完全なる敗北
もう一撃。ぐしっ、という鈍い音。今度は鼻っ柱を潰し、大量の出血に芳武の膝が真っ赤に染まる。返り血で、視界が赤くなる。
「――――づっ!」
脱出を試みようと、右拳を突き出して仁摩の顔を狙い、同時に左手を髪が掴まれている後頭部に回す。二箇所同時攻撃。どちらかは、確実に成功する。
右拳は、手首を掴まれ止められた。だが左手は、髪を掴んでいる手首を捕縛した。そのまま思い切り爪で、引っかく。皮を裂き、肉を抉る感触。どんな人物であろうが、この攻撃には本能的に驚き、手を離すはず――
「――――」
目の前に立つ芳武は、微動だにすらしない。その感情のない瞳で、仁摩をじっと見つめていた。
ガクン、と体が震えた。
頭突きが来たのだ。三度目の頭部への強烈な打撃に、意識が揺らぐ。
「かっ…………」
掴まれていた右腕が、背中に回され、極められた。そのまま地に伏せられる。以前も受けた肩固めのような態勢だ。違うのは、相手が背中に乗るのではなく、跨ぐように立っている点。そのまま仁摩は後頭部を踏みつけられ、顔面が地面に陥没した。
そこで遂に仁摩の意識は、完全に、途絶えた。
冷たい感触が、仁摩の顔を叩いた。
それに仁摩はぼんやりと、その瞼を開く。視界がかすんでいる。まるで霞がかっているようだ。それに意識もハッキリとしない。現状が、把握できない。とにかく何度か瞬きを繰り返し、視界を鮮明にしようと努める。だんだんと景色が見えてくる。暗い場所。頭上に明るい灯火。街灯だ。頭には硬い感触。横になっている。
そして視線の先には、背の高い精悍な男。
「これで、満足したか?」
仁摩は仰向けのまま、呆然と口にした。
「…………これが、武か」
負けた。完膚なきまでに。戦闘中に、意識がトンだ。初めての経験だった。これが殺し合いだったならば、自分は生きてはいないだろう。
完全な、敗北だった。
「悪くはなかった。わたし自身、敗北寸前ですらあった。初めての経験だったよ、まさかきみのような子供相手にね。あと数発も殴られていたなら、そうなっていたかもしれない。だからこそ、武を用いらせてもらった。あまり上半身を揺らす動きは、できない状態だったのでね」
信じられない。それほど流麗とした動きだった。まるであらかじめ決められた、殺陣(たて)を演じさせられたような気分ですらあった。それにそう言うのならば、最後の頭突きはどうだというのか?
芳武は、喋らない、喋れない仁摩の代わりの様に、雄弁に語り続ける。
「きみは、強くなれる可能性がある。その歳でわたしを追い詰めるほどだ、天賦の才は素晴らしいものがあると思っていい。だが、今のままでは先は見えている。きみは、あまりにも目先の勝利に目が向きすぎている。
強くなりたければ、自分の弱さと向き合うことだ」
そこで初めて、仁摩は目を見開いた。
「…………弱さ、だと?」
そこでニコリ、と優しい武術家当主の笑顔を作り、
「正信は、強さを過剰評価しないこと」
「兄き……?」
とつぜん振られ、仁摩の脇で看病していた正信は目を丸くする。そちらには二カッ、とやんちゃな兄ちゃんの笑顔を作り、
「兄ちゃんは、弟を愛してるんだぞ? 強いかどうかなんて、大した問題じゃないさ。お互いで、少し話があるだろう?」
そういって落ちていた書類を拾い上げ、芳武は再び事務所に向けて歩き出していった。あとには弱さと向き合えといわれた男と、強さを過剰評価するなといわれた男が残った。
とりあえず正信は正座したまま、仁摩の額に濡れタオルをのせた。道場とここまでのバケツを持っての往復は、面倒だった。こいつが少女だったらよかったのに、特に頭に美がつく、だけど紗姫みたいなツンデレじゃなくお淑やかな枝穂ちゃんみたいな娘がいいな、とまたも無益なことを考えた。オレって馬鹿だなと正信はむなしくなった。
「……おい」
自分の世界に埋没していた正信は、とつぜんの仁摩からの呼びかけに少々意外さを感じた。確かに話があるとはいわれたが、こちらには特になかったからだ。
「……なんだよ」
「おれは……弱いか?」
再び正信は、目を丸くする。
「……へぇ」
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