第3話 極彩色の香り

 テララの暮らす村、ティーチ村から北北西の位置に"ハリスの山"はある。早朝に家を出たとしても、大人の脚で太陽がだいたい真上にくるほどには離れた少々骨の折れる距離だ。

 そんな山へいつもテララは自身の身の丈半分の大きさにもなる籠を背負いながら陽気に鼻歌を交えて向かう。



「んーー! 雲も晴れていい天気っ! 今日は何だか良い物拾えそう! お姉ちゃんも一緒に来れたらいいのに。ああでも、小山についてもずっと日陰で休んでそう……。フフッ」



 大きく背伸びをして意気込む姿は実に快活的だ。

 だが、少女の暮らすティーチ村を取巻く一帯は決して生易しい環境ではなかった。日中は空から太陽が容赦なく照りつけ、大地は干上がり稲妻のようにひび割れている。かつては何かの造形物だったのか石造りの巨柱や巨壁がまるで地面に突き刺さるように倒壊し、風化によって表面が酷く削れている。木々と思わしきそれは外樹皮だけ遺し、時折吹く風に惨とした音を漏らす。人ですら在世ざいせが困難なことは言うまでもない過酷な世界が広がっているのだ。

 そんな死期が常に付きまとう荒野を、陽炎が踊りあの世へといざなう荒野を、意気揚々とテララは歩み進んでゆくのだから、ある意味そのたくましさの方が恐ろしくもある。まあそれも、テララたち一家だからこその才能であり、この世界、村で生かされる価値でもあるのだが。




 やがて平坦だった荒野も緩やかな傾斜となってきた。自然と上る脚にも徐々に力が入る。途中、ちょうど良い高さの岩に腰掛けては荷物を下ろして一休み。日除け笠の中から水袋を取り出し、両手で持って注ぎ口にしゃぶり付く。


「ふう。ちょっとだけ休もうかな。お水、お水……あった。いただきます」


 水袋はスクートスの胃袋をよく乾燥させ、石で打ちして栓をした物を活用している。繰り返し使えば劣化は進むので作り替える必要があるものの、保温性に優れ凍える時期には温めたミルクを携帯できる優れ物だ。唯一欠点を挙げるなら、今日みたいに外気があまりに高温だと臓腑の生臭さが内容物に付いてしまうことだろうか。

 それでも少女の気に留めない飲みっぷりはどこかあの姉を思わせる。清々しいの言葉がよく似合う。


「ご馳走様でした。今はこれだけにしとかなくちゃ。ん?」


 ふと視線を逸らした先に、中身が朽ちて筒状になって転がる細枝が目に留まった。水袋をまた日除け笠の中にしまってから、テララはそれをおもむろに拾い上げた。見た所、特にひび割れもなく、綺麗に中だけ空洞になってるみたいだ。

 うん。いい感じ。これならできそうかも。

 するとその枝を両手にちょうど納まるほどの長さに折り、樹皮を何箇所か器用に剥がして指を刺し込み穴を空けた。そして空けた穴を両指で塞ぐように持ち、筒の真ん中に開けた大きめの穴に息を吹き込む。

 細く吐き込まれた息は干からびた空洞を振るわせ、細枝の両端から少々侘しいが朗らかな和音が漏れ聞こえてきた。


「フフッ。出た出た良い音! 今日は上手く作れたかな? まだあと半部も道あるから、楽しまなくちゃね。さて、それじゃ行こうかな。出発う! おーー!」


 そう言って満足そうに荷物を担ぎ直すと、手製の枝笛の音を探りながら目的地へと再び歩き始めた。小山を目指して再出発だ。

 枝笛から流れる音はだいたいが音に成り損ねたものだったが、次第にコツを掴んでそれらしく聞えなくもなくなってきた。思いの外心地良いその音に、心なしか足取りも更に気持ち軽やかになる。

 ぐうたらお寝坊な姉を連れて来ていたらこうもなっていなかっただろう。きっと「疲れた」「喉乾いた」「もう歩けない」「帰りたい」の駄々をこねっぱなし。テララの手を煩わせっぱなし。その即興演奏を楽しむ余裕なんてなかったはずだ。そう考えると、意図せず今朝のスープを多めに用意したことは正解だったのかもしれない。


「ヘックション!? あああ……、お腹い痛いいい……。テララ、早く帰って来てくれないかなあ……。寝よっと……」




 それから間もなくして石段が備え付けられた少々急な斜面が見えてきた。それを登る少女の音色は一段と軽やかになり、大きな籠を弾ませて見る見るうちに石段を登ってゆく。

 そしてようやく頂上。辿り着いた壁の天辺で顔を見上げれば、極彩色に彩られた広大な小山の密集地帯がその眼下に広がり少女を出迎えてくれた。


「着いたあーーーーっ!! きれ----いっ!!」


 棗紫なつめむらさき、若草色、山吹色など、様々な色の小山がいくつも連なっている。小山の高さは大人六、七人ほどになるだろうか。その彼方には地平線を成すほどにとてつもなく巨大な大木、母大樹が見上げれどその頂上が空にかすみ見えぬくらいに天高く屹立きつりつしている。

 小山はその大きく広げられた枝傘の下に、まるで日差しを避けるかのように広がっている。


「んーーっ! ここの景色はいつ来ても綺麗だなあ。すうーー、はあーー。すうーー、はあーー。うん。空気も澄んでて気持ちいいーー! ようしっ! 今日もたくさん拾っちゃおっ! っと、その前に……」


 テララはその景色を堪能した後おもむろに荷物を下してひざまずき、両の手を母大樹にかざした。大気を胸一杯に吸い込み弾む鼓動を鎮めてから、その手を空に掲げるとそっと何かを包むように合掌。そして空に伸ばした両の手を胸元まで下ろし眼を閉じた後、合わせた手首を軸に左手を上下反転させ、両の手の平を左右それぞれの手首に添え、母大樹に深くこうべを垂らした。

 これは村人の仕来しきたりで、ハリスの山で拾集する前に必ず行う礼拝の動作だ。


「……母大樹様。どうか今日も少しだけお恵みをお与え下さい……。これで、よしっと!」


 小山では既に、何人かの村人たちが作業をしているようだった。

 その内の一人の老父が拾集する手を止め、汗を払いながらテララに声をかける。


「おーー! テララちゃん。今朝も精が出るねえ!」

「おはようございます! 何かいい物拾えましたか?」

「昨日、"オオフリ"があったらしくてな? いい肉がまだ残ってっから後で回ってみな!」

「本当ですか!? ちょうど欲しかったんです。ありがとうございますーー!」


 "オオフリ"。それは、不規則に訪れる母なる樹からの潤沢すぎる命の恵み。平たく言ってしまえば大拾集祭りだ。家庭を持つ者はもちろん、衣服の新調、家屋の修繕。食糧だけでなく日常生活に欠かせない材料を量、質を両取りしても尚余るほどの品々が山を成す一大事なのだ。

 それはもう食べ盛りの子供を抱える、もとい抱えているも同然なテララにとって、胸躍らせずにはいられないこの上ない催し事なのだ。その一報を知るや深緑の瞳を丸く輝かせ、テララは晴れやかな笑みを浮かべて老父の指した方へと駆けて行った。


「オオフリがあったんだ!? それなら新鮮なお肉に、木の実は一通り拾っておかないといけないよね! あと薪用の木もそうだしい。あっ! あとあとっ! できたら編み物用に麻も多めに採っておきたいなあ! フフッ。やったあ! さあ、今日は忙しくなるぞおう! がんばらなくちゃ!」




 まず訪れたのは若草色の小山だ。この小山では衣類や家屋の日除け、暖簾のれんなど、生活の至る場面で役に立つ麻を拾集することができる。

 使える手頃な麻を探しては持ってきた小斧で葉を削ぎ落し、そでたもとから紐を取り出してまめて籠に入れてゆく。普段と違い少し多めに拝借しても構わないものだから、どんどん麻束が積まれていく。


「編み物用にはこれくらいあれば十分かな。あとは……。お姉ちゃんの傷……。首も手も少し痛そうだったから傷当ても作ってあげなくちゃ。袖を長くして上げた方がいいのかな? それより何か上に羽織るとか? んーー。まいっか。こんなに綺麗な麻があるんだし、少しだけ多めに持っていこっと」


 朝食の支度さながらの手際の良さだ。その道、数十年の貫禄かんろくささえ伺えるが、それはまだ年若い少女には酷な褒め言葉だろう。言いかえるなら、お母さんも喜ぶほど上手だねと言ったところか。


 次に訪れたのは山吹色の小山だ。ここでは姉の好物のドゥ―ルスの実を拾える。手ごろな樹があれば、炉で使う薪用に小枝を拝借することもできる。


「ドゥ―ルスはこれくらいあればしばらくは平気かな。んーー……? お姉ちゃん、最近よく食べるし摘み食いもするの知ってるから、もう少し拾っておいた方がいいかも? ……あっ!? こんな所に! フフッ。よかったまだ咲いてた!」


 籠の中身を確かめていると、ちょうどその後ろ、朽木の脇に母の好きな黄色の花を見つけた。この花は水も少なく荒れ果てた地でもちゃんと育つ小さいながらも逞しい花だが、その数は決して多くはない。小柄であることもあって見つけられない日もままある。

 今日は本当についててよかった。

 テララは花も摘み採ることができて、稀にみる豊作にそれはもう上機嫌だ。

 小山を回りながら口ずさむ少女の音色に、すれ違う村人たちが微笑みかけてはお裾分けを宛がう。

 少女もまたお返しにと物々交換するものの、健気で可愛らしい娘に添える色は多く、テララの背負う籠の中は見る見るうちに色鮮やかに彩られていった。すっかり籠に積まれた拾集品は少々、いやだいぶ溢れて山となり小さな身体を右へ左へ揺するが、その表情は疲れ知らずかまだまだ晴れやかなものだ。


「今日もたくさんもらっちゃった。ハハハッ……。んしょっ。よいしょ。うんしょっと! ふう。あとは……、お肉も拾って帰らなくちゃね。さっきのおじさんの話だとこの辺に小山が……あった!」


 重みを増した籠を背負しょい直し、いくつか小山を越えていくと視界に棗紫なつめむらさき色の小山を見つけた。

 その山は手の平に収まる物から、赤子よりも少し小振りの肉の塊が無数に積み重なってできている。大小様々の肉塊は灼熱の日光に晒されてか、水気がほとんどなく、更に少しの下処理のあとしばらく天日干しにすることである程度保存の効く村人たちにとって貴重な蛋白源となる。このハリスの山の目玉だ。


「この辺に置いておいてっと。よい、しょっとお! ようしっ! それじゃあ始めちゃおうっ! がんばれ私っ! 待っててね、お姉ちゃん!」


 籠を小山の麓に起いて最後の大仕事だ。膝を支えながら少しずつ小山の斜面を登り、慣れた手つきで長持ちしそうな肉を探し始めた。コツとしては、日に焼かれ過ぎて黒く硬過ぎないもの。手に取って形が崩れ過ぎず臭いもなく、程良く柔らかさの残るものがテララ的オススメの一品だ。

 手頃な大きさの肉塊を両の手に取っては、目利きし比べ楽しげに袖の袂に一旦しまっておく。両方の袂が重たくなったら一度麓に下りて、籠へ拾った肉を移してから再度探しに小山を登る。

 すっかり太陽も天上まで登り、小山の肉塊もろともテララを容赦なく焙り続けている。汗が止めどなく流れ水を飲むのも忘れて仕事に励む少女から徐々に残りの体力を干上がらせていく。

 あと、少し。あと、もうちょっとだけ。




 拾集は上々。快調に進んでその小山の頂上まで登り着いた頃だった。


「…………Γι、……ΓιΓι……」

「……ん? 今、何か聞こえた……?」


 拾集中には聞き慣れない微かな異音が耳に入ってきた。

 何だろう。この感じ。

 不思議と耳に残るその違和感に思わず手が止まる。しかしそれ以上何かが聞こえることはなかった。


「何だったんだろう? 疲れちゃったせいかな? 次、下りたら少し休も――」


 気の所為だと肉の目利きに意識を戻し、次の獲物を拾おうと肉山の中へ腕を伸ばした次の瞬間だった。


 ――ナニカニツカマレタ。

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