白き日に
つづれ しういち
前編
その日が
先月、二月の十四日。
いま、自分が特別な意味での付き合いをしているその人物から、やはり特別な意味を持つ、それでも相当にささやかなものを受け取った。
この時期、世間一般、あちらこちらで行なわれているその「行事」について、何かすっかり「朴念仁」と呼び慣わされてしまっているこの自分でも、一応知らないわけではない。
事実、その二月十四日、自分は望むと望まざるとに関わらず、大量のそれをクラスメートのみならず、同じ学校に通う女子から頂くことになってしまった。
いや実のところ、「当日じゃ渡せないから」と、剣道場に通ってきている山本師範の生徒の子供たちやらその母親、果てはその祖母にあたる人からまで、自分は同様のものを大量に受け取ってしまったのだったが。
無論、こちらに関しては、当然、彼には話していない。
しかし、大変不本意なことだったが、あの日、自分はそれらを学校から、最も見せたくない相手の目に触れさせずに持ち帰ることができなかった。
彼は意識的に自分の手にしている紙袋の方を見ようとはしなかったが、ひどくそれのことを気にしているのだということは、時折り悲しそうになるその目を見れば一目瞭然のことだった。
(そんな風に、思う必要はない)
そう言ってやれば良かったのかもしれないが。
彼がほかの誰とも違う、自分の中の特別な場所にいるのだということを、もう少し自信をもって考えてくれればいいのだが。
そうでなければ、どうして自分が、あまり普通ともいえないこんな恋愛を敢えてしようと思うだろうか。
山本師範の剣道場での稽古を終え、すでに暗くなった道を自宅へと戻りながら、佐竹はつらつらと考えている。
竹刀や稽古着の入った袋を肩にかけているほかに、今日は大き目の紙袋を提げている。帰り道、駅前のショッピングモールに寄って、それらを大量に購入する必要があったからだ。できれば彼の目に触れないところでそうしたかったので、敢えてこの日にしたのである。
非常に七面倒なことに、この「行事」には何故かほとんど強制的に、「お返し」というものが漏れなくついて回ることになっている。
だとするならば、そもそも彼女らが「受け取ってください」と持ってくるその物品を、その場で断るぐらいの自由はあってもいいのではないかとさえ思うのだったが。
当の彼が「そんなこと、絶対しちゃダメだからなっ!」と顔を真っ赤にして主張するので、仕方なく受け取っている、というのが実際のところなのだった。「相手の子が可哀想だろ」というのが、その主張の主な部分だ。
しかし、受け取ったら受け取ったで、結局は彼にあんな顔をさせる羽目になる。そんなことは分かりきっていたことだったので、なにか釈然としなかった。
いっそ、「自分には付き合っている奴がいるから」と断れればいいのだが。
それはそれで、彼自身も、彼の父親も、決して
だから、こんな「行事」は面倒なのだ。
……いや、そう言ってしまうと語弊はある。
唯一、彼からもらったそれにだけは、自分としては誠心誠意、返礼の品について熟考してきたからだ。
そして勿論、それは真っ先に準備した。
誰かのため、それも心の特別な場所を占めるだれかのためにそうした物を選ぶのは、こんな自分にとってもなにかくすぐったいような、
店員から「プレゼントですか」「リボンのお色はどれにいたしましょう」と訊ねられて少し躊躇するのもまた、苦笑を禁じえないがそれなりに楽しかったようにも思う。
そうして、彼が先日、自分のためにと選んでくれた品のことを思い出し、それを選んでくれた時、彼も同じ気持ちだったのかと思えば、ただ理屈ぬきに胸の底が暖まるようにも思った。
「あらあ! ホワイトデーのお返しね? 今年は何を返すつもりなの、
帰宅すると、今はたまたま海外から舞い戻っている母・馨子が、息子の手に提げられているものを見て、さも楽しげにそう言った。
この母は、己が息子の仏頂面を観察するのがことのほか楽しいらしい。
そういえば昨年のクリスマスにも、散々あれやこれやとからかわれたのを思い出した。
「少なくとも、今年は本命がいるんですものね〜? あきちゃんのことだから、もうちゃーんとそっちは準備しているんでしょうけど。でも、相手は男の子なんだから、今、売り場を
リビングで、帰国時にはいつもここぞとばかりに買いこんでくる日本のスイーツや海産物などをあれやこれやと試食しながら、馨子がそんな持論を展開している。
この女は紛れもない肉食系だ。
「そう言えば、
そんな相変わらずのマシンガントークを背中で聞き流し、佐竹はさっさと自室に戻った。
あのおしゃべりに付き合わされていたら、時間がいくらあっても足りない。
(……あとは、タイミングだな)
そんな風に思いながら、自室の机の上に置いてある、小さな箱をふと見やる。
もちろん、馨子はこれを知らない。
母、馨子は、あんな風に息子のプライバシーにぐいぐいと入ってくるような風でいながら、意外と勝手に部屋の中にまで入るような、無粋な真似はしない女だ。
そういえば、先日、彼もそのタイミングには苦慮していた様子だった。
当日、自分は彼の家へいつものように勉強のサポートに行って、彼の部屋にいたのだったが。学校にいるときからそわそわしっぱなしだった彼は、二人きりになってさえ、なかなかそうとは言い出せずにいるようだった。
その日がいったい何の日で、彼が何をしたがっているのかなどとうに分かっていた。
分かっていたが、それをこちらから催促するのは筋違いだろう。それに、いつまでも長居をしていれば、それこそこちらから「まだなのか」と言っているにも等しい。そう思って、その日は早めに彼の家を辞することにしたのだった。
彼は慌てて自分を追いかけてきて、やっとそれを渡してくれた。
予期していたことだったとはいえ、それでも自分は嬉しかった。
だから思わず、彼の父の「未成年の間はそれ以上はしてくれるな」との言葉を少し――ほんの少しばかり、逸脱してしまったのだ。
唇を離したとき、彼は少しぼうっとしていた。
そして、いつものようにまた真っ赤になった。
……「許されるなら、もっと」と思う自分が、
あのとき、確かにそこにいた。
だから、大急ぎで彼から離れた。
まあ、すぐに追いかけられてしまったので、それにあまり意味はなかったけれども。
なんで男を、こんなに可愛いと思うようになってしまったのか。
そのあたりについては自分でも、まったくよく分からない。
単に容姿が美しいだとかなんだとか、人目を引く姿の女なんて、この世に山ほどいるだろうに。
中身に関しても、同様だ。
それを、別にもともと男を愛する質なわけでもない自分が、どうして彼のことだけは、こんな風に思うのだろう。
(……そんな事がわかれば、苦労はせんか。)
すこし自嘲ぎみに吐息をついて、佐竹は机からその箱を取り上げ、指先でもてあそんだ。そしてまた、元通りに机に戻した。
そうして、家用の稽古着に着替えると、いつものように木刀を持ち、夜の鍛錬に入るため、音もなくバルコニーに出て行った。
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