第89話 試写会
「あ、一秋くん、例の動画できてるわよ」
今日はスタジオで撮影の仕事が入っていたので、文化祭の合唱の練習を抜けてきてここにいる。
放課後に音楽室を使える日ではなかったので、教室での合唱練習となるけれど、そもそも僕は伴奏をする側で歌うわけではない。
家にキーボードがあるので帰って練習すると言って出てきたのだ。
「そうなんですか?」
「おお、そりゃ俺も興味があるな」
「あたしもー!」
「それは私も気になるね」
一緒に撮影の仕事をしているモデルの響さん、千尋さん、菜緒ちゃんが次々に好奇心の声を上げている。
かく言う僕も、あのとき撮影したものがどんな仕上がりになっているのかは気になっていた。
「じゃああとでちょっとだけ見てみましょうか」
監督のその言葉で、あとで観賞会が開かれることになった。
……けれど、まずは撮影の仕事だ。
「一秋くん。……ありがとね」
撮影が終わった後、片付けをしていると菜緒ちゃんが僕に話しかけてきた。……何の話だろうか?
「……はい?」
わけもわからずに首を傾げる僕に、菜緒ちゃんが苦笑しながら続けてくる。
「すずちゃんが元気になったからね。……ちょっと
「……えっ?」
菜緒ちゃんの言葉に僕は思わず聞き返してしまったけれど、えーっとつまり僕のことがいろいろ菜緒ちゃんに伝わってるってこと?
うわーーー、一体僕の何が菜緒ちゃんに伝わってるんだろうか? そのことを考えると急に顔が熱を帯びてくる。
「そ……、それはなんというか、ごめんなさい……?」
すずが僕のことを何て言ってるのかは恥ずかしくて聞けないんだけれど、ようやく出てきたと思った言葉はなぜか謝っていた。
「ふふっ、いいのよ別に。……ただちょっと、羨ましいなぁって思っただけ」
そう言葉を漏らす菜緒ちゃんだけれど、その表情はとても嬉しそうなものだった。
そんな菜緒ちゃんを見て、僕もホッとするのだ。
「ほー、つまり一秋には彼女がいるんだな?」
僕たちのやり取りを面白そうに見ていた響さんがニヤニヤとした表情で割って入ってくる。
「えー、そうなの? 前はそんなこと言ってなかったのに……、ちょっと残念」
えっ? 残念って……、どういうことですか? 千尋さん?
「はっはっは! 一秋はモテモテだな。まぁモテるモデルってのはいいことだ」
バシバシと背中を叩いてくる響さんもどこか笑顔だ。
「もしかしてすずちゃん?」
監督が予想しているけれど、本当は知ってるんじゃないかなぁ。
確信を持った表情で聞いてくるのでどうしてもそう思ってしまうんだけれど。
「あ、はい」
「そうなのね。……大事にしてあげなさいよ」
なんとも真面目な表情で言われてしまった。
「ま、それはともかく、これが出来上がった動画よ」
監督がわきに抱えたノートパソコンがテーブルに置かれると、モニタを開いて電源を入れる。
スリープに入っていただけのようで、すぐに画面が表示されるけれど、そこに表示されていたものは僕もよく見知ったものだった。
最近も文化祭の課題曲を探したのでよく覚えている。画面は僕もよく使う動画サイトを表示していたのだ。
「実は今日から公開なのよね」
そう言いながら監督が再生ボタンを押すと、動画の再生が始まった。
グランドピアノに座っり、ゆっくりと旋律を奏でていく僕がいて、ゆっくりとした動きでカメラアングルが変わっていく。
そして演奏する姿はそのままで、着ている服と背景だけが切り替わっていくのだ。
奏でる曲調によって服装もそれに合ったものへと変化するのが見ていて楽しい。実際に映像になるとこうなるんだ……。
「おおー……」
僕が感心していると、横から響さんの感嘆の声が聞こえてきた。
途中でフェードイン、アウトを繰り返して繋ぎ目なく切り替わっていないところもあったけれど、動画は三十秒ほどすると終了した。
「ほぇー」
「……すごいわね」
「今のがショートムービーね。なかなかいい仕上がりでしょう?」
監督が得意気に胸を張って自信満々に映像の出来を褒めている。映っているのが僕自身なだけあって、自分が褒められているみたいに恥ずかしい。
「じゃあ長い映像もあるんですか?」
菜緒ちゃんが期待を込めて監督にキラキラした目を向けると、呼応するようにして監督が首を縦に振る。
「もちろん。ロングバーションとフルバーションがあるわよ」
おぉ、長いやつだけじゃなくてフルバージョン……。フルってことは、カットなしってことなのかな?
うーん……。撮影してた時って、どれくらい弾いてたっけ。一本通して最初に弾いたけど、結構長かったような……。
「さすがに長いから家で見てね。じゃあ今日はお疲れ様」
それだけ言うと監督はノートパソコンをたたんで、そのままスタジオの奥へと引っ込んで行く。
「「「「お疲れ様でした」」」」
四人で監督を見送った後、それぞれが片付けの続きを再開し、終わればもう解散だ。
響さんと千尋さんも片づけを終わらせると、「じゃあまた」と言ってそのまま帰って行った。
「じゃあ一秋くん。帰ったらあなたの家で動画の続きを見ましょうか」
僕たちも帰ろうと思っていたところに、菜緒ちゃんがいきなりそんなことを言いだした。
「――ええっ!?」
「どうせ一秋くんも家で見るんでしょ?」
「まぁ、そうですけど」
「じゃあ三人で一緒に見ましょうよ」
手のひらを胸の前で合わせ、笑顔を向けてくれる菜緒ちゃん。
まぁ、すずも菜緒ちゃんも、僕の撮影の見学をしていたし、別に一緒に見ない理由はないかな?
「……そうですね、いいですよ」
「うふふ、二人の邪魔をするつもりはないからそんな顔しないで」
――ええっ!? いや、そんな、菜緒ちゃんが邪魔だなんて思ってませんよ!?
「いやいや、そんなこと思ってないですから!?」
「あははは! じゃあ帰りましょうか」
そうして僕は菜緒ちゃんにからかわれながら、同じマンションへと帰るのだった。
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