第二章 ツギハギ(41)



「なんだ。

まだ何かあるのか。」



「障子が壊れてんだけど。

役立たないくらいに。」



 無表情ではあるが穏やかさの感じられる弛みがあった土方の顔が曇りを見せる。



「こないだの軒の件と言い今度は障子か。何て説明すりゃ良いんだ。」



 苦い顔でぶつくさ小言を並べる土方。

 戦いにおいて必要となってしまった破損なのだ。それは仕方がないことを、彼は重々承知している。


 そのことで鈴音を責めるつもりは毛ほどもないが、現段階での新選組の屯所は仮住まいの元になされている。言い換えれば借り物の住まいを屯所に用いているだけなのだ。それをことあるごとに壊しているということが、彼の口の中を苦くさせていく。


 こっそりと修繕して何食わぬ顔で過ごすことは穏便な解決には繋がるが、無意識に居心地の悪さを感じてしまいそうなため得策とは呼べない。


 どんな形ではあれ、世話になっている以上は、できる限り誠実であらねばならない。


 土方が思いを巡らせていると、


「あたい、謝ってこようか。」と、しおらしげに鈴が鳴った。


 切り揃った前髪の下から覗く彼女の眉は、申し訳なさそうに額の上に座っている。粗雑な言葉遣いに反した声音の神妙さが、土方は可笑しく思えてならなかった。



「……おい、なんか笑ってねぇか。」



「そいつぁ、お前の気のせいだろ。」



 抑えられない口元の弛みを隠すように土方は頭を振りながら、胡座の膝に肘をつき、拳にこめかみを預けた。


 自然と鈴音を見上げるような体勢になっている。日頃とは異なる景色に、お互いが言葉もなしに見つめ合う。橙の色味がほのかに映る土方の瞳は、潤みを多く含み艶っぽい。


 火鉢を一つ。


 膝頭の合間に挟み置くだけの距離に、鈴音は先刻の息苦しさを思い出す。殊にこの男にこんな姿を見せられた時は、必ずと言えるほど、顔に紅葉が散りばめられそうになった。


 鬼面を被り怖れられる男が、一人の人間に戻る様は容易に誰でもが見られるものではない。

 それを暴こうとする桃太郎や側近の子鬼はおろか、三尸(さんし)やそのほかの地獄の報告虫でさえ、見たことがあるのか疑わしく思えるほどである。


 だが、この男は質が悪い。


 自分を見上げてどこかはにかむような笑みを浮かべる土方が、鈴音は腹立たしくなってくる。

 それは面を外したということに、本人が何の自覚も持っていないからだ。無意識のうちに人に戻るのである。


 特定の誰かに意図して見せようと人らしさ振る舞ったり、思考の末路に相手を判断し人の成りを見せようとして表しているのではない。


 当然、一つの組織を率いるだけの切れ者であることは違いないため賢いことも間違いない。だが、頭を使い選択を取捨していった先で、本人も気がつかないうちにその部分をさらけ出してしまっているのである。


 

 意識なしに振る舞われる人間らしさ。


 本能に赴いた動きは、独特の色めかしさを含んでいる。この男の甘えや繊細さという甘美な弱さが艶を引き立てていた。



 だから土方は性別問わず、惚れられやすいのか。



 鈴音は役者絵を切り取ったような美男子の顔立ちを食い入るように見つめる。


 出会った頃は覇王と似ている気もしたが、今ならはっきり違うと分かる。

 顔立ちや女に惚れられやすい点は酷似しているが、覇王は男を惹く魅力も無ければ、自然と女を熱に浮かしている訳でもない。



 自分を見せる術を心得ているのだ。



 だから鈴音は覇王に、特別何かを抱くことはなかった。

細工されたものの美しさなど感覚で知れているからである。



 何も言い出さない呆れを含んだ柔らかな笑み。



 鈴音に向けられた穏やかな笑み。



 静代が殿と呼ぶ男の笑顔が重なる。



 あいつも、こんな風に笑ったな。



 戻れない過去を偲ぶ気持ちに鈴音が激しく頭を横に振ると、腕の中で沖田が動く。



「お前が気にすることじゃない。」



 何のことか、と思い返していると、土方が言葉を続ける。



「そういうもんは、全部俺の務めだ。

お前は一々気にしなくて良い。

障子だの軒だの、くだらねぇことは考えず、お前はお前の務めを果たしてくれ。

妖物に関しては、お前だけが頼りなんだ、鈴音。」



「分かってるよ。」



 ほだされた心根を悟られないように、鈴音はぶっきらぼうに答えた。


 腕の中で沖田が大きく動く。


 知らぬうちに強く締め付けていたことに気づき、腕の力を緩めると童は元のように静かになった。



「総司は眠いからぐずってやがんのか。

ガキになっても、ぐずぐずうるせぇ奴だ。」



 身動きを大きく取ったため、鈴音がめくった時よりも褞袍から童の頭が覗いている。

 部屋が使えないのであれば、沖田を一晩自身の部屋で寝かせるしかないか、と土方が小さな頭を見つめていると、童の両の手が鈴音の着物をしっかり握り締めていることに気がつく。

 褞袍に隠されていた部分が多くさらけ出されているため、よくよく見つめてみると顔もぴったりと彼女の体に寄せられている。年相応な彼の様子に、近藤から聞かされた沖田の昔語りが思い起こされた。



「鈴音。」



「ん。」



「総司は、しばらくお前の部屋で世話してやれ。」



「は。」



 蝋燭の火に虫が焦げたのだろうか。じりっという音と臭いが部屋に漂う。



「近藤さんの部屋にと思ったが、さとりに狙われてんのが総司なら、近藤さんが危なくなるかもしれねぇ。

結界を張ったとはいえ、わざわざ危険に身を置く必要はねぇだろう。」



 確実に結界が破られないという保証はなく、土方の言葉には一理あった。さとり程度であれば良いが、さとりに笛を渡した何者かが、また入れ知恵をするかもしれない。そうなれば結界など、どの程度の役に立つのか。正体の知れないことが多く、それをはかることができないと思えた鈴音は「確かに。」と返す。



「だからって他の連中は、総司どころかガキの世話なんざできねぇだろうし、俺も忙しいんでな。

相手なんざしてやる余裕がねぇんだ。

近藤さんもお前に任せたいって、さっき言ってたろ。」



 近藤の赤くなった額が思い出され、鈴音はげんなりして見せる。



「それにお前の側に置いとくのが一番安全だ。

なんせ相手は妖物なんだからな。」



 すんと納得できなくはあった。



 できなくはあったが相手が妖物という言葉を聞くと、鈴音は頷くしかない。



「分かったよ。

ごちゃごちゃ色んな雑用増やしやがって。」



 面倒だと大げさに言いながらも、立ち上がると沖田をしっかり抱き直し、褞袍に頭をくるみ直す。

 文句だけであれば土方の眉根も寄っていたが、その動きを見ているとお得意のしかめ面も浮かんではこない。



「文句のうるせぇ小姓だが、あてにはしてんだ。

頼むぞ、鈴音。」



 鈴音は土方を一瞥すると、あからさまな溜息を部屋に残し去って行った。




















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る