決壊
言葉と同時に、紗姫は右の袖をバッ、と横に払う。一瞬遅れてそこから現れるは――腕と水平に伸びる、木の棒。それは手の位置で直角に曲がっており、その部分を取っ手として握っている。
「――って、ていうか今夏服なのにどうやって袖に隠してた!?」
「っるさいっ!」
言葉と共にその木の棒は取っ手を中心に一回転、正信の机の天板にガゴン、と物凄い音を立てる。ビキっ、とあの頑丈な天板に、一発で亀裂が走った。正信の血の気が一気に引く。
「理不尽だ! 学校でトンファー出すなー!」
「きゃ――――っ!」「わ――――っ!」「なんだ――――っ!?」
派手な金属音に、クラスメイトが騒ぎ出す。正信も慌てて椅子を蹴倒し、トンファーの間合いから離脱する。紗姫は既に、目が肉食獣のそれになっていた。左手のトンファーがぶんぶん唸りをあげて回転している。道場稽古を思い出す。あの時どてっ腹に喰らった一撃は、めっちゃ痛かった。
「ふっふっふ……あんたは、紗姫を怒らせた……覚悟は、出来てるんだよねぇ……!」
「いや、出来てねぇよ! てか学校でトンファー出すな! 大事なことだから二度言うけど!」
「なによソレ! オタくさいのよ、アンタは!」
ひゅん、と風を切ってトンファーが飛来する。紙一重のところで正信はバックステップして躱した。というか本当に髪の毛が一本持っていかれたし。
「おまっ! 容赦ねぇなホントに!」
「紗姫が本気って言ったら、ホントに本気なんだからね!」
ぶんぶんぶんぶんとトンファーを回しながら紗姫が正信を追っかける。必死こいてそれを避けながら正信は逃げる。トンファーの回転に巻き込まれ、椅子が倒され、机が傾き、花瓶が弾け飛び、窓ガラスが割れた。「うわー、紗姫さまもうやめてー」「やめろ紗姫ー」「やり過ぎだー」「先生呼んできてー」悲壮なクラスメイトの声も、火がついたお姫さまには届かない。
「ひぇー、正信君ー」
「――と、っぶねぇな!」
その毒牙は足の遅い島本くんにも伸びていた。なんとか土井が飛びつき、事無きを得る。その光景を目の当たりにし、正信の目つきが変わる。
オレの、大事な友達を――!
「くっ……だ、大体お前なんなんだよいつもいつもオレに食って掛かりやがって! っざけんなよ!」
一瞬、紗姫の動きが止まる。目が点になり、固まっている。そしてしばらくしてから、ワナワナと震え出し顔を真っ赤にして、前以上の迫力で追いかけ始める。
すげぇ加速!?
正信はすんでのところでしゃがむ事でトンファーを躱し、巻き添えを食った掃除用具入れがベコリとへこんだ。
「アンタが……アンタが悪いんだからね! 尾木戸なのに、ナヨナヨしちゃってさ! そんなんだから、紗姫がちゃんとしてあげようと頑張ってるのに、頑張ってるのに……!!」
それに今度は正信が、カッとキた。
「! よ、余計なお世話だ! どうせオレは兄きみたいに強くないさ! あぁ、もう辞めてやるよ! 空手、辞めてやるよ! それでお前は満足なんだろ!? オレみたいな目障りなヤツがいなくなれば満足なんだろうがッ!!」
「っ! な、なんでそうなるわけ? なんでアンタはそんな風にしか考えらんないわけ!? もっとさぁ、『じゃあ強くなるためがんばろう』とか、そんな風には考えらんないの!?」
足を狙ってきたトンファーを、跳びあがって躱す。机が派手な音を立てて倒れる。クラスメイトはみな、既に廊下に出て自分と紗姫の乱闘を見守っていた。あとは、紗姫の取り巻きの六人しかいない。
絶体絶命だ。だが逆にこの状況だから、正信は開き直った。
「ああ、なれないね! オレには強くなる、戦う理由がない。それなのに律儀にそんなこと考えられるわけねーだろ! オレはお前らみたいな戦闘狂とは違うんだよ!」
「っ……このぉ!」
真上から振り下ろされたトンファーの一撃を、後ろに下がって躱したところで――突き当たりにきた。窓際の、後ろの隅だ。倒された用具入れが無惨に転がっていた。目の前に迫る紗姫の後方には、扇状に六人が展開している。万事休すだ。もう、逃げようがない。池田島本土井の三人は教室内に戻ってきてはいたが、輪の外で震えながら心配そうにこちらを見つめていた。ありがたい、武闘派でもないのにここまできてくれて。だけど完全に、孤立した。
でも、もういい。
これで、決別だ。自分には、暴力なんて合わない。殴るだけ殴ればいい。それでもう絶望して、辞めてやる。
「ふっふっふー……もうおしまいなんだー。まぁでも紗姫は優しいからー、泣いて謝るなら許さないこともー……」
「楽しそうじゃないか、正信よ」
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