理性と激痛と、本能

 理性を担当する左脳が、繰り返し伝える事実。現状の自分の戦力、相手の戦力、双方のダメージ、得意な戦法、苦手な戦法、さらに過去の戦歴、努力、成果、その他諸々をどれだけ考慮しても、繰り返し錯誤しても、計算上の机上の空論ですら、勝てる可能性が1%も、見つけられない。

 それでも――勝ちたい。

 なんとしてでも勝ちたい。それを願い、想い、試行を繰り返す。そのたび同じ結果に晒される。そして試行を繰り返す。思い知らされても、それでも、オレは――

 そこで正信は、気がついた。

 ――勝ちたい。

 そう、思っている。思えている。この――あの、いつも戦いから逃げていた、オレが。これが、武道の――兄きの、気持ちなのか?

 一瞬の、気持ちの穴。

 膝が、まともに左アバラを、直撃した。

 ゴリ、という音がした気がした。

「――――かハッ!!」

 ガードの上からとは比べ物にならないほどの衝撃、ダメージが、正信を襲った。体がくの字どころか、7の字型になる。

 その激痛に、正信の頭は真っ白になった。

 あぁ、あ、あア……!!

 思考が停止する。行っていた分析が停止し、考えが、悩みが、停止する。ただ痛みに、正信の感覚は蹂躙される。

 い、痛い……!

 人生で最大級の激痛。体が割れたような、バラバラに壊れたような錯覚。その感覚が地獄のように自分を蹂躙する中、これから逃れるためだったら自分は何でもやれるだろうとすら思った。思えた。

 ――なんでこんな目に、遇ってるんだ?

 地に落ちていた視線を、不意にあげた。

 足が見える。黒い学校指定のスラックスに包まれた足。男子だ。そう――今のオレの対戦相手である、仁摩のものだ。

 思考とは関係なく、体が動く。直角に足を曲げ、上げ、練習したヴァレリーキックを放つ。だが、あの頑健な足には通用しない。というかもう、攻撃のパターンを読まれている。力を完全に込められている。逆に反撃の突きを――痛めた脇腹に、もらった。

 脇腹に、裂け目が出来たようだった。

「き、ギッ――――!」

 腹を抱えて、蹲りそうになる。それをギリギリのところで堪えた。なぜだかは、思い出せない。ただ、絶対に倒れてはいけない気がしていた。

 再びヴァレリーキック。だが、通用しない。相手は――仁摩は、むしろそれに合わせて、喜々として膝を放ってきた。今度はガードしたが――もう、モタない……! 耐えられて、せいぜいあと一発もいけるかどうか……

 大体、なんで足を蹴っているのか?

 兄きもいっていた。同じ箇所をずっと狙うのは、一見理にかなっているようで、愚作だと。人には耐性というものがある。よって同じところを狙うのは、一定数に限られると。

 それを超えた場合は、狙いを変える必要があると。

 つまりは今まで積み上げた攻撃を、伏線に使うということだ。上段に振り意識を顔面に集中させ、力が入っていない腹を突いたり。もしくは左足を蹴り続け、突然右足に狙いを変えたりなど。しかし最も有名で実戦的で効果があるのは、やはり最初に述べたパターンの逆――足を狙ってからの、顔面狙いだろう。

 足狙いというものは、最も回避が難しい攻撃と呼ばれている。そして顔面は、最もK.O率が高くかつ命中が難しいものと呼ばれている。それを組み合わせれば、非常に合理的で理想的なコンビネーションが完成する。

 兄の言葉を思い出し、正信は再び顔を上げた。

 仁摩の無防備な顔が――アゴが、丸見えだった。

 だけど、蹴りは出せない。こんな近接距離では、膝蹴りくらいしか当たらない。だが、そんなものは練習したていない。柔軟性も足りない。そもそも当たって倒せそうな上段蹴りのバリエーションなど――

 あ。

 バッカだなぁ、オレ。なんで気づかなかったんだろう……そう笑い、正信は仁摩の傷だらけの頬を――


 ブン、殴った。


『――――』

 一瞬――というかしばらく会場を、静寂が包み込んだ。あれほど騒いでいたギャラリーが、黙り込む。というか、動きすら止めている。そして息を呑んだ様子で、じっと壇上の二人――正信と仁摩を、見つめている。

 ――――アレ?

 二秒くらい経って、ようやく正信は事態の異常さに気づいた。なんか、みんなの様子がおかしい。まず、状況を整理してみようと思う。

 まず、自分は拳を振り切っている。そして向かいには、その拳によって頬を張られた仁摩がいる。――アレ? ここで既におかしいぞ? この大会は顔面パンチは禁止、って……おぉぅ!? それ破ってるのは、オレか!? だから周りの皆は、とつぜんの反則行為に唖然としているわけで…………だいたいオレ、なんでとつぜん顔殴っちゃえとか思ったんだっけ? ……あぁ。腹やられてプラス疲れとか色んなものがゴッチャになって、頭がボケてたのか――

「……ま、待って待って待って下さいっ」

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