第二章 ツギハギ(40)



「なぁ、起きてんだろ。」



 土方が返事をするより先に、障子が開かれた。



 普段はそんなことはしないはずだが。



 嗜めようかと思った土方ではあるが、一瞬垣間見えた鈴音の腕の中身に小言を忘れる。

 鈴音は後ろ手に障子を閉め、いつもなら自分では近づきもしない火鉢の側に腰を下ろした。

 蝋燭の薄明かりでも、互いの顔がよく見える距離感である。

 結われていない鈴音の髪は所々凍っているのか、霜のようなものが降りて見えた。腕や肩、褞袍の上にまばらな白が火鉢の熱に溶かされ水となっていく。



「何があった。」



 何かあったのか、と聞くまでもないことは状況から察することができた。


 鈴音が男装もせずに出歩いていること。


 沖田がその腕のなかにいること。


 雪のなかを出歩いていたのだろうということ。


 あげればまだ幾つか浮かぶ。だがそれだけでも、土方にすれば何かあったのだと思い切るには十分なことであった。



「さとりが攻めてきて、こいつが襲われた。」



 褞袍に包まれたものが、ごそっと動く。



「それで、怪我は。」



「ちょっと吐いちまったけど、多分してねぇんじゃねぇか。」



 鈴音は褞袍の山中を覗き込む。



「そうか。

お前はどうなんだ。」



 土方の言葉に、きょとんとした面持ちで顔を上げる鈴音。



「何が。」



「何がって、お前は怪我をしなかったのかと聞いてるに決まってんだろうが。」



 切れ長の目が更に丸くなったかと思うと、どこかよそよそしそうに、何もねぇよと土方に返してくる。



「それなら良いだろう。

で、どうすりゃ良い。

さとりを追うのか。」



「いや、直に丑の時になる。

どんな妖物も一番力を増す刻だ。

さとり自体は、そもそもが大したことねぇから追って始末しても良いんだが、あんまり騒ぐと関係ねぇ妖物まで悪乗りしてきて面倒なことになるかもしれねぇし、霊力のない奴らが変に障気あたりを起こして死人がでるかもしれねぇから。」



 鈴音が乾いてきた褞袍を少し剥くと、小さな頭が見えた。

 それは女の胸にぴったり顔を寄せ大きな動きを見せないが、生きているのが知れるくらいには動いている。



「俺たちみてぇなのは、迂闊に妖物退治に出られる刻じゃねぇってことか。」



「あぁ。」



 真っ直ぐ向けられる鈴音の瞳に、土方は分かったと答えるしかなかいように思えたが、何もしないということは沖田も元に戻らず、さとりに怯えて過ごさなければいけない者達も変わらずいるということになる。現状を動かせないもどかしさに、土方の眉根が勝手に近づき合う。



「あたい一人で行ってすぐに片付けることもできるけど、それじゃぁ意味ねぇだろ。」



「意味。」



 何のことだと問いたげな土方の物言いに、女の視線が僅かに逸らされる。



「ずっとこのままって訳にはいかねぇだろ。

あたいは何でも良いけど、本当は全部自分達で片付けてぇんじゃねぇのか。」



 逸らされた瞳の中で、燭台の炎がじっとりと燃えている。



「だからそうできるように。


あたいが知ってるもんも、見せられることも全部教えてやるよ。


お前らだけで妖物退治ができるように。


樹なんかに媚び売らなくても良いように。」



 炎を見つめていた瞳が土方へ戻される。しなやかな強さを秘めた眼差しに、鬼は射止められたように眼を動かせない。



「今は一緒に来たって何もできねぇだろうけど、そのつもりで来て肌で知ってもらわねぇと。

霊気に慣れるとこが、初めの一歩なんだからさ。」



 今ここにいる者が。



 新選組に手を貸す者が。



 覇王樹でなくて良かったと、土方は心から思った。


 この時ばかりは面倒ごとを鈴音に任せるような覇王の性格に、賞賛を与えたくなったのは言うまでもない。



「そうだな。

……鈴音。」



 童の衣擦れの音が大きく聞こえるなか、低く静かな声音に鈴音は耳を傾けている。



「お前で良かった。

この妖物の件に関して……。

出会えたのがお前で良かった。」



 鬼が頬笑んだ。



 寄せられていた眉根は元の位置に帰り口元が弛んでいる。


 鈴音は胸がぎゅっと締め付けられたような息苦しさを覚え、再び目を背向けてしまう。視界から優しげな微笑が消えたところで、残像が胸の苦しさを解放してはくれない。

 呼吸を乱させるその笑みが、今も自身に向けられていることを思うと、顔が熱を帯びた感覚を覚えてくる。



「どうした。」



 燭台の火が頬を染めていなければ、鈴音はその返答に困ってしまうところであった。



「別に何でもねぇよ。」



 そうずれてもいない沖田を腕の中に持ち上げ直す。先刻から顔を上げても来ないが、結界を張るためとはいえ、真冬の空の下に連れ出たことが気にくわなかったのだろうか。

 だからといって抱きかかえている腕の中から出ていこうとする様子もない。



 よほど怖かったのか……。



「この夜はどう明かせば良い。」



 頬の火照りをとうに忘れた鈴音が顔を上げると、いつもと変わらず仏頂面の土方がいる。その顔であるから、自身が先ほど覚えた息苦しさや胸のつかえを思い出すこともなく、女は口を開いた。



「もう入ってこれないように、ここ(屯所)の周りに結界を張ってきたから大丈夫だ。

さとりだけじゃなくて、大したことない妖物なら破って中に入ってこれねぇだろうし。」



 そうか、と返す土方はふと思う。



「それは、橋の魔の時には使えなかったのか。」



「いや……。

張るには張れただろうけど、あの時は獲物に対する執着心で、橋の魔の妖力が増してたから、張ってもどうせ破られてたと思うぜ。」



「獲物……。」



「お前だよ。」



 はぁっと、裏返り気味な声を上げた土方を冷めた視線が突き刺した。



「そいつぁどういうことだ。」



「お前、あの時怪我しただろ、橋の魔の攻撃で。」



 心当たりのあった土方は、どこか素知らぬ顔で黙ることを選ぶ。



「……。

それが印と同じ役目を果たすことがあるんだ。


だからそういう印をつけられた奴は、結界の中にいても臭いで向こうにばれちまう。


あのとき、微かにお前から妖力の臭いがしてたから、狙われるかもしれねぇって教えてやろうと思ったんだが。」



 いつ教えようとしたのだろうか。



 自身が怪我をしたという失態と恥は棚の上の上に押し上げ、過去を振り返ってみると思いつくことがあった。



「あぁ、あのとき……。」



 まだ繕い直しのされていないお古の着物。それに初めて袖を通した鈴音の姿が思い出された。橋の魔という妖物と実際に退治し、障気あたりをおこした連中を道場に並べて彼女に見せた際のことだ。


 道場を後にする雰囲気になったところで、鈴音が土方に何事かを問いかけたが、それを雑にあしらった自分自身が俯瞰的に思い出される。


 きまりの悪さを覚えた土方は腕を組み直しては、白々と咳払う。



「そんなこともあったかもしれねぇな。

忙しい毎日だ。

細かなことは覚えてらんねぇんだよ。」



「……お前さっき、あのときって言ってたじゃねぇか。」



「……。

言ったか。」



「あぁ、言ってたよ。」



 土方は天を仰ぐ。

 ほのかな暗さの中に何かが動いた。



 先ほど壁を登っていた家守だろうか。



 随分、高くに登ったもんだ。降ってこなきゃ良いが。



「おい。

それもう良いから。

別にだから何って話しをしてんじゃねぇんだよ。

んなこともあったなってだけだろ。」



 気配しか感ぜられない家守らしいものを見つめていた土方は、すぐさま顔を正面に戻してくる。



「あぁ、そうだ。

過ぎたことをほじくり返したって仕方のねぇことの方が多いからな。」



 いかにもらしい顔で頷いて見せる土方の様に鈴音は呆れた溜息を漏らす。

 その吐息が沖田の髪を揺らすと、童はこっそり視線を上げる。



「話しを戻すが結界を張って安全だっていうなら、総司を部屋に戻してお前も休んで構わねぇぞ。」



 沖田は自分の名前が上がると、すぐさま視線を下げ何事も存ぜぬふりを見せる。



「戻すって……吐いちまったから布団使えねぇんだけど。」



「一式くらい余ってんだろ。

あとで部屋に持って行かす。」



 鈴音は使い物にならなくなった障子が寝そべった部屋を思い返す。とてもではないがこの真冬に、風よけの障子もなくあんな部屋で幼子が過ごせるとは考えられなかった。



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