第14話 銀眼の名

 テララは頬に手を当てては粥を掻き込む少年に負けず劣らずの唸り声を上げ、反対の頬にまた手を当てては唸り、それを繰り返す様はまるで紐に干されなびく衣服のようだった。

 これはまた長くなりそうだ。そう睨んだのか姉が鍋からお代りの粥をよそごうとしたとき、悩める少女に何やら進展があったようだ。



「…………ん? 何だろ?」



 頬に手を当てたまま未だ粥を貪る少年に向けられた視線の先に、何やら異様な物が映り込んだ。

 少年の右耳の後方、耳の付け根と髪の生え際のちょうど間の骨ばった辺りに汚れのような物が微かに見て取れた。

 銀眼の少年の身体を洗っていた際には気が付かなかった。テララは自分の不始末を責めつつ、白い髪を掻き分けその汚れを拭おうと指で払った。



「ちょっと……、ごめんね――」



 しかし、払い除けても尚、その汚れのようなものは少年の耳の付け根に依然として残ったままで、テララは無意識にその正体を探ろうと顔を近づける。



「ちょっと何々っ!? その子のこと真剣に考えてる内に、恋しくなって口付けでもしたくなったのっ!?」

「え……? えっあっち、違うっ! 違うったらっ!! み、耳の後ろに何か付いてるみたくて、確かめたかっただけだよっ!」

「なあんだ。つまんないの。いっそのことしちゃえばいいのに……」

「しっ、しないったらっ!? もう何言い出すのっ!! か、からかわないでよっ……!」



 予想外の胸昂る展開かと期待するも面白くも何ともない見当外れだ。そう愚痴りつつ粥をすする姉を横目に、一瞬高鳴った鼓動を落ち着かせテララは気を取り直して汚れの正体に焦点を絞った。

 その汚れのような物を確かめるべく、少年の右耳をそっと起こし、もう一度純白の髪を掻き分ける。



「……s……a? ……ス……ma? ス、スーー、スーー……?」

「今度は何を独り言ぶつぶつ言ってんのさ?」

「あ、うん。耳の後ろにね。汚れてるのかなって思ったんだけど、何だろ……字? 文字みたいなのが書いてあって……」

「ん? あんた、字読めたっけ?」

「うん。ご近所様との付き合いでね、数とか物の数え方とか。それくらいしか分からないけど」



 ティーチ村では文字はごく限られた人間だけにしか用いられていない存在だった。木組み工や皮細工など、主に村の中でハリスの山から拾集した材料を加工し、やり取りする人間が物事の覚え書きや伝達手段に使う程度だ。

 テララは日々の生活で村人たちと接する内に目にしたそれをわずかにうろ覚えだが覚えていた。



「んーー? 後ろの方とか潰れちゃってて分からないなあ。……s、ス、ソーー、m、a、マ? ソーー、……マ?」

「ソーマ? ふーーん。まあ、それでいいんじゃない? あんたにしちゃ頑張った方でしょ」

「…………ソーマ? ……ソーマ? 可笑しくない? 笑わない?」

「笑わない。と言うか……。その子もそれでいいって言うんなら、いいんじゃない?」



 最後まで面白くもなんともない。姉はそう言いたげだったが、珍しく茶化さず努めて自制して振る舞い、笑いのつまみによそった粥を詰まらなそうに飲み干した。

 一方のテララは、自分で考えた少年の名に自信がもてないのか、何度もその名を確かめるように呟いている。よほどピウの名付けの際はからかわれたのだろう。もう少し気楽に構えても罰は当たらないのだが。

 独り悶々とまじないを繰り返しているそんな少女の気苦労など知ることもなく、銀眼の少年、今や乳粥で顔半分を白く塗りたくった無邪気すぎるその人は、次の粥をねだるようにテララに椀を突き出した。

 そして、つい今しがた必死に呟き積み重ねた自信を後ろ盾に、意を決しその対応にいたいけな少女が臨む。



「テララッ! ゴッハン! ゴッハン!」

「へっ?! あっ、お代りね。い、今よそってあげるね。…………はい。溢さないように気を付けてね。……ソ、……ソーマ?」

「……s、ソ……マ?」

「あっ! やっぱり変だよねっ! ご、ごめんね! エヘヘ、すぐ考え直すね……!」



 意を決して発せられたその名に少年の顔からふと笑みが薄らぐ。

 いけない! その意図を瞬時に察し、テララは慌ててその呼び名の訂正を進言した。これまで少年を不快にさせたことはまだなかったはずだ。であればこそ、折角積み上げた好意的な印象を損なわないようにここは慎重に進めなくては。まだいたいけな親心には少々応えたのか、少女は胸元で両手を握りしめ込み上げる感情を押しころし再度思いあぐねている。

 そんな少女の気苦労にもとんと気付かず、その傍らで少年は勢い新たに粥を掻き込みはじめた。



「……ソ、マ。……ソーマ。ソーマッ! ソ、マッ! ソッ、マ!」

「ハハハハッ。本当に美味そうに食うね。よかったじゃない。その子、ソーマは気に入ったってさ」

「……え? いい、の? 嫌じゃ、ない?」

「ソーマ! ゴッハン! ソッ、マ! ソッ、マ! ゴッハンッ!」

「ソーマはあなたの名前だよ? ご飯じゃないからね? フフッ……よかった」



 自身の新たな名を連呼しながら意気揚々と粥を平らげつつ床を白く染めてゆく銀眼の少年、改めソーマの様子を目にし、胸元で押し留めていたものが温かみを帯びてゆく。テララの表情も次第に優しくほころんでいった。



「ひゃーーーー。新入りのことも済んだみたいだし、あたしはまた寝ようかなあ。ふああああ……」

「また寝るの? 寝るならちゃんと寝床にしないと。床だと身体傷めるよ?」

「……ここ、暖かいから……い、い……の……」

「もう、お姉ちゃんたら」



 姉はそう言って大きく背伸びをすや、首輪の付け根を二、三度掻き、炉を前に横ばいになり眠ってしまった。

 天窓からは淡黄に色付きはじめた空の色が漏れ込み、居間を柔らかに包み込んでいる。

 その日差しも今日は何だかやけに心地良い。そんな気がする陽気さだ。


 そうして、テララはいつもの調子を取り戻し弾みを付けて立ち上がると、自室から掛け布を持ち出しそれを姉にかけてやった。それから、まだ食事中のソーマの分を残し、すっかり空になった鍋と食器を水場に片付けはじめた。



「今日、この後どうしようかな? ご飯も済んだし。……ご飯? ……あっ! ピウちゃんの分、まだだったっ! いけないっ!」



 空腹を満たされ心持ちに余裕ができたのだろう。冷静に今日目覚めてから済ませたことと日頃の生活を照らし合わせ、その差異を洗ってゆくと、食器を洗い終えるよりも先にもう一人の家族のことを思い出した。



「ソーマッ! ピウちゃんにご飯まだあげてなかったから、私行ってくるねっ! ご飯そのまま食べてていいからっ!」

「……ソ、ハン?」

「混ざってる混ざってるっ! ご飯は食べてるそれで、ソーマはあなたの名前ねっ!」



 テララはそう言うと、足早にソーマの後ろを駆け抜け戸口をくぐって行った。

 洗い途中だった椀は水場に投げ捨てられ、慌しく雑多な音が水場に響くも、ソーマはそんなことは意に介さず一心不乱に椀にしゃぶり付いていた。






 階段を駆け下り爪先を基点に重心を反転させ、床下にうずくまる家族の下にテララは息を荒げながら駆けつけた。



「ピウちゃんっ! ごっ、ごめんねっ! ご飯っ、お腹、空いたよね? 今、あげる、からっ!」



 テララはピウの寝顔傍に膝を付き、精一杯の謝罪の念を込めてその頭に抱きつき甲羅を撫でやった。

 そして一息付く暇もなく立ち上がり、ピウの餌を仕舞った桶の蓋をどかし匙を急ぎその中へ突き立てた。



「よいしょっ、…………ん?」



 しかし、突き立てた匙から伝わる感触はいつものそれとは異なったものだった。その異様な感覚にはつい先度に身に覚えがある。

 違和感を確かめるべく餌桶の中を覗き込むと、その原因に少女の献身さも容易くくじかれてしまった。



「……嘘。どうしてこっちまで灰になってるの? ……石だけは、残ってるみたいだけど……どうしよう」



 餌桶の中はピウの好物の石以外、その全てが灰となり、乾いた音を立て掻き混ぜる匙を撫でてゆく。

 立て続けて起こる奇怪な出来事にテララは落胆し、無為に桶の中を掻き回す。不運というものは重なるものだ。

 待ち望んだ食事時だと重い首を持ち上げテララの背中を小突くピウの鼻先が何とも重々しい。



「……よしっ! ピウちゃん! 今日はご飯待たせちゃったから、そのお詫びね!」



 背中を弱々しく突く家族の方を振り向き、テララはその頭を抱きかかえそう言い放つと、はたと餌桶に向き直り石だけを灰の中から掬い始めた。

 そして、重みを増した匙を涎が滴るピウの足下まで運び、たんまりと石を盛ってやった。


 これまでに目にしたことがない大好物の山に、ピウも小さな耳を激しくはためかせ、その山に豪快にかじり付く。

 その目に見えて満足そうな様にテララは一旦胸を撫で下ろした。面倒を看る家族が一人増える先の苦労が早くも身に沁みそうだ。そんなふうに幸せの溜息を漏らすと、続けてピウが食事をする隣にもう二、三杯の好物を盛ってやった。



「今度、村の皆から分けて貰わなくちゃ。でも、どうしてこんなことに……」



 ピウに十分量の餌を与え終え、灰の謎が一層深まる中、テララはまた頬に手を当て唸りつつ居間に戻って行った。



「ふう、ただいま――」



 ひとしきり考えど灰の謎を解く手掛かりに心当たりなど当然なく、ただ無為に落ち込んでゆくばかりだった。そんな陰鬱な気分が次第に煩わしくなり、テララは努めて普段通りに戸口をくぐった。



「ただい……あ、フフッ。もう、行儀悪いんだから」



 持ち上げた視線の先では、炉を囲い横ばいになる影が二つに増えていた。

 ソーマは相変わらず顔の半分を粥で染め、片手を椀に突っ込んだまま、それはもう気持ちの良さそうに鼻孔を大きく広げ眠っている。その様子を改めて見ると、名前は乳粥から取った方が良かったかもしれないと思えてしまう。

 テララは水場から濡らした布を持ち出し軋む床に注意しつつ白塗りの顔に近づいた。それから、心地良い夢路を邪魔せぬようそっとその顔を丁寧に拭ってやった。



 お勤め後のいつも目にする光景とは少し違う。聴き慣れない、けれどもう十二分に愛らしく思える寝息が増えた。気にかかる不可思議なこともあるけれど、今はこの時に寄り添いたい。

 テララはソーマの傍らに落ちた掛け布を持ち上げそっとかけてやり、天窓から差し込む日の光で細くきらめく純白の髪を優しく撫でてやった。

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