第104話 十八歳からですよ?

「あらあら」


 野花さんがなにやら面白そうな様子で呟くのが僕の耳に入ってくる。

 視界の隅で口元を手で覆っているのが映るけれど、僕の視線はテーブルの上に広げられたものに釘付けだ。

 ギギギと金属がきしむ音がしそうな動きで隣のすずを見てみると、僕と同じように固まっていた。


「あうあう……」


 と思ったら口をパクパクさせながらそんな呟きが聞こえてきた。

 もう一度目の前の用紙に視線を戻すけれど、もちろんその用紙は相変わらずテーブルの上に鎮座したままだ。

 とりあえず用紙が何枚か重なっているので、順番にめくっていく。

 けれど中身は父さんの手紙にあった通り、デザイン違いの同じ用紙が出てくるのみだ。


 二匹の猫が寄り添うように描かれたもの、スイーツで埋め尽くされたもの、青空広がる砂浜や、満天の星空なんていうものもある。

 確かにいろんなデザインがあるけれども……。いやだからってこれは……。

 多少冷静に戻った僕は、恥ずかしさに耐えながら用紙を畳んで封筒の中に静かに戻す。

 そして大きくため息をつくと。


「――なにやってんだよ父さん!」


 海外にいるであろう父親に盛大にツッコむのだった。

 しかもだ。

 保証人欄には父さんが署名済みだったのだ。もちろん入っていた用紙全部にだ。しかも用意がいいことに、最後の用紙は両親の同意書だったのだ。

 未成年でも提出できる準備万端じゃないか……。どれでも使えってことなんだろうけれど……。


 というか僕も僕で、なんでみんなの前で封筒を開封したんだろう……。

 父さんから何かを『送っておいた』っていうメールを見て、嫌な予感がするって思ったんじゃないのか。

 ……あぁ、あのときは箱で何かが届くと思ってたんだっけ。今思えばこの封筒のことだったんだろうなぁ。

 諦めの境地に入りそうになりながらも、自然と両手で頭を抱えてしまう。


「うふふ……、黒塚くん。これは覚悟を決めたほうがいいんじゃないかしら?」


 恥ずかしさと父さんへの憤りと後悔がいろいろ混ざり合い、思考がぐるぐるし始めてきたところに、野花さんからの一言が突き刺さる。


「……覚悟?」


 テーブルに両肘を付いて抱えていた頭を上げると、野花さんが何かを期待するような表情で待ち構えていた。


「だって、すずちゃんにも書いてもらわないとダメなんでしょう?」


 面白がるような笑顔で僕とすずを交互に見る野花さんだけれど、僕はもうそれどころじゃない。

 そうだ、隣にはすずがいるんだ。

 届いたモノは僕だけが関係するものじゃない。そう気づいて何気なく視線を隣へ向けると、ちょうどすずと目が合った。


「「あ……」」


 お互いに短く声が漏れる。


「…………」


 見つめ合ったまま誰も言葉を発しないけれど、それはちょっとまずいよね。封筒の中身はすずにもばっちり見られちゃってるし……。

 えーっと、父さんが余計なことしてゴメンね? それとも、僕たちにはこういうのはまだちょっと早いよね?

 いやいや……、それだとなんだかすずと結婚するのを否定しているように受け取られないかな? ……考えすぎなのかな。

 でも今はまだ早いと思うんだよね……。ど、どうしたらいいんだろう。


 ――あ、そうだ。


「あはは……。誠ちゃんのお父さんらしいね」


 僕が重要なことに気付いたとき、頬を赤くしたままのすずが苦笑いで呟く。


「そうだね……。でもちょっと、やっぱり僕たちにはまだ早いと思うんだよね……」


 うん、そうだよ。父さんも驚かせようと思ったんだろうけれど、詰めが甘かったんじゃないかな……。

 現時点ですでにかなりのダメージを受けているんだけれど、父さんに不備があったとでも思わないとやっていられない。


「そうかなぁ。学生の間に結婚するって言うのも、ステキだと思うけど」


 いやいや、野花さんも妙に推してくるよね……。

 というか僕はまだ高校生だし、ちょっと無理があるんじゃないかなぁとは思うんだけれど。


「そもそも僕、まだ十七歳だから……」


 そうなのだ。僕の誕生日は二月で、まだ十八歳じゃないのだ。

 父さんから届いた書類は、男は十八歳、女は十六歳からでないと提出できないのだ。


「あっ、そうか」

「あら」


 僕の言葉に二人から驚きの声が漏れる。その言葉で、僕も肝心なことに気が付いた。

 そういえば、僕の誕生日教えてなかった気がする。……というか二人の誕生日も知らないままだ。

 野花さんはともかく、すずの誕生日も知らなかったなんて。


「そういえば誠ちゃんの誕生日っていつなの?」


 衝撃の事実に気が付いて動揺している僕に、すずが興味深そうに僕に視線を向けてくる。

 届いた書類から少しずつ逸れていることはありがたいけれど、それがかすむくらいにはなぜかショックを受けている。


「あ……、えっと、僕の誕生日は二月十四日だけど……」


 すずと出会ってからちょうど半年だろうか。お隣さんということで、付き合い始める前からでもそこそこ交流はあったと思ったんだけれど……。


「えっ? そうなの? すごいすごい! バレンタインデーじゃない!」


 すずは僕の誕生日を聞いてなぜか喜んでいる。

 あー、でも今みたいに話題に上らないと意識しないかもしれない……。誕生日なんて一年に一回だし、そうそう話題に出ないよね。


「じゃあ、すずと野花さんの誕生日は?」


 ちょっとだけ気持ちが楽になった僕は、二人の誕生日も聞きだしていく。


「わたしは五月十五日だよ」


「私は十二月十二日ね」


 なるほど。すずが五月で、野花さんが十二月……っと。今だとすずは僕の二つ上なんだ。

 忘れないようにポケットからスマホを出すと、カレンダーに二人の誕生日を打ち込む。


「よし、これで大丈夫」


「ふふっ、これで二月には提出できるわね」


 楽しそうに笑う野花さんに、逸れた話題をあっさり届いた書類――婚姻届けに戻された僕は、また頭を抱えるのだった。

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