弱さと向き合う

 この獣のようだった男が、弱音を吐いているのか?

「笑うな。真剣だ」

 正信の反応に、仁摩は抗議の声をあげた。思わずといった感じで、知らず知らず正信は笑みを作っていた。手を振り、口元を押さえる。意外だった。こんな獣でも、やっぱり人間だったのか。

「いや、強いさ……正直、羨ましいくらいに」

 笑みを抑え、正信は真面目に自分の気持ちを答えた。強い。その体術もそうだが、その獣性、周囲を一顧だにしない性格、いうなればその在り方そのものに、正信は憧れに近い感情さえ抱き始めてさえいた。その何もかもが、自分にはないものだ。あの兄きに二度も挑戦し、追い詰めた。やり方は卑怯だとは思ったが、素直に凄いと、感嘆した。

「だが尾木戸は弱いと言った」

 そんな気持ちを、仁摩は一顧だにしなかった。その物言いに、正信は引っかかる。

「オレも尾木戸だ」

「お前は正信だ」

「…………」

 自分の姓を否定され、正信は黙る。仁摩もしばらく沈黙した。正直、正信にとっては居心地が悪い沈黙だった。しかし仁摩は大して気にしてなかったようだった。しばらくして、普通に続きを話し出した。

「わからん。そんなことを、言われたことがない。強さだけが、おれの誇りだったのに」

「…………」

「謎だ」

「……兄きの言うこと」

「ん?」

「兄きの言うこと……少しだけなら、わかる気がするよ」

 なんでだろう? 正信は不思議だった。仁摩といると、ずっと胸の裡に秘めていた思いの丈を、話してみようという気になってしまう。気持ちいいくらい隠すことなく開けっぴろげに話すその姿勢に、自分のなにかが触発されているのかもしれない。

「今でこそ兄きは【究武】なんて呼ばれて武道、格闘界に知らないやつがいない程の有名な強さを持ってるけどさ、子供の頃、小学校の時なんかは、結構違ったんだよ。って言っても負けたのは2,3回で、それも決勝の舞台だったっていうのがまた格好つく話なんだけど」

 まだ空手を初めて1年そこそこでその成績なら、むしろ誇っていいとすら思うのだが――そういう姿勢こそが、現在の兄に繋がっているということなのだろうか、と正信は思う。

「オレもすっごい小さかったからよく覚えてないんだけど、あの兄きが練習中に必死にその言葉を繰り返してた姿だけは、印象に残ってるんだ。延々とサンドバックを叩きながらずっと、『気持ちが弱かった』『パンチが弱かった』『捌きが出来てなかった』とか……負けた原因、自分の弱かった部分を繰り返し繰り返し復唱ながら、きっとその部分を徹底的に強くしてたんだと思う」

「…………」

「道場でも、よくいってる。組み手とかで相手を倒したあと、さらに攻撃した道場生を呼んで、『自分の弱さと向き合え』って。正直オレはあのレベルに至ってないからよくわからないんだけど、きっと何か思うところがあって言ってるんだと思う」

「…………」

「だから……」

「お前」

 仁摩がふいに、立ち上がった。

「え……」

 それに、正信は不意をつかれた。話に夢中になっていて、仁摩の動向に気が向いていなかった。仁摩はいつの間にか、その目に熱いものを秘めていた。

「戦え」

 見下ろし、仁摩はいった。

「……なんでだ?」

「おれは今までずっと、戦いで相手のことを知ってきた。言葉によるやり取りは、苦手だ。お前も尾木戸の弟なのだろう? お前とも、おれはわかり合いたい」

「…………」

 正信は俯きつつ立ち上がり、不承不承といった感じで、構えた。顔面カバーをして腰を落とした、一般的なもの。尾木戸の――芳武の弟だといわれれば、断りたくはなかった。しかも相手は先ほどその兄に完膚なきまでに叩きのめされたばかりなのだ。ここでの拒否は、逃げに繋がると思った。

 仁摩も構えた。前傾気味に、両手は垂らしている。足幅は広い。まるで肉食動物の準備姿勢だ。

「――いくぞ」

 一声かけ、仁摩は真っ直ぐ飛び込んできた。

「くっ……」

 それに正信は、突きで迎撃しようとした。しかし仁摩は頭を下げてそれを易々と回避し、懐に入り、真下から、アッパーカットを決めた。

 正信は天を仰ぎ、そのまま真後ろに大の字になった。仁摩は追撃しようと正信の体に跨ったが、相手が沈黙しているのに気づき、拳を止めた。

 正信は一撃で、敗北していた。体が痺れ、動かなかった。

「わからん」

 それは肉体的ダメージというよりも、精神的ショックや恐怖、その他色々なものが混じっているような痺れだった。

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