第二章 ツギハギ(16)

 閉ざされた部屋に鈍い光が入り込まなくなってどのくらい経ったのか。


 新選組一番組組長、沖田総司が部屋で障子を視界に映している。

どこか定まらない瞳は本当に障子を見つめているのか分かりかねたが、黒目の向きとして間違いは無かった。


 壬生寺の一件の後、幼くなった自分を抱き締め、近藤は大丈夫だからと繰り返した。



 何が大丈夫なのか。



 何故、見知らぬ人物がいるのか。



 どうして近藤は少し老けているのか。



 全てが自分の見知ったものとはことなっている。



 目つきの悪い男前が



「元に戻してやるから。」



 近藤達と帰る道、二人と二人に微妙な歩幅の差が出来た時、耳元で呟いてきた。



 自分は何かが違ってしまっているのだろうか。



 だから姉上に捨てられたのだろうか。



 全てが元に戻ったら本当の意味で、元に戻るのだろうか。



 色々なものを失ってしまっていることは、周囲の様子から何となく察することができたが、それらが全て戻ってくるとは、子供ながらに到底思えなかった。



 部屋が暗い。



 心の持ちようなのか、夕刻を過ぎたからなのか。



 そんな日常にとっては入りような全てが、どうでもよく思えた。



 どうせ、姉上は帰ってこない。



 自分に笑みを向け気遣わしい言葉を投げてくる、知ってる者も知らない者も、どうせ、自分を捨てる。



 ……近藤も……。



 近藤も同じだ。



 どうせ……どうせ、自分は……。



 沖田は頭を壁にもたれかけさせ、正座していた足をだらしなく崩す。



 姉上に捨てられた自分に同情心を向けて優しく振る舞っているが、あの男だって日々をともにすれば、嫌気がさしてくる。



 そうすれば、試衛館からも追い出されるのだろう。



 近藤は若先生だ。



 跡継ぎなのだから自分を追い出すことなんてたやすい。



 次はどこに行かなければいけないのだろう。



 小さな胸は、さらに縮んだような痛みを感じ苦しくあった。


 そんな胸に手を添えたところで、痛む箇所は奥の奥。


 届くはずもない。


 だから、自分で撫でて痛みを和らげてやることもできない。



 辛かった。



 大声をあげて喚き散らかしながら、辺りの物を投げ飛ばしたかった。



 でも、我慢しなければいけない。



 良い子にしなければ。



 長く道場に置いてもらえるように、良い子に。



 答えは出ているようで、出ていない気もする。出ていないのではない。腑に落としたくないだけだった。だから反発してしまう。


 何かを頑張って良い子にしたところで、結果は変わらない。何の意味も無いのである。捨てられることが分かっているというのに、そんな日のために努力をするなんて馬鹿らしい。


 だから、近藤にも反発してしまう。


 沖田の手から力が抜ける。


 壬生寺で女のような声と顔立ちの男に握らされた石が転がり落ちた。



 ずっと握っていたのだろうか。そんなことにすら気がつかないでいた。



 灯りを灯すためには動かせなかった体を、よいしょと動かし、畳に寝転ぶ石を握り直す。


 目当ての物が手元に戻ると気怠さが体を襲ってきたため、元のように壁にもたれ込んだ。



 手の温度を吸収した石は、ぬるかった。


 渡された時も、どこか温かいように感じたが本当のところは分からない。



 ただ、嬉しかった。



 集団の輪から外れた自分も貰えるとは思っていなかったから。



 近藤に反抗して距離を取った悪い自分が、皆と同じように特別に物を貰えるだなんて思っていなかったから。



 見えない隔たりから外に出てしまった自分のことなど、忘れてしまっていると思っていたから。



 いや、覚えていたとしても、若先生に歯向かった悪い子に、気持ちなど向けてもらえるはずがない。



 そう考えながら妬ましい色を含め、はしゃぐ子供達を見つめていた。



 けれど……。



 力強く握りしめると、硬い石の感覚がはっきりと伝わる。


 何も咎めずに、他と平等に扱ってくれた。忘れることなく気にかけてくれたあの女のような男。


 昔の姉上のように優しく思えた。



 それに……。



 きっと庇ってくれたのだ。



 男のような女が、奇妙な子供に童を投げつけた時のことを思い出す。見ず知らずの化け物のような顔の子供にまで、自身の存在を否定されたのだ。


 堪えきれない涙が溢れそうになった時、男女と目があった。

一瞬ではあったが、はっと顔を引きつらせたように見え、その直後のことである。それが童を投げ飛ばして子供に向かって行ったのは。



 勘違いかもしれない。自惚れているだけかもしれない。



 決めきれなかった。どちらであるのか。


 掌の硬い痛みがそれを邪魔するのである。



 もしこれがなければ、全て気の迷いだと即断できたのに。



 沖田は壁に頭と体を擦り寄せる。痛いぐらいに押しつけた壁の感覚が心地良く思えた。



 頑張れば、ずっと置いてもらえるのだろうか。



 努力すれば、必要としてくれるのだろうか。



 愛嬌があれば、愛されるのだろうか。



 それができれば、もしかすると姉上だって……。



 うつろいが消え去らない沖田の瞳は、ゆっくりと瞼の奥にその身を潜ませていった。








 




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