第一章 ヒトダスケ(20)
倒された重い体を起こし、畳に打ち付けられた背中を擦りながら、他の者に倣い、鈴音が駆けてきた道を目で辿っていく。
その目が襖の敷居を越え、縁側を捉えた時、土方は呼吸を忘れる。胸が握られたように、ぎゅっと苦しさを覚えた。
縁の廊下に女が上半身を乗り出しもたれかかるようにして、こちらを見ていたからだ。
土方にとっては見覚えのある女。
耳まで裂けた口を開きケタケタ笑う女。忘れ去られた眼玉の居場所を、宵闇に墨を垂らしたような黒が浸していた。
除けば引きずり込まれてしまいそうな、深い深い黒。
闇が蠢く深い穴が土方達を捕らえている。そんな気になった。
「おいおい、土方さんよ。
二枚目の顔でモテるからって見境なしはいけねぇだろ。
選べる顔なんだから、女は選べよ。
よりによってあんな人間とも分からないような女。
目茶苦茶粘着質だぜ、しかも。」
「……新八。
てめぇ後で分かってんだろうな。」
怒りに震える拳を堪える土方。
その腰を上げ立ち上がるため畳に手をつく。
ぬちゃ。
力をいれようとついた手は、その強さのまま畳を滑っていく。
自然な流れで手元を見ると、自身の手が血だまりを押さえ込んでいる。
そのねちゃつく赤き滴に、はっとした土方は破天荒な女の方へ慌てて首を傾けた。
先刻、土方が投げ飛ばした場所から微動だにしていない鈴音が畳に転がっている。
土方は血だまりのぬるつきに、次は手を取られることがないように立ち上がると、彼女に駆け寄った。
身動きしない鈴音を覗き込むと、右肩と右腰付近に白く太い弓なり状の物が突き刺さっている。そこから鮮血が垂れ流れ、畳を赤黒く汚していた。
すぐさま頭を返す土方。
近藤が座っていた付近の壁を見ると、鈴音の肉に食い込むそれと同じような物が
突き立っていた。
彼女が局長を蹴倒さなければ、それは広い額に突き立っていただろう。
なるほど。
だから沖田は、近藤に足蹴りを食らわせた鈴音に飛びかからなかったのか。
土方は、胸につかえていたものが腑に落ちたような気がした。
頭を戻しながら、血に汚れた手を鈴音の肩に伸ばす。
パシンッ。
払われた手がじんわりと痛む。
跳ねるように起き上がった鈴音の髪間から、ほんのわずかに切れ長の瞳が覗くが、すぐに遮られてしまう。
薄汚れた女は、胸元に手を入れては紙を取り出し瞬時に払い投げる。
人形に切られた紙は、形の良い指を離れると、すぐさま人の形に姿を変えた。
「およびで。」
二人の若い男が頭を垂れて膝を付く。
「道場の人間を守ってくれ。
もし襲撃された後なら、助けられそうな奴を助けてやって欲しい。」
「お任せを。」
一陣の風と共に、若い男達は姿を消す。
耳にすれど目にしたことのない摩訶不思議な様子に、土方以外の男は口を開いたままである。
「ぐぎゃぐぎゃっ。」
不愉快そうな顔の橋の魔が、縁から体を離し道場の方へ体勢を変えようとした時。
青白い額に器が当たって落ちた。
怒りに歪んだ魔の顔が振り返る。
燃えさかる闇に映ったのは、鈴音がゆっくり腕を下ろす様だった。
「おい。お前の相手はこっちだ。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます