第13話 三つの椀
「おいしそうな乳粥だね。はい、お姉ちゃん」
「おっほーー! 待ってたよーー! 飯だ飯だーー!」
テララは椀に粥をよそうと、まずは生唾を垂らし粥をよそう手元に今にも襲いかからんばかりに目が血走った姉にそれを渡した。忘れず好物のドゥ―ルスの実も添えて。年上でありながら無邪気に催促するその表情には、つい気を許してしまう。
これが毎度確信犯だとすれば、なんと欲に従順なことか。無意識だとしてもなんたる天性の持ち主だと天晴れにさえ思える。実に侮れない姉、その人である。
姉への憶測もほどほどに、次いで普段は奥に仕舞って使わない三つ目の椀に湯気に霞む粥をよそい、不思議そうにそれを見詰める銀眼の眼の前にそっと置いた。
「それから、はい、こっちがあなたの。少し熱いから気を付けてね?」
「テ、ララ……? ゴハ、ン?」
「そう。ご飯。お腹空いたでしょ? 沢山あるから一杯食べてね」
少年はテララの言葉にその銀の瞳を丸くさせ、床に置かれた椀をまじまじと見詰めている。
その微笑ましい様を横目にテララは自分の分をよそうと、少年の隣に座り直し静かに目を閉じ両の手を合わせた。
その様子を少し煩わしそうに姉も唇を尖らせながらその仕草に続く。
そして、姉妹は母大樹への礼拝同様に合わせた手首を回し、両の手の平を左右の手首に添え浅く礼をする。
「母大樹様より賜う御恵みに感謝を……」
「母大樹様より、たまうおめぐみに…………あーーっ! もういいでしょっ! 我慢できっ…………んっほーー! うんまひーー!」
「もう、お姉ちゃんたら、はしたないでしょ!」
「いふもやってないんだからいいれひょ。その子の前だからっへ変に格好つけうのやめはら?」
「そっ!? そんなことないもん! もーーう……、いただきます!」
我が家で面倒を看るならちゃんとしてあげないとだし。まだ歩いたり、話したりだって上手くできないくらい不自由そうなんだもん。かわいいとかそういうわけじゃなくて、ほんとにそうじゃなくて。私がちゃんとしてあげなくちゃって、ただそう思っただけだし。別に悪いことなんてないだろうから、意地悪言わないでよ。
胸の内を容易く見透かされてしまい、少々気恥ずかしそうだ。この家で唯一の良き手本と成り損ねたテララは、口を尖らせ粥を冷まし一口すすった。するとどうだ。弄ばれ拗ねた良心も口元と共にその柔らかい甘味にたちまちほころんでしまった。なんて温まる食事だろう。その小躍りしたくなるほどの食感を共有しようと銀眼の少年の様子を上目遣いに伺う。
「うわーー!? 本当にこの粥おいしいね! あなたもどう?」
期待を寄せ視線を投げかけたのだが、銀眼の少年は自身の腹に手を当てながら眉をひそめ、心なしか侘しそうな表情でテララの方を見詰めていた。
テララはふと何故食べないのか尋ねようと言葉を口にしかけたが、直ちにそれを呑み込み少年に優しく語りかけた。
「どうかし……。えっと、これはね。こうして
「ンーー……デ、キ、ル?」
道具を使うということが難しいのか、テララが粥を食べる動作を解きながら少年に見せたが小首を傾げるばかりで意図すら伝わっていないようだ。
テララは見兼ねて少年の傍らに寄り、その右手に匙を握らせてやった。次いで、匙を握らせたその手を掴みつつ粥を掬い、少年の口元までそれを宛がってやる。
しかし、されるがままの少年は口元に寄せられた粥を目の前に未だ理解が及ばず戸惑っているようだ。
「それをね、あーーんって、口をねこう、あーーんて開いて、食べるんだよ?」
「アーーン……?」
何度も隣で口を大きく開閉してみせるテララに促され少年はやっとその口を開く。
その瞬間を逃さぬようテララは透かさず、且つ驚かさないようにゆっくりとした手つきで掬った粥をその口の中へ運んでやった。
なんて微笑ましい光景か。そうしてその光景を横目に姉は粥を頬張っている。少しは姉らしく手伝ったらどうかと思うのだが、粥に埋もれた好物の実を探すのに夢中のこの人においては期待するだけ無駄か。
「口、もう閉じていいよ? そしたらね、あむあむって噛んでから、呑み込むの。ごっくん。できる?」
「…………ンッ!? ンーー!! テラッ……!」
「あああ、おいしい? フフッ、うんうん。でも、口に食べ物入れてるときは開けちゃだめだよ?」
口内に異物が接触するや少年の表情は瞬く間に晴れやかになり、銀の瞳を丸く輝かせ飛び跳ねんばかりに上体を揺すってみせている。
そんな感激の波に揺れ踊る銀眼の少年とは裏腹に、テララは少年の口から粥が零れぬように手を添えたまま、目の前で咀嚼し呑み込む手本を何とか解ってもらおうと苦戦している。一口の食事を教えるだけでも一苦労だ。
「フフフッ、おいしいね。おいしいね。そしたら後ちょっとだよ? 最後は、こう、ごっくんごっくんって呑み込むの。喉詰まらせないように気を付けてね? できそう?」
「ンーーッ!? ンーーッ!! ンーーッ!!!」
銀眼の少年は依然と上体を揺すったままではあったが、今度は素直に口を閉じ大きく何度も頷き
先日の傷は
やがて少年の大げさな咀嚼は止み、テララは添えた手を下ろしその口内の様子を伺った。
「どう? ちゃんと呑み込めた? あーーんって、口開いて見せて?」
「……アーーン?」
「って、ああああっ!? だめだめだめっ! お、落しっ! 落しちゃ……ったね。んーーやっぱり難しいのかな……」
つい今しがたの大げさな咀嚼の仕草は何だったのか。テララに催促され開かれた口内には、何ら形が崩れていない固まりのままの粥が舌の上に鎮座していたのだ。
更に不運な事に、これ見よがしに大きく開かれた口から折角の貴重な食糧が床に虚しく溢れ落ちてしまったではないか。
「……ブッ! アハハハハハハハハッ!! あ、あんたたち、何やって、ブグッ……! ウクッ! アハハハハハハッ!!」
「もーー。笑ってなんでお姉ちゃんも手伝ってよーー!」
「ハハハッ! ……へっ? んあーー、仕方ないね。……フフッ、じゃあ、ちょっとだけだよ?」
それまで黙々とドゥ―ルスの実入りの粥を頬張っていたかと思えば、姉は突然腹を抱え床に倒れ笑い転げた。
相当滑稽だったのか、これはまだ当分に笑いが納まらないだろう。けれど、途方に暮れ垂れた深緑の瞳に哀願され、姉は渋々知恵を貸すべく膝を付いて立ち上がり銀眼の少年の背後に回り込んだ。
「そんじゃ、もう一度この子の口に粥入れてあげな。そしたら上を向かせてやって」
姉の指示の通りにテララは再度少年の粥をその口に入れてやり、口が開かぬよう押さえたまま、頭を上に傾けてやった。一体、どうするつもりなのだろうか。
すると姉は両手を真横に広げ、静かに瞼を閉じた。
そして少しの静寂の間、事の行く末を思案するも、その答えが導き出されるよりも先に姉はその眼を見開くや指を鋭く立てて少年に襲いかかった。
「こうしてやればっ! 嫌でも、呑み込んじゃう、で、しょっ! それそれっ! こしょこしょこしょこしょーーっ!!」
「ンッ!? ンーーッ! ンンーーッ!!」
「ええええっ!? お姉ちゃん、ちょっと何してっ!!」
有ろうことか、姉は突然銀眼の少年の脇腹を尋常でない機敏な動作でくすぐりはじめたのだ。気が済むまで飯を
テララは突然の姉の技に弾き飛ばされすぐさま止めにかかろうとするも、何かを想起したのか顔が引きつり床に倒れたまましばし硬直してしまった。
「……ご、ごめんね……。私……、お姉ちゃんの、これ……。これだけは……、止めてあげられないよ…………。本当に、ごめんね…………」
しかし、テララのときとは比べ物にならない洗練された
「ンンンンッ!!!? ンンッーーーー!! ウンンッ!! ウンンッ!! ンッーー!? ウンンッーーーー!!!?」
そして、少年の声にならぬ悲鳴が炉の火が揺れる居間に虚しく響く中、周囲の者にも聞こえるほどに生々しい音を立て、ついに口内の粥が喉を流れて行った。
「……ングッ!? ………………テララッ! ゴハンッ! ゴ、ハンッ!」
苦しすぎる不幸中の幸いにしてようやっと粥の味を堪能し腹に収めることができた少年は、自身の腹に手を当て身体の芯にわずかに感じるその温もりに感動しているようだ。先程まで村の長に玩具にされていたというのに、なんと無垢な少年か。涙が出てくる。
その様子を見届けるや姉は満足げに元の席に戻り腰を下ろして
それと同じくして惨劇が去ったことにはたと気付き、意識を取り戻したテララも弱々しく座り直す。
「……も、もうお姉ちゃんたら。びっくりしたなあ……」
「ハハハッ。随分とうまそうに食べるじゃない。くすぐった甲斐があったよ」
「急にくすぐることないじゃない。喉に詰まらせたら危ないのに……」
「あたしの指に限ってそんなの有り得ないよ。何なら、あんたも試してみる?」
「い、いやっ!!!! 絶対っ、ぜーーったい、嫌だからねっ!!」
「アハハハッ。冗談だよ。じょーーだん。はあ、楽しかった!」
銀眼の少年はゴハンの意味を理解できたのか、不器用ながらも匙を両手で握りしめ、椀は持たずに床に置いたまま一心不乱に粥をその口に掻き込んでいる。
味覚を刺激するその味が相当気に入ったのか、咀嚼しながらテララを呼びその興奮を伝えようとするものだから、瞬く間に床が溢れた粥でご丁寧に白く飾られてゆく。
食事を喜んで食べてくれていることは素直に喜ばしいのだが、後片付けの事がやはり少々気にかかってしまいテララはやれやれと苦笑いを浮かべる。
「そう言や、ずっと気になってたんだけどさ」
「ん? どうかしたの?」
姉は満腹の快楽に誘われてか、身体を横にしあくび交じりに落ち付いた調子で問いかけてきた。
「その子、名前何ての? あんたさっきから名前で呼んでないでしょ?」
「あ、うん……。私も訊いてみたんだけど、答えてくれなくて……」
「答えてくれないんじゃなくて、その子、言葉知らないんじゃないの? 自分の名前、分からないんじゃない?」
「それは、そう……なのかな?」
「なら、あんたが付けてあげたら? 自分から話してくれるようになるまでさ。いつまでも、"あなた"じゃ呼ぶ方も困るでしょ。村のみんなに紹介するにもさ?」
姉の稀な改まった言葉に一瞬戸惑いはした。だが、テララも当初から同様の疑問を抱えていたこともあり、手に持った椀の粥を眺めたまま考え込んでしまった。
「先に言っとくけど、"カユちゃん"なんて可笑しな名前だめだかんね? あと"シロちゃん"とか? あんた、名前付けるの下手っぴなんだから」
「そっ、そんなことないもんっ!」
「そう? ピウの名前付けたときだって、確かあ……」
「んもうっ! その話はいいでしょっ! ちゃんと考えてるんだからっ!」
卵から
粥を掻き込みながらゴッハン。ゴッハン。と唸る少年の名前は果してどうしたものか。テララは銀眼の少年の横顔を見詰め思案に
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