咆哮

 上から睨みつけてくる藤岸とは対照的に、正信は俯いたまま、言葉を返さなかった。

「なんだ、シカトか? ぬっふっふ、お前の一回戦は見たぞ。なんともしょっぱい試合だったな。それで、あの【究武】尾木戸芳武の弟なのか?」

 正信は答えない。ただじっと、マットを見つめている。

「――ル、ルールは以上です。両者、離れてください……」

 徹平が弱々しく声を出す。藤岸の迫力にビビってしまっているのだ。それを聞き、藤岸はフンッ! と鼻息を吐き、正信の頭を乱暴にはたいた。

「ちょっ……試合前の攻撃は」

「フンッ! 軽く撫でただけよ。このなにも返事をしない従順な犬をな。こんな体たらくで、もう決勝にいったつもりだとは……笑わせてくれる!」

 ガハハと笑いながら、藤岸は離れていった。あうあうと戸惑う徹平を尻目に、正信も開始線まで離れる。それを見て、慌てて徹平も、

「では……は、始めです」

 同時に藤岸は、前に出た。捕まえて、思い切り投げ飛ばすつもりだった。柔術最大のアドバンテージである寝技は狙えないが、身長180を越える長身と充分に打撃にも対応できる柔術という体系に、自信を持っていた。

 掴む。打撃を警戒していたが、何もなかった。所詮拳法などという眉唾物相手にあのような闘いを演じた相手。楽勝を確信していた。

「いくぜ、フンッ――」

「――うるせぇ」

 太腿に、穴があいた。

「ぬ? ――ぐがぁああアアアッ!!」

 正信の空手衣の襟を掴んでいた藤岸が、その場に崩れ落ちる。そのまま自身の左太腿を押さえながら、転げまわっている。しかし正信は、それを一顧だにしていなかった。

 ただ視線は、一人の男に――

「勝つ!」


 決勝。

 池田に主人公になっちまえと言われた。島本くんに怪我だけはしないようにねと微笑まれた。土井にスターはかっけーなと肩を叩かれた。

 ベッドに横になる紗姫に、勝ってきたら? と笑われた。

 観客の歓声も設楽の実況も徹平の説明も何も頭に入らなかった。ただじっと、集中力だけを高めて――

「では、決勝戦……始めです!」

 その時が、キタ。

「いくぞ仁摩――――――――――――ッ!!」

 吼えた。生まれてきて初めてといえるほどの声量で。そもそものきっかけである枝穂ちゃんのこともあるし――紗姫のこともあった。ポッと出のこいつに、ずっと影ながら想っていた人を取られたくなんかなかったし――幼馴染の仇討ちって、意味でだって!

「ぶッ倒す!!」

 気合いと共に、突進。繰り出した右の突きは、仁摩の腕に阻まれた。

 仁摩が笑みを浮かべる。

「ハァッ! いいぞ……いい気合いだァ! やはりお前は、尾木戸だァ! こい――――――――ッ!!」

 咆哮と共に、仁摩の膝が正信のどてっ腹に突き刺さった。

 凄まじい、衝撃――これは、紗姫のトンファーによる突きに匹敵――いや、それ以上だ!

 胃袋にまで到達したのを、正信は感じた。痛みに頭が急速沸騰し、口元を吐き気が満たしていく。

「う……ぐぅ!」

 中途半端な位置が、一番危うい!

 正信は仁摩の体を掴み、思い切り引き寄せた。ボクシングでいうクリンチという形に近い。仁摩は顔をしかめる。時間稼ぎか……ならば、投げ飛ばしてしきりなおしを――

 太腿に、衝撃がきた。

「むァ!?」

 かくん、と腰が落ちる。大腿筋が断裂させられたのを感じた。痛みに、顔が歪む。これは……

 両手で正信の肩を押し、距離をとる。足の反応が鈍い。一発で、効いてしまっていた。見ると正信は右足を、こちらの太腿があった位置に膝を外に向けて、直角に曲げていた。

 奇異な。なんだ、あの形の蹴りは……準決勝もあれで一撃K.O勝ちを収めていた。先に見ていたため、ローがくることは予想できていたため力を込めていたので倒れることだけは回避できたが――

 正信が再度、突進してきた。迎撃を――左のミドルキックを、わき腹にある肝臓へ。

 しかし今度の正信は手を出しておらず、ただ全身をガッチリとガードで固めていた。

 要は前もほとんど見えない亀になって、突進してきていた。

「…………チィ!」

 舌打ちし、仁摩はガードの上から思い切りミドルキックを見舞った。大きく正信の体はぐらついたが、所詮ガードの上。倒したり後退させたりすることは出来ず、またも懐に入られた。

 くっ……膝を打とうとしたが、その前に正信は腰を落とし、攻撃態勢に入っていた。

 見た。仁摩は、正信が超近接の間合いで右の踵を真横に振り上げ――ハンマーのようにこちらの左の太腿に、振り下ろそうとしているのを。

 ぐさっ、というほとんど経験のない衝撃が、仁摩を襲った。

「ぐッ! ……チィっ!」

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