第88話 文化祭の準備

 九月に入った。今日からは全校生徒が学校へと登校してくる。

 ホームルームでは担任の久留米先生が、センター試験の案内についていろいろと注意事項を述べている。

 僕もセンター試験は受けるつもりなので、きっちりと願書を提出しなくてはならない。

 それとは別に藤堂学院大学では推薦入試もあるらしく、もちろん僕はこちらも受けるつもりだ。公募で誰でも受けられるとなれば、願書を出さないわけにはいかない。


 そしてもう一つ、大きなイベントがもうすぐ開かれる。

 それは……文化祭だ。

 進学校であるケンコーでももちろん文化祭は開かれるのだが、残念なことに三年生の出し物はクラス全員での合唱と決められている。

 なんとも残念なことであるが、三年生は受験勉強もあるので仕方がない。

 とは言えクラス対抗になっていて、ただの合唱と侮るなかれ、思ったよりも盛り上がるのだ。

 校歌と課題曲を一つ選択して、体育館の舞台で合唱するのだ。その際にはピアノの伴奏もつけることになっているのだが……。


「誰か伴奏でピアノを弾きたい人はいますか」


 始業式の翌日である今日から文化祭準備期間として、放課後の下校時間が伸ばされることになっている。

 そして六時間目の後のホームルームは、文化祭でのクラスの出し物を決める時間に割り当てられていた。

 なのだが、課題曲はまぁあっさりと決まった。最近流行りの曲がいくつかピックアップされ、あとは多数決を取れば終わりだったからだ。

 問題はそのあとなんだけれど……。


「はーい」


 文化祭実行委員である桜夜さくらやさんが、ポニーテールを揺らしながら教室の皆へと声を張り上げるけれど、その言葉に返事と共に手を上げたのは黒川だ。


「黒塚くんがいいと思います!」


「あー、俺も黒塚がいいと思う」


 すると早霧も続けて僕を推薦してきた。


「……えっ、ちょっと?」


 抗議の声を上げようとしたけれど、僕自身はちょっとやってみたいと思っていたところもある。

 なのでむしろ歓迎すべきところなんだけど、なんとなく自分で張り切って言うのも恥ずかしい。


「えーっと……、他にいませんか?」


 桜夜さんは教室中を見回しているけれど、他に候補があがるわけもなく。


「黒塚くんに決まっちゃいますけど……、いいですか?」


 教卓の前で桜夜さんは困り顔で僕に確認してくるけれど、むしろありがたいです。


「あー、うん。別にいいよ」


 内心を隠しながら仕方なく了承した感じを装って返事をする。


「あ、わかりました。ちなみに校歌と課題曲と二つありますけど、どうします?」


 桜夜さんが教室中を見回してみるけれど、先ほどと同様に誰も反応はしない。二人でそれぞれの伴奏を弾いても問題ないからだけれど、やりたい人がいないんであれば僕が両方とも弾くつもりだ。


「……誰もいないなら僕が両方やるよ」


 むしろやらせてください。お願いします。


「あ、はい。……他にいないようなので、黒塚くんが伴奏で決まりですね」


 僕は心の中でガッツポーズをとりつつ、何気ない表情を取り繕う。


「うーん、黒塚くんの伴奏楽しみだねー」


「うん。私も楽しみ」


 冴島と霧島もなぜか顔を見合わせて頷きあっている。


「なになに? 黒塚ってそんなすげーの?」


 話を聞いていた橘も割って入ってきたけれど、そういえば僕は高校の友人たちには本気で演奏を披露したことがないような。


「いや、趣味で弾いてるって聞いただけだな」


「なんだそりゃ」


「でもまぁ、経験者の演奏って気になるじゃん?」


「あー、そうかもな」


 そんな会話が僕を抜きにして周囲でどんどんと進んでいく。

 バイトで何度か弾いているけれど、そのときのみんなの反応は悪くなかったんだ。

 ちょっとくらい自信を持っていいよね。

 ……だけれど、やっぱり恥ずかしいから今は黙ってよう。実際に弾いてみないと実感できないだろうし、変な見栄だと思われても面白くないし……。


「それと、音楽室を使って練習できるのは……」


 引き続き桜夜さんが音楽室を使える時間をお知らせしている。

 三年生の全クラスが合唱となるので、クラスによって伴奏と一緒に練習できる時間が分けられているのだ。

 どうやら僕たち九組は、水曜日の放課後が音楽室を使える時間らしい。

 文化祭は九月十五日だ。音楽室を使えるのは後二回。それと文化祭の前日にリハーサルとして、実際に体育館で練習をするそうだ。


「はい。文化祭については以上です。では最後に、校歌の楽譜と歌詞のプリントを配ります」


 そうして今日のちょっと長いホームルームが終わるのだった。




「ただいまー」


「あ、誠ちゃんおかえり」


 家に帰るとさっそくすずが出迎えてくれる。

 ここのところ毎日、学校から家に帰ると必ず出迎えてくれるんだけれど、それがもう当たり前のようになっている。

 大学の夏休みは九月の半ばまであるので、それまでは続きそうではあるけれど、特に僕から頼んだわけでもなく彼女がそうしてくれているのだ。


「今日はちょっと遅かったね?」


 自室に鞄を置いてリビングに戻ってきたときに、すずが冷蔵庫から出した麦茶をコップに注いでテーブルへと置いた。


「うん。今日から文化祭の準備期間に入ったんだよね。だから明日からはもうちょっと遅くなるかも」


「そうなんだ……。ねぇ、誠ちゃんは文化祭って何やるの?」


 テーブルに置かれた麦茶を、「ありがとう」と言いつつ受け取って一息で飲み干す。

 リビングに入っている冷房で外側と、冷たい麦茶で内側から冷やされて一気に汗が引いてくる。


「うちの学校の三年生は、クラス対抗の合唱って決まってるんだよね」


「へぇ。じゃあ誠ちゃんも歌うんだ?」


「ううん。……僕はピアノで伴奏」


 僕の答えを聞いたすずが、途端に嬉しそうな表情になる。

 何度か僕の演奏を披露しているけれど、本当にすずは僕の演奏が好きみたい。


「そうなんだ! ……あの、わたしも文化祭見に行っていいかな?」


 おずおずと言った仕草で僕に確認してくるけれど、むしろ僕も誘おうと思っていたところだ。


「もちろん! 来てくれると僕も嬉しいよ」


 言葉と共に僕はすずに笑顔を見せるのだった。

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