魔王軍の広報担当
胡麻 団子
第1話
なんという異世界召喚。
鈴木カケル、25歳はそんなことを思った。
「無職童貞の俺はトラックに跳ねられたはずが、目を覚ましたらそこは剣と魔法の世界でした」
いま流行りの異世界召喚にカケルは巻き込まれてしまったのだ。
無職で童貞、そしてトラックに跳ねられたのだ。条件は整いすぎていた。異世界に召喚されないわけがない。
「そして、目の前のあなたは女神様」
眼前に佇む少女を指さしながら、カケルは呟いた。
少女は眉根を寄せ心外だと言わんばかりに答える。
「いや、魔王だが」
「あ、そっちのパターン」
確かに彼女を女神だと形容するには無理があった。
漆黒のローブに身を包んでおり、確かに少女は女神のイメージとはかけ離れていた。
フードを目深に被っているため、はっきりとはわからない。だが、フードの隙間から時折見える顔は、あどけなさが残るが非常に整った顔立ちをしているように思える。
美少女と形容してもなんら問題ないだろう。
こんなところでもテンプレ展開なのかと、妙に納得をしていると、少女が話しかけてくる。
「キミは、あまり驚かないんだな」
少女は意外だと言わんばかりに目をまんまるとさせる。
「何人かそちらの世界から召喚したんだが、みな一様に狼狽えていたぞ」
その狼狽えた者たちのことを思い出したのだろう。クスクスと笑いながら、ジッとカケルの様子を観察している。
「いや、まあ一般的ではないとは思いますが……」
頭をポリポリかきながらカケルは答える。
「俺たちみたいな人種にとっては、見慣れた展開というか……」
そうまさに異世界召喚のテンプレ展開。
何度も言うが、無職童貞でトラックに轢かれたと思えば、眼前には美少女。
美少女は女神ではなく魔王だというが、もはや魔王の側近になる展開も王道といえるように思える。
驚くべき要素がひとつもない。
カケルはオタクと呼ばれる人種であった。
このような展開、アニメやゲーム、ライトノベルで何百回と見てきた。
まさか自分が体験することになるとは夢にも思わなかったが、どうせ元の世界に戻ったところで何もない。現代の日本は、レールを一度踏み外してしまうと元の道に戻るのは非常に困難である。異世界に召喚されればな、と夢想していたぐらいだ。この状況はカケルにとっては願ったり叶ったりである。
問題は無気力な無職の25歳だということ。今までなんの努力もしてきたことのない社会のつまはじき者が、異世界にやってきたところで何の役に立つというのか。
しかしカケルに不安はなかった。
何故なら異世界に召喚されたのだ。いわゆる強力な能力というものを授かっているに違いない。
「それで、魔王様。俺に与えられた能力はなんでしょう?」
「うん?」
心底不思議そうに小首をかしげる魔王と名乗った少女。
「物凄く魔法の才能があるとか、剣術の才能があるとか、死んでも記憶引き継いで一から始められるとか、とにかくそういった反則的なチート能力ですよ! 魔法でそういう能力、付加して頂けたのでは?」
鼻息荒く捲し立てるカケルに、ため息をつく魔王。
「そんな都合のいい魔法があるなら、わざわざキミを召喚せずとも配下の者にかけている。それに我が魔王軍は精強な軍隊だ。素人は必要ない」
憮然たる面持ちで魔王の言葉を聞く。
なら目の前の魔王は何故、自分を召喚したのだろうか。なにかしらの能力がなければ自分などなんの役に立つというのか。それとも、ここから弱小モンスターに姿かたちを変えられて成り上がっていく物語なのだろうか。正直、それはめんどくさいな、なんて考えこんでしまう。
「うん、それなんだがな。キミを召喚した目的は我が魔王軍のイメージアップ戦略のためなのだ!」
どうだといわんばかりに、どーんと胸を張る魔王。
「いやなに、世界征服にのりだしたはいいんだがな? 我々が外を歩けばみんな逃げ出してしまってなー。始めは魔の時代来たる、なんて悦に入ってたんだが……」
魔王の話によると、この世界にはルールが定められているらしい。
恐怖や絶望、恨みや嫉み、そういった感情が人々を支配すると勇者と呼ばれる者がこの世界に生れ落ちるそうな。
この勇者というのは、カリスマ性に優れ、高い戦闘力を持ち、奇跡としか言いようのない超常現象を巻き起こすのだそうだ。
先代の魔王は国という国を滅ぼし、人という人を大量に虐殺していった。夜に明かりを灯せば、朝には無人の村だけが残る。人間たちにできることといえば、ただただ息を殺し、魔物に発見されないことを祈るのみであった。
その状況に、一人の勇者が現れた。
勇者は人間たちをまとめ上げ、魔王軍と戦い、ついには先代魔王の喉元に剣を突き立てるまでに至った。
「勇者が出現するのは不味い。だからな? 魔王軍はクリーンなイメージを持たせなければならない。魔王軍は汚くてダーティなもの、というイメージは過去のもの。これからは老若男女に愛される魔王軍でいかなければならない」
なんだか逆境吹き荒れるパチンコ業界みたいな話だとカケルは思った。
「そこでキミの出番だ」
どこでだ、とカケルは思ったが魔王が気持ちよく喋っているのであえて口を挟まないことにした。
「我々は人の機微に疎い。この前も道を歩いているご老体が重そうな荷物を担いでいたのでな。荷物を丸ごと燃やしてやったのだ。つらそうだったからな? 荷物軽くなるなと思ってな? そうしたら物凄い勢いで命乞いされてなー」
「当たり前やないかい」
カケルはツッコまずにはいられなかった。
「当たり前ですよ! そら命乞いだってなんだってするわ!」
「なー?」
「いや、なー? とか可愛く小首傾げられても」
「そういうところがな、我々には欠けているんだ。未だにあの時、どうすればよかったのか見当もつかん。人間の心とはなんと難しい」
なるほどこれは重症である。
「適当に歩いている人間を拉致してきても怯えきってしまいには白目剥いて気絶してなんの役にもたたん。だったらいっそのこと我々に悪感情を持たない違う世界の人間を召喚し、人間の心というものを学び、イメージアップ活動を行う広報官として働いてもらうのは? という意見がでてな。召喚してみた」
「そんな軽く言われても」
「まぁ、キミ以外にも何人か召喚してみたんだが、みな帰せ帰せとうるさくて敵わん。キミも帰せというなら帰してやるが、どうする?」
カケルの心は揺れ動いていた。
元の世界に帰ったところで仕事もなく、彼女もいない。父と母もすでに他界している。両親が残してくれた預金残高が減っていくのを眺めて、ため息を吐く日々。だからといって仕事を探そうにも、なまじまだ貯金があるので働く気もおきない。だがいつかは働かなければならないのである。しかし魔王軍などと給与も福利厚生もどうなっているのかわかったものではない。
強力無比な能力を授かったのであれば協力するのもやぶさかではなかったが、着の身着のままというと話は変わってくる。
目減りしていく預金残高以外に今のところ――色々なことに目を瞑ればだが――不満はないのだ。剣と魔法の世界、というのはセールスポイントではあるが、ウォシュレットもないし不便も多そうである。今の悠々自適の生活を捨ててまで、というと難しいところである。
むむむ、と唸っていると、
「あーちなみになんだが……」
心底申し訳なさそうに魔王は口を開いた。
「帰還させることはできるんだが、帰還場所と時間はキミがこっちに召喚された直後でしか戻れない。だから戻ってもキミ、鉄の箱が物凄い勢いで迫ってきてるから、どうだろうか?」
「いや、どうだろうか? とか言われても。つまりなんですか、俺は戻った瞬間トラックに跳ねられて死ぬんですか?」
「この世界で身体を鍛えればあるいは、ぶつかった衝撃を殺せるかもしれない。そもそもその衝撃を回避できるかもしれない」
「こ、こいつ……」
今まで散々、逃げられてきたらしい。イエスとしか言えない人間を見繕い、だからこそ事故間際のカケルを召喚したのだろう。かわいらしい外見だが、なるほど自分のことを魔王だと称するだけのことはある。悪魔のような女だとカケルは思った。
しかしながら、こうしなさい、と命令されたほうが悩まなくてすむぶん楽だとも思う。今まで散々流されるままに生きてきたのだ。今更、この流れに逆らうこともないのだろうとカケルは思い、この話を受けることにした。
「わかりました。微力ながら力を貸しましょう。広報の仕事はやったことありませんが、人の心の機微とやらなら、俺でもお力になれるでしょう」
「おお、やる気になってくれたか!」
どの口がいうのか、と思ったが話がこじれるのも面倒だと思い、ぐっと堪える。
「あーそれで魔王様。俺はカケルといいます。鈴木カケルです」
お互いに自己紹介もしていないことを思い出し、カケルが右手を差し出す。
だが、魔王はその行為の意味がわからず、じっと右手をみつめている。
「これは人間たちが行う挨拶の一つです。魔王さま、俺の手を握り返してください」
「ふむ? こうか?」
恐る恐るといった表情で魔王が、カケルの右手を握りこんだ。
「おお! 確かに人間こんなことしてたかも!」
「これを我々は握手、といいます」
「握手? なるほど握手か! よろしくカケル! 私は魔王メリサリムだ!」
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