第二章二

ウレタカジツ(1)



 元治元年二月



 雪解けの始まる京の町では、大地の底に眠る息吹が、一足先に春を告げようとしている。


 湿った土から頭を窺わせる雑草を見つめながら、鈴音は大きく伸びをした。

 心地よさ以上に痛みの方が体を巡るが無理もない。普通の者が凝り固まった体とは訳が違う。


 本来ならば人の子が存在できぬ長い年月を今世で過ごしているのだ。彼女の体も普通であれば、その歳月に堪えきることはできない。 元々は人の子であるのだ。

 そんな彼女が時を陵駕するということは、

世の理に反した状態にいるということ。痛みの感覚が人より強く、怪我の治癒が遅いのもそれに伴うものなのだろう。


 じんわり痛みを残す体を慰めるように、鈴音は自身の肩に手を乗せた。

 柔らかな日差しを眩しげに迎えていると、その光に被さるよう、待ち人が姿を見せる。



「こんなところにいたのか。

待たせちまったな。

思ったより時間をくった。」



 後光を放ちこちらを見下ろす土方に、鈴音は小さく肩を揺らす。



「……何だ。」



 不機嫌そうに眉根を寄せる彼に、何でもないと鈴音は手を振る。



「まぁ良い。

戻るか。

今後の事も考えてかなきゃならねぇからな。」



「今後のこと。」



 小首を傾げる鈴音。



「屯所を出る前に話しただろ。

何だ、呆けてんのか。」



「あぁ、霊力の鍛錬のことか。」



「そうだ。

そのためにここまで来て、お偉方に話しつけてきたんじゃねぇか。」



 歩き出す広い背を鈴音は追う。


 長く待っている間、土方の言うように呆けていたのかもしれない。霞の向こうに消えた記憶を探りながら、彼女の足は土方の二・三歩後をついて行く。


 極秘扱いの妖物退治の任であるが、幹部や一部の隊士だけにその事を口止めさせておくにも限界があった。

 それだけでなく、妖物と対峙した際、一々鈴音を待つことも効率が悪い。

 攘夷浪士を見かけてすぐに抜刀ができるのと同じように妖物とも向き合えなければ、彼らはいつでも後手に回らなければならないのだ。


 鈴音の条件と土方の求めるところは端から一致している。それを実行に移していくため、今日は会津のお偉方に話をつけにきたのだ。 隊全体で情報を共有し、任務に励むために必要な霊力の鍛錬。


 それらの許可を得るため、単身土方は頭の硬い役人達の邸に乗り込んでいたのである。


 小姓として鈴音を同行させはしたが、門扉を越えることを許されず、仕方なしに彼女は屋敷の側で時間を潰すことになったのだ。


 一室、宛がってくれても良さそうなものを、と鈴音は思いながら土方を見送ったが、それが本来とは違う待遇であるのだと、後に察する。


 土方を誘って行く者も、門に立つ者も皆、二人を見下すような蔑みの笑みを薄く顔に貼り付けていることに気がついたからだ。

 這い上がってくる者にも、身分が低い者にも厳しい時代なのは、いつの世も変わらない。


 下卑た嫌がらせをして楽しむ者が、武士の誇りだと宣いながら、肩で風を切って歩く。


 下を知らぬから上だけが大きくなるのだろうか。


 辿った記憶には忘れていても良いことが付随していた。鈴音は息をつく。



「うまく言ったのか。」



「……一応はな。

これまでの妖物退治の実績を買ってのことだとよ。


……にしても一々鼻につく言い方しやがる。」



 土方は口には出さないが「許可する」という短い言葉を貰うまでの間に、余計な言葉が多くあったのだろう。

 与えられた職務を全うするための策だというのに、何故不要な言葉を貰い、相手の様子を窺わねばならぬのか。


 前から伝染する煮え切らない一物を、鈴音が持て余していると、呑気に談笑する同心達とすれ違う。


 腰に差した刀に視線が引かれる。


 手入れの行き届いた綺麗な刀に、鞘袋にしっかりと包み込まれた刀。

 まるでそれらが高潔な魂だと謳わんばかりの美しさや装飾に、鈴音は辟易とした。


 刀の意味を、武士たるものの意味を失った彼らに何が斬れ、何を守れるのだろうか。


 抜き時も知らぬ刀はただの刃物でしかなく、それを扱う人もまた、木偶と同じ。


 泰平という城は蟻地獄と背中合わせの代物なのだ。

 鈴音が左手に握る刀に下げられた鈴がころころと笑う。



 どんっ。



 音に気を取られていた鈴音は、立ち止まった土方に気がつかず、そのまま背にぶつかって行く。



「んだよ。」



 顔を上げると土方の横顔が覗き見えた。何かを深く考え込むようで、気重そうな表情を浮かべている。



 何があるのか。



 鈴音が問いかけるより前に、土方が彼女を僅かに振り返り口を開く。



「もう一ヶ所、寄らなきゃならねぇとこがあるんだが。」



「どっちだよ。」



 鈴音は、前方の分かれ道を見ながら尋ねた。

  

 

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