第二章 ツギハギ(12)

 近藤と土方に揺さぶられ、子供達は順にそのまぶたを開いていく。


 太陽に輝く朝露のような瞳が並ぶ。


 きらきらとした眼玉は、白玉と比するまでもなく美しい。



「あれぇ、何してたんだっけ。」



 目覚めた世界の輝きには先刻までの記憶がないようで、綺麗な音が聞こえたところから先は、誰もが小首を傾げている。



「あんな怖いことは、覚えていなくていいさ。さぁ、皆、今日はもう帰りなさい。」



 夕刻と呼ぶにはまだ早い刻限ではあるが、鼠の群れを閉じ込めたような空が、辺りを薄暗くさせている。



「えぇ~まだ遊びたいよ。


雪合戦の途中なんだよ~。」



 おじさん達も遊ぼうよ、と、近藤の袖や袴を子供達が引く。


 鈴音は、ふと沖田の姿を探す。


 人の円から少し離れたところで、こちらをじっと見つめる童子を見つける。


 丸く膨らんだ子供らしい頬が涙で汚された様子はなかった。

 瞳に溜めていた滴は乾いたのか、それとも溢れる前に拭ったのか。


 どちらにしても、滴を溜めてしまうような気持ちになったことに違いは無い。


 どの言葉だったのか。


 鈴音には沖田の心根を計り知ることはできないが、何かが心を抉ったということだけは見て取れた。



「おい、いい加減にしろ。」



 静かに怒る鬼の声音に視線を戻す。



「さっさと帰れつってんのが分かんねぇのか。」



 近藤を取り囲みはしゃいでいた子供達が息を呑む。


 怯える子供をこのまま叱りつけても泣き出すのが始末だろう。泣いて逃げ出してくれれば良いが、留まりでもされたら面倒である。


 鈴音は溜息をつきながら、身を寄せ合う子供達の前で腰を低くした。

 胸元の袷に手を入れ、人型に切り取られた紙を取り出す。数えると子供の数ちょうどだった。



「ほら。」



 それを一枚ずつ、童に差し出すと誰もが素直に手を伸ばす。


 鬼への恐怖より、興味の方が勝っているのだろう。



「なに、これ。」



 配り終えた鈴音は腰を上げる。



「それは……。

あ~、それは不思議な紙だ。」



「不思議な紙ぃ。」



 不思議という言葉を純に受け止められる齢の子供は口々にはしゃぐ。



「うっせぇから一々騒ぐんじゃねぇよ、クソガキが。」



 頭を掻きむしる鈴音に、しゅんとした空気が返される。

先ほどの土方の一喝は、まだ尾を引いてくれているようだった。



「その不思議な紙は一晩だけ、望む夢を確実に見せてくれる術がかけられてある。」



「えぇ~じゃぁさ、お姫様になる夢も見られるの。」



「金持ちになれる。」



「腹一杯に好きな物食える。」



 結局、こうなるのか。



 各々が望む夢をそれぞれで語り始めたため、鈴音は聞こえるように声を張って続ける。



「ただし、ただしだ、おい、聞けクソガキ。


黙れ。


それは、皆に平等に使える紙じゃねぇんだ。


良い子にしか使えない紙だから、聞き分けが悪かったり、悪さするようなクソガキには逆に嫌な夢を見せてくる。


そんな怖い紙でもあるんだぜ。」



 えぇ~っと揃う声が、再びばらけていかないように、すかさず言葉を繋ぐ。



「だから、とびきり良い夢を見たいなら良い子にしてなくちゃならねぇ。


ってことは、分かるよな。


今日は早く帰って家にいろって、この人から言われただろう。」



 鈴音が近藤を指差す。



「悪いものがうろうろしてるから、今日はもうお家に大人しく帰ってくれるかな。」



 近藤は輝く瞳に微笑みかけた。



「うん。


分かったっ。


今日は良い子にするねっ。」



 手を振りながら子供達が一斉に駆け出す。


 その背を見送りながら、鈴音は雪玉を作ると呪文を唱える。


 呪いをかけられた雪玉は、その身を町娘の成りに変えていく。



「なんと……まぁ。」



 いつ見ても奇妙だ。


 口には出されなかったが、そんな言葉を噛み締めたのが表情で分かった。



 近藤もあのガキと差はないか。



 それを面白く思いながら、鈴音は数体の式神を雪玉から作り上げる。



「ガキを見送ってくれるか。

遠くからで良いから、道草くわないように上手く家まで導いてくれ。」



 雪の式神は微笑を浮かべ頭を下げると、牡丹雪が舞う風の中に姿を消した。


「あれは、雪女と呼ばれるものかな。」



「それはまた別にいる。

今のはただの式神だ。」



「はぁ、なるほど。」



 感嘆の息を吐きながら頷く近藤に土方は苦笑しながら、遠目に子供の姿を見つめる。


 つい先刻まで、青年と呼ぶに適した歳だった子供。


 その子はこちらに寄りつこうとはせず、一定の距離から、こちらをその瞳に取り込んでくる。


 距離を保っていれば、睨めつけてはこないのか。

 その瞳に、今は鋭さは見られない。


 そんな小さな獣の縄張りに、女が足を踏み入れていく。


 獣の肩が強張り、平穏だった目つきは鋭さを思い出す。


 鈴の音を鳴らしながら腰を屈めた女は、近くの石を拾う。


 子供の手に余るほどの、少し大きな石だ。


 その石に呪文を唱え、掌で撫で付けると沖田に差し出す。


 彼は手を後ろに隠すように回すが鈴音に腕を鷲づかみにされ、それを無理矢理握らされた。



「やるよ、お前にも。

良い子にしたら良い夢見られる不思議な石だ。」



 幼子の警戒一色の瞳に、二色目が混じわっていく。


 万華鏡の世界が回転する。


 その一瞬を瞳に映したような、そんな色味に思えた。


 だが、混ざりきらなかった世界は、すぐに色を濁していく。



「紙は使いきっちまったからさ、石になってっけど術は一緒だから。

まぁ、ちょっと重いんだけど。」



 衣服ごと小さくなった沖田の肩に、近藤から借りている袢纏を掛けてやる。褞袍の上に袢纏を重ねると、なかなかにごわごわとするが、沖田はその中に身を縮めた。


 目の前の女も、眉間に皺を寄せることが多い男も、近藤以外は誰なのか分からない。


 ただ、唯一認識できる近藤も、いつもと違って歳を重ねたような面立ちだ。



 何がどうなっているのか。



 年齢同様の記憶に戻されてしまっている沖田には全く分からなかったが、そんな中でも一つ。



 はっきりと分かっていることがある。



 分からなくなって欲しいと願うことは、跡形もなく消え去って欲しいと思うことは、どうしてはっきりと残っているのだろう。



 治癒を欲する痛みは、その傷跡をしっかりと残すほどに裂けを与えていた。

 




 私は……。






 姉上に捨てられたのだ……。





 


 小さな手が大きな石をぎゅっと握りしめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る