第74話 急襲

「おっと、これは失礼。俺は黒塚くろつか耕平こうへい。こっちは妻の沙百合さゆりだ」


「はじめまして。沙百合です。……ところで――」


「と、父さん! 母さん!」


 秋田さんが微妙に固まって動けないでいるところに僕が割り込んだ。

 なんで予定より一日早く帰ってくるんだよ! しかもよりによって秋田さんがいるときに……!

 何かよくわからないけれど、やばい気がする! 目の前に秋田さんがすでにいるし、今更隠れてとか……!

 すでに手遅れではあるのだが、うまく思考が回っていない。


「おう、誠一郎か。久しぶりだな!」


 家の中から姿を現した僕に気付いた父さんが、軽く右手を上げて朗らかに笑っている。


「あらあら、まあまあ」


 母さんは相変わらずだ。驚いたような表情はまったくないんだけれど、驚いたような言葉がその口からこぼれ出ている。


「で、このお嬢さんはどなたかな? まさか一人暮らしだからっていきなり同棲とかではないと思いたいが」


 待ったをかける暇もなく、父さんが一気にまくし立てる。

 もしそうだったらいかんぞ、と咎めるような内容ではあるが、口元が笑っているし本気にはしていないだろう。

 だけれど。


「……」


 秋田さんは言葉も出ないようで、それはもう顔を真っ赤にして俯いている。

 うわ……、秋田さんが可愛すぎる……。いやいや、そうじゃない。


「ちょっ、違うって! 秋田さんはただのお隣さん!」


 精一杯否定するけれど、そんなことが父さんに通じるとも思えない。だからといって肯定するわけにもいかないが。


「……あ、秋田すずと言います。……隣の501号に住んでます」


 辛うじて自己紹介をする秋田さん。ただし、ただの隣人と言うにはちょっと難しい姿なのはしょうがない。


「おお、それはそれは。いつも息子がお世話になっているようで、ありがとうございます」


 対してバカ丁寧に父さんが返しているけれど、秋田さんを見る表情は僕に向けるモノとは違い、とてもやさしい笑顔だ。


「ありがとうね。すずさん。これからも息子を・・・よろしくね」


 エプロン・・・・をつけたままの秋田さんに、母さんも丁寧に挨拶を返している。


「はい。……よろしくお願いします」


 ちょっ! 秋田さんも何普通に返してるの!? いや、否定されても困るんだけれど、何か父さんと母さん勘違いしてるっぽいし!?

 しかもなんで嬉しそうなの!? えええっ!? もうわけわかんないよ!


「……あ、秋田さん! 今日はいろいろ手伝ってもらってありがとう! もう大丈夫だから。秋田さんも明日実家に帰るんだよね……」


 僕自身も恥ずかしくて居たたまれない気持ちになってるし、両親とのいきなりの対面で秋田さんもきっと居心地が悪いはずだ。

 実家に帰る準備もしないといけないはずだし……。とりあえず我が家はもう大丈夫だからということを伝えるんだけれど。


「こらこら、誠一郎。そんな追い返すようなことせんでもいいだろうに」


 だというのに父さんはまったく僕の意図をわかってくれない。まぁ父さんに期待はしていないけれど。


「そうよ、せいちゃん。せっかくいらっしゃってるのに……。ねぇ?」


「ちょっと、母さん!」


 ああもう! この年になってまで『せいちゃん』はやめてって言ってるでしょ!

 母さんは微笑みながら秋田さんに同意を取ろうとするけれど、秋田さんも頷かなくていいから!


「あははは! せいちゃん」


「秋田さんまで! その呼び方はもうやめてよ!」


 高校になってまでせいちゃんはない。止めてって言ってるけれど、母さんはたまにその呼び方で僕を呼ぶんだ。

 わざとやってるのか、小さいころから呼んでるから『つい』なのかはよくわからない。


「ええー、別にいいじゃない」


 秋田さんは嬉しそうにそう言うけれど、本当にそれだけはやめて欲しい。


「――あ、すみません。わたしの家じゃないですけど、どうぞ上がってください」


 断固反対を表明する決意をしていた僕だったけれど、秋田さんのその言葉に我に返った。

 そうだ。両親が帰ってきたんだった。たとえ両親と言えど玄関にずっとい続けさせるわけにはいかない。

 ……僕も病み上がりだし。


「はははっ、こりゃスマンね。誠一郎、気が利くいいお嬢さんじゃないか」


「だから違うって言ってるでしょ!」


「何が違うのよ、誠ちゃん」


 ニヤニヤと楽しそうに両親が僕に詰め寄ってくる。必死に否定する僕だったけれど、何を違うのかと説明しようとすると言葉に詰まる。

 父さんも母さんも何も言ってないからだ。危うく地雷を踏みかけるところだったと思ったけれど、危機を脱したわけではない。

 焦る僕を尻目に、秋田さんはスリッパを二足分用意するとリビングへと入って行く。


「本当ならお前の役割だろう? まったく……」


 父さんが僕に呆れるように呟くけれど、誰のせいだと思ってるんだよ!


「本当ねぇ。いいお嫁さんになれるんじゃないかしら」


 僕にだけ聞こえるように両親が呟くと、そのまま僕を置いてリビングへと入って行った。

 ええ、まったく。秋田さんがいいお嫁さんになれるのは僕も同意見ですけどね!

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