第28話:四畳半と来訪者

 なかなか会えない彼女と久々にデートをした日はその時間がまるで非日常のように際立って、景色はいつもの何倍も鮮やかに見えた。


「ただいま」

 呟いてみても返事は帰ってこないだろう。だってそこには誰もいないから。でも今日はなぜか暗がりの向こうからお帰り、という声が聞こえた。


 何事かと慌てて室内の電気を点灯すると、そこには俺と瓜二つの顔をした男が座っていた。しかも見覚えのあるくたくたのダークスーツを身に纏っている。


「お前何者だよ! 」


「うるせぇな……騒ぐな。俺は今いらいらしてんだ」

 俺に似た顔の男はその態度からわかるように荒みきっており、今にも暴れだしそうな雰囲気を身に纏っていた。

 しかし、そんなことは俺にとってはどうでもよかった。今は突如部屋に現れた男の情報を一つでもいいから手に入れておくのが優先だ。


「いや、それより何者だって聞いてるんだよ」


「ああ? 俺はそうだな……強いて言うのであれば


「は? 」

 呆けた顔の俺を見ながら『昨日の俺』は頭を掻き毟った。



「『は?』ていわれても、事実こうして起きてることなのよ。認めろ。ごちゃごちゃ俺と問答したところでどうせなんも解決しない。なぁそれより酒買ってきてくれないか? 実はまだあのプレゼン引きずってんだ」


 『昨日の俺』がプレゼン、と口にした瞬間に俺は目の前の幻想を幻想と処理できなくなった。たしかに昨日は上役の前でさんざ絞られた……

 消したかった過去がフラッシュバックのように鮮烈に甦った。

 思い出したら急にむしゃくしゃした。なるほど、そりゃあ、こいつも苛立っている理由だ。

 俺はコンビニで大量にビールを買いこんで奇妙な来訪者との夜会を開くことにした。


 部屋を出る前『昨日の俺』に冷やさせておいたグラスになみなみとビールを注ぎ込む。


「乾杯」

 ググッと喉に抜けていく炭酸の爽快感が心を解放する。アルコールが身を満たすとともに目の前にいる不可解な存在のことなんてどうでもよくなった。

 今は酒を酌み交わす相手がいるのが素直にうれしかった。それに自分と話し合う機会なんてそうない。ここは夢だと思って大いに楽しんでみるのも悪くないだろう。俺は混濁する思考の中でそんなことを思い始めていた。

 そのうちに俺と『昨日の俺』はあっという間に打ち解け合った。まぁ俺自身なんだから打ち解け合うっていうのはおかしな話だが。


「アイツら、絶対俺のこと嫌いだよな……寄ってたかってリンチにして。権力があるからってなんだっていうんだ。だいたいあんたがそこで威張ってられるのも俺ら下っ端が汗水流してやってきてるからだろうが。あんたのゴルフクラブ代も高級車代も全部俺たちから搾取した金で買ってんだから少しは感謝しろよって思うよな? 」


「まあな……」


「よし、決めた。明日課長の家、襲いに行こう。あんな上司さっさと死んじまえばいい」

 改めてみると俺の昨日の荒み具合は異常だ。よく一日でここまで平常に戻れたものだ。


「ダメだろ。明日は真奈とデートなんだから」


「あ、そうか」

 立ち上がって興奮した様子の『昨日の俺』は俺の言葉を聞いておとなしくその場に座った。なるほど、たった一日で鎮まったのはこれのおかげか。

 真奈にほんと感謝だな。

 もし真奈が殺されたら俺は殺人鬼になってしまうんじゃないか? 冷静に観察すると昨日の自分の凶暴性は少々度が過ぎていると思う。


「明日、楽しみだな」


「その顔からすると最高だったみたいだな。俺らにとって真奈は精神安定剤みたいなものだよな」


「確かにそうかもな」

 俺と『昨日の俺』の笑いがワンルームに響く。


「なぁ、真奈と付き合い始めた時の俺はどんな気分だったんだろうな。一度でいいからあの頃の初々しい姿も見てみたいものだね」

 興味本位のつもりだった。しかし『昨日の俺』は呼んでみるか、なんて、まるで近所の友達を呼び出すかのように俺に尋ねた。


「え、そんなこと可能なのか? 」


「当たり前だろ。昨日だろうが、数十年前だろうが、俺という個体は同じ世界線に存在していて、歳を重ねてきているわけだから、どんな瞬間の俺だって地続きに繋がってるんだよ。呼出すなんて容易いことだ」



 ほとんど理屈の通らない理屈に無理やり納得して、数分待っていると呼び出し音とともにインターホンのディスプレイが点灯する。そこには学生服に身を包んだ俺が立っていた。


「やぁ、こんにちは」

 信じられない状況に頬をひきつらせながらも不信感を抱かれないように俺は『10年前の俺』に笑って見せた。


「おじさんたち、なんなの? しかもなんか……うちの父さんに顔が似てる?」

 疑問が際限なく沸き上がる『10年前の俺』を『昨日の俺』がからかう。


「なぁ、お前今日彼女ができたんじゃないか? 」


「え、何で知ってんの? 」

 顔を真っ赤にして俯く『10年前の俺』。

 ああ、やっぱこんなにキラキラしてた時代もあったんだな、と懐かしむ。


「名前は真奈だろ」


 信じられないという顔つきだ。『10年前の俺』は今にも卒倒しそう。


「俺は10年後のお前だからな。何でも知ってんぜ。あ、俺の横でぎこちなさそうに笑ってるのも10年後のお前だ。よろしくな」

 カシューナッツの殻の粕が着いたままの手を『昨日の俺』が差し出す。アルコールによって底抜けに明るい俺がおかしく見えたのか『10年前の俺』は何だただの夢か、と笑って俺たちの手を取ってアパートへ入っていく。理解不能な状況に対して諦めをつけるのが早いことを見るとこれも俺なんだろうと納得がいった。


 それからは3人で高校の思い出に始まり、初恋の感想とか、お互いの悩みとかを打ち明け合いながら10年後組は缶ビールを、『 10年前の俺』は冷蔵庫にたまたまあった麦茶を飲む。

 奇妙ではあるが実に楽しい時間が過ぎていった。深夜になって試しに小学生の時の俺を呼ぼうとしたが玄関先で不審者! と叫ばれて説得の余地もなく消えてしまった。アイツはいったいどこへ消えていったんだろうか。



 締めきったカーテンの隙間から朝日が差し込む。すると『昨日の俺』も『10年前の俺』もいそいそと帰る支度をし始めた。


「なぁ『昨日の俺』もう帰るのか? 」


「ああ。もう明日になっちまったからな。そろそろお開きだ」


「俺も帰るよ」


「そうか。楽しい時間をありがとうな」


「あんたが楽しんでくれたなら何よりだよ」

 肩をばしばしと叩いて『昨日の俺』はまた底抜けの笑顔を俺に見せた。俺ってそんな顔もできたんだな。


「おじさんになってまで真奈ちゃんと恋人同士でいれるなんて、俺はどうやら掛け替えのない人に会えたみたいだね」


「ああ。だから死んでも大切にしろよ」


「まだ、結婚できてないのにそんなこと言うなよ」


「うるせぇよ」

 タイムリープを題材にしたフィクションでは、現在の自分が過去の自分の背中を押すことが多いが、まさか過去の自分からはっぱをかけられる日が来るとは思ったもみなかった。どこか情けなさを感じ合いながら最後に3人で笑った。


「じゃあ、さよならだ」


「ああ、さよなら」


 経験という時間の中で繋がっている彼らに俺は別れを告げる。大したことをしているわけじゃない。過去と別れて今を生きていくのなんて生物であれば誰でもやっていることだ。

 

 だから———時を重ねた分生まれた俺に胸を張れるよう、前を向いて生きていこうと思う。

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