて、将来を嘱望もされてたのです。


 とても敵う相手ではない、とはいえ絶望する事もない…


 魔力を身体能力のアップに変換しスピードで勝る事ができれば、きっと何とかなるはず。


 いずれにしても、先ずはシェリル姉さんが逃げ道をふさぐ形になってる現状を変えなくてはならない。


「こんな時、空が飛べたらな…」


 そうすれば楽に逃げられるのにな…と考えてしまうのも心情というもだけれど、今は無い物ねだりしてる場合ではない。


 一瞬でも隙を見せればきっと殺されてしまうだろう…


 ただ逃げる事を考え集中してシェリル姉さんをキッと睨み付けるけれども、彼女がちょっと間抜けに驚愕の表情を浮かべてるものだから、つい気が緩みそうになってしまう。


「おい…」


 声をかけられた事でキュッと締め直す。


「お前、下の連中の魔力もそうやって吸い尽くしたのか?」


 何をそんなに驚いてるのか、理解が追い付かないのだけれど


「そうよ…それがどうかしたの?」


「じゃあお前…大人三人分の魔力、全部吸い尽くしたのかよ…」


 ここまで言われれば何をそんなに驚いていたのかを理解できそうなものだけれど、それを特別な事とは思わず、当たり前の事としてやってのけていたマリーは


「それがどうかしたの?」


 本気で理解ができていない。


 それを聞いてシェリル姉さん、急に俯き腹を抱えたと思ったら


「く…くくく…あははははははは!!」


「何がおかしいの!」


 突然狂ったように笑い出すから、気味が悪いしそれ以上に不愉快。


「お前が何人分の魔力を蓄える事が出来るのか知らないけど、なるほど『器』とはよく言ったもんだね!何に使うの気なのかは知らないけど、そういやグラーフの奴が魔力を集積するシステムがどうとか言ってたっけな!」


 『器』と呼ばれて更に不愉快になるのだけれども、言いながら羽織っていたジャケットを脱ぎ捨てたと思ったら、いったいそんなもの何処に隠し持っていたんだ、と突っ込みたくなるような短剣を2本、両の手に握りしめてるもんだから、もうそれどころではなくなった。


「そうは言っても流石にお前が発電用の魔力集積システム並みに魔力を溜められるとも思えないけど、まあいいや…大人3人分の魔力を持って遣り合おうっていうんならアタシだって手を抜けないよ?…殺しちゃっても文句ないよね?」


 言い切るか切らないかのタイミングでシェリルが僅かに前傾姿勢になる刹那、マリーの本能が「あの魔女より一秒でも先に動け!」と身体と心に銘じて、一瞬早く爆裂魔法をシェリルの足元へと放つ。


 鈍い爆音と共に足元で炸裂した魔法に対して、そもそも防御という概念のあまり無いシェリルは、マリーに対して飛びかかるように前方へジャンプしてそれを避けるから、これがチャンスとなる。


 予め魔力を身体能力の上昇へと変換させていたマリーは、その一瞬のチャンスを見逃さず、宙に浮くシェリルの下を猛スピードで走り抜ける。


「チッ!」


 マリーの意図に気付いたシェリルが、短剣の一本を投げつけてくるが宙に浮いてる不安定な体制では当てる事もできず、マリーの走り抜けた後の地面に突き刺さるだけ。


 こうして、わりとあっさりと立ち位置を入れ替える事に成功したマリーだけれども、これだけで逃げ果せるほど甘い相手ではない。


 走り抜けた勢いのまま身体ごと振り返って魔力を放出。


 放出された魔力は今まさに着地寸前という体制のシェリルを包み込むようにして展開した後、複数に分裂した所で電気へと変換される。


 こうする事で威力は落ちるものの、相手に対して命中させる確実性が格段に上がる。


 変換された電気は11本の稲妻となり豪快な雷鳴と共にシェリルの身体を打ち抜いく。


 稲妻に身体を打ち抜かれたシェリルは、地に足のついてない状態から、さらに若干宙に浮くようになってから地面に叩きつけられる。


 ここまでの行動で、すでにマリーはマジックドレインで吸い上げた魔力の3分の1。大人一人分の魔力を消費してしまう。


 その大半は身体能力の上昇に変換したものだけれど、それにしても消費し過ぎではある。


 しかし、出し惜しみしてどうにかなる相手ではないし、今の攻撃でもおそらく大したダメージは与えられてないだろう…


 だが、時間稼ぎにはなる。


 シェリルの様子を確認する事もなく振り返って走り出す。


 今の内にこの路地を抜け、人目のある通りまで出ればシェリルも迂闊な行動はできないはずだ。


 マリーが走り出して数秒、やはり大したダメージを受けた様子もないシェリルはムクッと起き上って首を振ると、そのままマリーが走り去った方を振り返りニターッと笑ってからゆっくりと立ち上がり、地面に突き刺さったままの短剣を引き抜いてから、そこまでの緩慢な動きからは想像もできないほどの猛スピードでマリーを追いかけ始める。


 しかし、これだけ時間を稼げればマリーが路地を抜けるには十分。


 路地を抜けた先はお誂え向きの人通り。


 爆音や雷鳴が鳴り響いてた訳ですから、何事かという事で集まってきた野次馬もいるし、軍人や守護隊らしき人物も確認できる。


 後ろを振り返ると左右不揃いの短剣をダラッと持った状態でぼうっと立っているシェリルがいた。


 見るからに怪しい風貌。何より帯剣禁止法違反という事もあって軍人と守護隊の人が取り押さえに行く。


 これで終わり…これからどうなるかわからない。しかし少なくてもシバース教アナトミクス派の手から逃げ出す事には成功したのだ…


 と、マリーが思った所でシェリルがまたぞろニターッと笑うものだからハッとする。


 違う。


 終わりじゃない。


 ヴィジェ・シェリルがこのまま大人しく捕まる訳がない。


 このままではこれからここで血の惨劇が始まってしまう。


『別に良いじゃないか?他の人間がどうなったって自分さえ逃げ切る事が出来れば』


 …そんな囁きをする悪魔は、マリーの心の中には住んでない。


「それはシバース教のヴィジェ・シェリルです!」


 出来る限りの大声で叫ぶと、ざわついてた野次馬達が静まり返り、その視線が一度マリーに集まった後、ゆっくりとシェリルへと移動しする。


 そして気付く。


 そこにいる人物の風貌が、この国で知らない者がいないと言われるほど超有名な最重要指名手配犯の一人と、完全に一致している事に…


「逃げてください!」


 続いたマリーの叫びと共に辺りは阿鼻叫喚となる。


 野次馬達が我先にと狂人から逃げるべくして蜘蛛の子を散らす。


 その中にはシェリルを取り押さえようとしていた屈強そうな軍人まで混ざっている。


 おそらく、今ここにいた人たちが一致団結しても取り押さえる事が不可能、というほどヴィジェ・シェリルは化物ではない…


 しかし、それを一般人に期待してもしょうがないし、軍人であっても逃げ出してしまうのも仕方がない。


 それほどヴィジェ・シェリルという名とパラノーマルという属性には、言葉だけで力があるのだ。


 かくしてその場に残ったのは3人だけとなってしまっ…ん?3人?マリーとシェリル…それから…


「何故逃げなかったの?」


 マリーとシェリルの間…ちょうど中間くらいに、一人の男性が立っている


「あなたが逃げてないのに、守護隊の僕が先に逃げる訳にはいかないでしょう?」


 皮肉な事に、その場の全ての人が逃げるまで、シェリルを引き付けておくつもりだったマリーは、この、まだあどけなさの残る若い守護隊隊員だけ逃げようとしなかったために逃げるタイミングを失い、その若い守護隊隊員はマリーが逃げようとしなかったためにこの場に留まった…


 クソ真面目な性格が仇となって、守護隊隊員リック・パーソンが、狂人ヴィジェ・シェリルと対峙する。

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