月下の守護者

酔梟遊士

第1話

「間もなく日没の時間です。出来る限り外出は控え、外にいる人は暗い場所には近付かない様に気をつけましょう」


 日没後の行動を制限する防災無線が、至る所で繰り返し流れている。


 夜の世界は人間の時間ではなくなりつつある今、それはすでにこの世界にとっては当たり前の事であった。


 その防災無線を、私立明月みょうげつ学園高等部の教師である三田村 香織みたむら かおりは、病室で聞いていた。


 香織は病室のベッドで横たわっている飛沢 京子とびさわ きょうこに、京子の息子である高校1年生の隆輝りゅうきをスカウトに来た旨を伝えるが、京子は一通り香織の話を聞くと、申し訳なさそうな表情を見せる。


「その話ですが、やはり私には決められません」


「そうですか」


 香織はそう答えるも落胆した様子はなく、むしろ京子の答えも十分予測出来ていたものであった。


「三田村さんのお話は、あの子、隆輝の為を思えば、すごく良い事だと思います」


 そう言いつつも、京子は大きく溜息を吐く。


「私がこんな身体なばかりに、隆輝は自分のしたい事も我慢して、家の事や妹の面倒をみている状態ですから、尚更です」


 京子の表情は、それまでの弱弱しいものから一転し、力強い眼差しで香織を見る。


「だから、私は隆輝の意志を尊重します」


「つまり、隆輝君に決めさせると?」


 香織の言葉に、京子は静かに頷いた。


「分かりました。もし隆輝君がこの話を受けてくれるなら、我々は全力でサポートする事をお約束します。お休みの所、話を聞いて頂きありがとうございました」


 香織は深々と頭を下げると、静かな足取りで病室を後にした。


 その後、香織は一軒の中華料理屋に向けて車を走らせる。


 年間を通じて滅多に雪も降らない地方とはいえ、まだ2月の終わりという事もあり、店に到着し車から降りると寒さが身にこたえ足早に店の中に入っていった。


 店内には店主の他には男性客がカウンターに2人いるだけで、香織はセルフの水を用意すると、他の客と距離を置いてテーブル席に座わる。


「飛沢隆輝君はいらっしゃいますか?」


 注文を取りに来た店主は、その言葉を聞いて怪訝そうな表情を見せる。


「えっと、あんたは?」


「申し遅れました」


 香織は店主に名刺を渡すと、そこには「私立明月学園高等部 教諭 三田村香織」と記されてあった。


「学校の先生? にしても聞いた事のない学校だけど、一体」


 名刺を見た店主は、そう言いながら眉をひそめる。


「今年度開校したばかりの、東京の高校です」


「東京の?」


「簡単に言えば、隆輝君をスカウトに来ました」


「スカウト? と言うと剣道の」


「そうですね」


 香織の返事に、店主は打って変わって笑顔を浮かべた。


 隆輝が高校を入学して間もなく、母親の京子が倒れてしまい、その後隆輝は家計を支える為に、学校が終わると伯父が店主を務めるこの店で働いている。


 その影響で幼い頃から続けていた剣道も止めてしまったという事を、店主は目に涙を浮かべながら香織に話すが、香織にとっては、それらの事は既に調査済みであった。


「そうですか、ちなみにスカウトというと、経済的なものも面倒見てくれるんですかね?」


「もちろんです」


「そりゃあ良かった。あいつも昔父親を亡くしてから、母親共々苦労続きだから」


 店主は涙を流しながら、自分の事の様に喜ぶ。


「あっ、隆輝の奴は今出前に行っていて、もう少ししたら帰ってくると思います」


「そうですか」


「何か作りましょうか?」


「そうですね、じゃあ隆輝君が帰ってきてから一緒に食事を取りたいのですが」


「いいですとも」


 香織がしばらく待っていると、やがて店の前に1台のバイクが止まり、少年が店に入ってくる。


「只今戻りました」


「おう、隆輝。お前にお客さん」


 店主が香織を紹介すると、隆輝は香織に頭を下げる。


 香織は隆輝に名刺を渡し簡単な自己紹介を終えると、隆輝を自分の向かいに座らせる。


「じゃあ、食事をしながら話をしましょうか」


 そう言うと、香織は店主に注文を次々と告げていく。


 その量に隆輝が遠慮しそうになると、「男の子なんだから」と言って更に追加で注文し、テーブルの上は2人分とは思えない料理が並んでいった。


 その間に他の客は帰り、店主も料理を作り終えると2人から離れた客席で備え付けのテレビを見ている。


 香織は店主にも話に加わるか尋ねたが、店主は隆輝が決める事だからと言って、それ以降は関心すら示さなくなり、この点は母親である京子と同様の気質を持つ人物だと香織は理解した。


 食事を取りながら香織は隆輝に、昨年開校した明月学園に奨学生として迎え入れたい事を伝えるが、隆輝は急な話という事も相まって香織の話に驚きと戸惑いを隠せずにいる。


「驚くのは無理ないわね。あなたは中学の時に全国3位の実績はあるものの、今は家庭の事情もあって剣道を辞めてしまっているのだから」


「そんな事まで知っているんですね」


「まあ、勝手に調べられたら、良い気はしないわね。その点については謝るわ」


「いや、むしろ驚いてるだけですよ。ただ中学の時の全国3位ってのは、まぐれですよ」


「それで、未練はないの?」


 香織の問いに隆輝は、意外にも笑顔を見せる。


「未練とか後悔とかは、考えないようにしているので、正直、そんな余裕も無いですから」


「随分、物分りがいいのね」

 

 香織の言葉に、隆輝の笑顔は苦笑に変わった。


「先に言っておくけど、もし来てくれるなら学費や生活費はもちろん、お母さんの治療費や妹さんの生活費も負担するわよ」


 隆輝はその言葉に、自分の心が揺らいでいる事を自覚する。


「け、結構な待遇なんですね」


「そうね、でもそれはあなたの価値に見合うものだと思っているわ」


「俺の価値」


 隆輝はそう口にしたまま考え込む。


 結局、その場では香織も結論を急がなかった為、話はそこで打ち切られた。

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