第34話:His gun without bullets.

「なぁ、お前はこの翼が治ったら何がしたい?」

 鳥籠の中に手を入れ、そこに留まる小鳥の下顎を撫でながら男はため息を漏らす。小鳥のツバサは痛んでいた。しかし男の荒療治が聞いたのか小鳥は徐々に回復してきている。撫でられるのが好きなのか、それとも男の撫で方が気に入ったのか小鳥は満足そうに鳴いた。


 ブラインドの隙間から街並みを見下ろすといつもどうりの喧騒がそこには広がっていた。

 のんびりと走る前の車両がクラクションを鳴らされて驚いた拍子に近くのコンビニへ突っ込んだり、癇癪を起こした物乞いが観光客に襲い掛かったり、ラジオでは「3日であなたもムキムキになれる」などと魔法同然の戯言を垂れ流すインチキサプリメントのCMが流れている。


「おおやってるねぇ、今日も」

 この街で起こったこと全てが当事者にとっては堪らないものではあるが、傍観者から見ればそれはアクション映画のワンシーンみたいに見えて実に愉快であった。この男も今はその感覚に浸っている。

 他人から見たらこれは異常であるが、この街にとってはそれが日常であった。


 男が小鳥に餌をあげようとした時、エレベーターのドアが開いた。男はその音を意識的に耳に入れないようにして小鳥に餌をあげている。

 視線を向けると部下が手に余るほどの書類を抱えながら生まれたての小鹿のごとく足を震わせ此方に向かってくる。


「リーダー。鳥に餌をあげる暇があるなら仕事してください」

 机には大量の書類が置かれ、上の何枚は下した時の風圧で舞い上がった。紙吹雪の中で整った面立ちを歪ませた女がこちらを睨むのが男には分かった。


「おとなしくしてれば美人なのに、何でドロシーはそう毎日怒ってるんだ? 」


「リーダーのせいですよ! 」

 そうかい、と涼しい顔でドロシーの針のような視線を躱す男。それを見て、ドロシーは今度は顔を鬼のように歪ませた。


「ほら、まただ……そんなんだからいつまでたっても旦那が―――」

 男の口腔に銃口が捻じ込まれる。


「それ以上言ったら、上司といえ関係ないですからね」

 囁かれた言葉によって男の背は一瞬で硬直した。埃の被ったシーリングファンが一触即発の空気を煽り立てるように音を立て回る。

 静寂の中、その空気を打ち破るように電話が鳴った。


「あ、ほあ、ひごと……は、はからほの物騒なものはひまってくれ」

 ようやく死の気配から解放され、男は安堵のため息を一つついてから受話器をとった。

「はい、こちらスピークス・アレンタウン」

 電話の内容は暴れている男がいるから止めてほしいという依頼であった。またこれか、スピークスは心の中でため息をつく。スピークスは同じ依頼を今週で4件も受けていた。

 うんざりした態度が伝わらないようにあくまで紳士的に依頼を聞き、スピークスは電話を切った。

 そのあとすぐどこかに電話をかけたが、繋がらないのかスピークスは本日何回目かのため息をつきながら受話器を置いた。


「リーダーって、ほんと電話の時だけハンサムですよね……」

 瞼を伏せスピークスを見つめるドロシーに彼はだらしなく頬を緩ませた。褒めてません、と冷ややかな言葉をドロシーはスピークスに浴びせると、立ち上がってラックにかかっていたトレンチコートの襟首だけをつまんだ。


「あのさ、そうやって汚物を持つような持ち方しないでくれない? こう見えても俺はナイーブなんだよ」


「無理です。だってリーダー最近加齢臭ひどいんですもん……」

 本気で顔を歪ませるドロシーにスピークスは大きく肩を落とす。うなだれたまま、腰に枷でもついているかのようにゆっくりと立ち上がる。


「娘がさ……最近俺の洗濯物洗ってくれないんだ。もしかしてそれって……」


「知りませんよ。ほんとリーダーは娘さんのことになると情けないですよね。もう出かけるんですから早く着てください」

 放り出されたトレンチコートは涙目になるスピークスに被さった。

 蹲って情けなく背を丸める上司を置き去りにしてドロシーはさっさとエレベーターのボタンを押しに行ってしまった。



「これが俺の力だ! 俺の力なんだ! 」

 雄叫びをあげる上半身裸の男が暴れまわっている。


 現場のファストフード店に足を運ぶとそこは混沌としていた。

 店内で街の喧騒を眺めながらハンバーガーをかじっていた客たちが今は誰一人おらず、その代わりに暴れまわる男の周りを野次馬が取り囲んでいた。

 異常が日常であるこの街にとってこの手の騒ぎは少なくない。よって騒ぎを止める警官は効力をあまり持たない。それどころか警官さえも野次馬に加勢している。


 店内は爆発でも起きたかのようだった。

 窓ガラスは割れ、テーブルや椅子は断片となって散らばり、壁にはいくつも拳の痕が刻まれていた。キッチンの方では煙が上がっている。


「こりゃあ、ひでえな」

 他人事のように遠くから覗くスピークスの尻をドロシーが蹴り上げた。しかし鍛えられたスピークスの体はびくともしない。


「いったいなー。分かってるって」


「ならいいですけど。一人娘のためにお金稼ぐんでしょ、だから今日も頑張ってきてください、お父さん」

 そう言ってドロシーはまたスピークスの尻を蹴り上げた。


「じゃあ、俺は店まで近づいたらあの男止める。だからドロシーは店内にまだ人が残ってないか確かめてくれ。キッチンから出火してたからそこ優先で頼む。それが終わったら野次馬の皆さん抑え込んどいて」


「え、私一人であの人数をですか? 」


「よろしくね、ドロシーちゃん」

 脱兎のごとく駆けていくスピークスを今すぐ叩きのめしたい衝動に駆られながらもドロシーは後につづく。

 しかし、スピークスの足がその場で止まった。違和感を察したドロシーはスピークスの傍らまで行き、眼の前の光景を見る。


「参ったな、こりゃあ……」

 血走った眼をした男の豪腕に捉えられた少女。涙で顔を濡らしながらその少女はお父さん、お父さんと哭いている。少女の名はケイティ・アレンタウン。彼の娘であった。


「いや、電話で住所聞いた時予感はあったんだけど、ケイティちゃん今日シフトだったのね……」


「お気の毒さまです」

 ドロシーがスピークスの肩に手を置いてそう呟くと、彼は全く厄日だよ、といいながら煙草に火をつける。


「どうしますか、頭ぶち抜きますか? 」

 冷静な顔をしつつも、親友であるケイティが涙ぐむ姿を見て内心煮えくり返っているドロシーはすでにグリップを握っていた。


「おいおい、女の子がそんな言葉を使うんじゃないよ。それにあんまり銃ばっかに頼っていたらそのうち足元救われるぜ」

 いつの間に吸い終えたのかスピークスは加えていた煙草を指ではじく。

 旋回しながら打ちあがった煙草が地面に落ちた瞬間、スピークスは駆けだした。


 駆けだしたのもつかの間、ドロシーが振り返るとスピークスはすでに少女を羽交い絞めにする男の後ろへ廻っていた。


「おい、そこの肉達磨」

 静かな怒号が男の耳を震わせる。それと同時にスピークスの蹴りによって男の分厚い体が鈍い音を立てながら反る。その衝撃で緩んだ腕から脱出したケイティは、スピークスに一瞬遅れて追いついたドロシーに保護された。

 スピークスは起き上がってきた男の豪腕を躱しながらそれを確認する。

 相手は興奮状態であり、冷静な判断は出来ていないためどうしても攻撃は直線的になる。そのためスピークスがそれを躱すことは造作もなかった。

 まるでダンスを踊るようにステップを踏み、軽快に男の攻撃を躱していく。そして後ろへ飛び距離を保つ。

 羽織ってていたトレンチコートの端をつまんではためかせスピークスは男を煽る。気分は闘牛士だ。

 挑発で怒り狂った男は重戦車のように周りのものを蹴散らしながらそこへまっすぐ突っ込んでくる。男がスピークスに衝突しそうな時、コートが宙へ舞い上がった。同時にスピークスは地を蹴って大きく上へ跳躍した。

 男の拳が虚しく空を切り、舞い上がったコートが落ちてきて、ちょうど今男の視界を塞いだ。全力の拳が空振りして男はこの瞬間無防備だった。


「家の娘に手出した罰だ。しっかり味わってくれよ」

 全力で空振りしたため、男は反応に遅れた。そのため、がら空きとなった背中に雷と化したスピークスの踵が減り込む。男の体が音を立てて軋む。突っ伏すように男は勢いよく地面に延びた。


「この野郎……」

 よろけながら立ち上がった男に旋風が襲う。男の首筋に高く上げたスピークスの足の甲がめり込む。それをもろに食らった男は放たれた威力のまま横へ吹っ飛び、まもなく気を失った。



 野次馬が大歓声をあげる中、スピークスは娘のもとへ一直線に走っていく。


「ケイティ、大丈夫だったか? 」


「ちょっと痛かったけど、全然大丈夫」

 ケイティに目立った傷はほとんどない。あったとしても擦り傷程度だった。安堵したスピークスは大きく息を吐いた。使命感で張り詰めていた背がふっと緩む。


「それより遅いよ、お父さん。何分待ったと思ってんの? 」

 鼻の頭に皺を寄せるケイティは怯えから解放され安堵したというよりかは、単純に迎えに来るのが遅いことに腹を立てているようだった。

 ころころと表情が変わる娘にドンは翻弄される。


「あの……泣いてたのってもしかして演技? 」


「当たり前じゃない。あのぐらいの演技、いつもレッスンでやってるんだからできて当然よ」


「いやぁ、恐れ入ったよ」


「ねぇ? わたしの演技どうだった? 」

 嘘をついたことに対して全く悪びれる様子はなく、ケイティは好奇心で目を爛々と輝かせている。


「全く、いい加減にしてくれよ。本気で心配したんだぞ」


「はいはい、すみませんね」

 想像していた答えが帰ってこないことに苛立ったケイティは口を尖らせながらスピークスに言葉を返す。


「だいたいな―――」

 そう始まった途端、おとなしく二人を見守っていたドロシーは静かに二人のもとを去る。

 ああなるとあの親子は止められないのだ。それに巻き込まれるのはドロシーにとって願い下げであった。


 やがて、一脚も二脚も遅れて多くの警察車両が到着する。野次馬に参加していた警官がそさくさと通常業務に戻る。

 現場を取り囲んでいた野次馬たちは警官により散らされやがて喧騒は消えていったが、二人の親子の喧騒はいまだに続いていた。



「薬は用法用量を守って正しくお使い下さいってことか」

 ところどころに穴が開いている革張りのソファに横たわりながらスピークスは煙草の煙を吐き出す。

 翌日街には製薬会社のスキャンダルが浮上した。流れるラジオによるとどうやら流行していた肉体強化のサプリメントに含まれていた成分の副作用がこの事件の原因だったらしい。


「てゆーか、その怪我どうしたんですか」

 怪訝な顔で見つめるドロシーにスピークスは起き上がってただの喧嘩だ、と呟く。

 スピークスは灰皿に煙草を押し付け、またソファに身を預けると瞼を閉じてまどろみに身を任せた。


 あまりにも無防備な姿で上司が寝息を立てるのでドロシーは注意喚起のためスピークスのホルスターサスペンダーからコルトパイソンを抜きだした。


「弾が込められてない……? 」


「要らねぇよ。そんなもん」

 いつの間に起きていたのか、スピークスが口を開くとドロシーはその答えに首を傾げた。


「でも、いつかは素手じゃ対処できないことだってあると思いますが」


「いいんだよ、そん時はそんときで。俺は銃なんて大きな力に頼らなくても何とかなってるし、それにいざとなったらお前を頼ればいい」


「でも弾がこもってないのに持ち歩いているのって変ですよ。お守りのつもりですか? 」


「そうゆうこと。だからこの子もドロシーも俺をしっかり守っておくれよ」


「情けない人……」

 満面の笑みで言い放ったスピークスに溜め息を浴びせる。他力本願な上司にドロシーは愛想を尽かしたようだ。


「それにな、俺には肉体、ドロシーには銃、それぞれ力を注ぐための器がある。一人一人器の形は違ってんだ。分かるか? それを見定めないうちに力を求めすぎると人はたいてい堕ちる」


「じゃあどうやって私達はそれを見定めるんですか? 」


「それは、年月をかけて自分と向き合ってくしかねぇよな。まぁ、要するにだ、楽して力を手にしようなんて奴は罰当たりってわけよ。今回の事件だって自分の扱える力の量すらわかってねぇ奴らが悪戯に大きな力を手にしようとしたからこうゆうことになったんだろ? 」

 悔しいがドロシーはその言葉に納得していた。

 スピークスは立ち上がり、鳥籠のもとへ行く。柵を開けて小鳥を人差し指に乗せ籠の外へ連れ出した。


「自分の願いのために力は必要だ。それは認める。でも耐え忍んだ奴にこそ与えられるものであってほしいよな」


 小鳥は再び自らの力で大空へ飛び立っていった。


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