第二章 ツギハギ(51)
風が吹いていない。
障子戸が、かたかたと音を鳴らさない静かな夜であったが、冬夜のじんとした寒さに変わりはなかった。体を真っ直ぐに突き抜ける寒さ。独り寝だともろに伝わるところだが、その身を人肌に包まれて体を横にしている沖田は、温かさを感じている。
顔を上げると静代が規則的に息を吐きながら眠っていた。こんなに静かに眠っているのに、直に盛大な寝息に変わるということを、沖田はこの部屋に来た三日目に確信した。
誰かと眠ることは嫌いではない。
嬉しい。
そう思えるが、毎夜毎夜必ずやってくる真上からの騒音は、静代からの誘い寝を沖田に渋らせた。
眠れない。
いずれやってくるいびきを気鬱に思い、睡眠が訪れない訳ではなかった。明日のことを思うと固い心が柔らかさを覚えたように弾む気がする。そのしなやかに飛び跳ねる気分が、彼の睡魔を追いやってしまうのだ。
眠い気はするのに。
沖田は小さく息をつき、静代の腕の中で寝返りを打つ。背を向けていた障子側に顔をやると、月明かりが薄紙越しに入り込んでいるのが見える。青白く浮かび上がるような白の光の下。こちらに背を向けて鈴音が横になっている。
夜目のきいた目で華奢な背を見つめるが、彼女は微動だにしない。
頭上から唇を鳴らすような寝息が聞こえ出す。
沖田は、そっと静代の腕から抜け出した。衣擦れの音がなるべく立たないように、そろりそろりと膝を滑らせながら、鈴音の褥に近づき回り込む。
閉ざされた切れ長の瞳から伸びる睫毛、解かれたままに投げ打たれた艶やかな黒の髪、血色を忘れた白い肌。鈴音の全てに月の光が落ちている。吸い込まれるように手を伸ばした沖田は、掛け布団を持ち上げその中に身を滑り込ませた。
冷たい褥であった。
隙間風が入り込む障子の側ということが理由だけではない、そんな冷たさに童は身震いする。
同じ時分に褥に入ったというのに、静代の所と比にできないほど温度がない。
布団に使われている綿が違うのだろうか。
沖田は敷き布団を撫でたり握ってみるが、さほど違いは感ぜられない。
体中を駆け巡る寒さに、小首を傾げるよりも先に肩がすぼまった。小さな身を更に縮めた童の体が、雪のような手に引き寄せられる。
はっとして沖田が顔を上げた頃には、もう真上に鈴音の顔がある。
自身を見下ろす切れ長の瞳。
柔い眼差しを送る瞳に、沖田は慌てて視線を反らす。
同時に、体を包む寒さが蘇ってくる。静代の体は温かかったが、鈴音はどこにも熱を感じない。
「あいつと寝てた方が良いってのに。」
呆れを含んだような鈴の音が聞こえる。追い返されたくなかった沖田は、ずるりと体を引き、綿でできたかまくらに顔を埋めた。
「ま、無理もないか。」
化け物の咆哮を思わせる鼾を背中に聞きながら、鈴音は童に布団をかけ直す。彼の顔が出るようにかけてやると、自身の胸元までが剥き出しとなるが、彼女は気にも止めずに手枕へ頭部を乗せた。頭の重みに腕がじんわりとした痺れを訴えてくる。
こんな体勢でいると寝てしまう。
寝てしまえば逃れられない悪夢が待っている。
睡眠を取ることなど、自分にとってはもう何の意味もないのだから、起きて部屋をこっそり抜け出したい。だが、悪夢を見てしまうことより、静代を困らせたり悲しませることの方が身に堪える鈴音は、大人しく布団に入って人らしい生活に倣っている。
冬でなければ、障子戸を開けて外の景色を楽しめるが、背中で鼾をかく侍女は、寒さも暑さも分かってしまう。鈴音一人でない限り、凍傷や凍死を引き起こすような物見はできもしない。
閉ざされた外、雪は降っているのだろうか。
大きな雪なら影で分かるが、小さく間のある雪なら、影にもならず密かに降りてくる。
鈴音は障子戸を開けてみたくなった。
ほんの少しだけ。
すぐに閉めれば良い。
布団から手を伸ばすが、障子には届かない。もう少し近づくため、横になったまま体を前のめりに動かすと、布団の中で動く物に胸元が触れる。
障子を掴むことを諦めた手は、小さな侵入者の肩へ乗せられた。
「寒いだろ。」
肩を優しく撫で下ろしながら尋ねてみるが、思った通り返事はない。
夜長にはつれない相手だと思いながら、自身もそう変わらないかもしれないと、鈴音は胸の内に苦笑をこぼす。
眠れぬ童は何をしているのだろうか。
気になった鈴音が視線を下に向けると、沖田の頭が見える。
さっき動いたのは寝返りだったのだろうか。
彼の目線が見えるように、そっと自身の頭の位置を動かしていく。
やはり童の目は開いていた。大きな目は、時たま瞬きをさせながら、鈴音の胸元をじっと捉えている。
何か付いていたか、と気になった鈴音は沖田の目線を追ってみた。
すると彼女の胸元の合わせた部分から、古ぼけた組紐が身を覗かせているのが見える。
鈴音が片時も離さずに首からかけ入れている紐であった。それが沖田の好奇心をくすぐりはしたがためらいの分の方が多く、手に触れたり尋ねるまでの衝動を起こすには至らないでいる。
童は仕方なしに好奇心の波間に佇んでいた。
鈴音が合わせから飛び出た紐をつまむ。
突然の視界の変化に、沖田の瞬きが少し多くなったが、肩を跳ねさせることはなかった。彼自身も、鈴音が見ている気配を感じ取っていたのかもしれない。
沖田が見守るなか、彼女はその組紐を外に引っ張り出す。
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