72話 嫌だ

「姉御~変な夢見ちった~」

 大福ねずみが目を覚ましました。まだ寝ている姉御の腹によじ登ると、姉御の顔の方を向いてしゃべり続けます。

「アントニオ・バンデラスに、期限切れだから、大切なものをもらうって言われる夢だった~」

やはり大福ねずみの神様像も、バンデラスだったようです。金曜ロードショーの影響で、前回の神様と容姿が違ってしまったのでしょう。相手が神様だと、全く気が付いていません。


「ねぇってば~、起きてよ~、腹減ったよ~」

遠慮無しに姉御の顔面へ跳び乗ると、セルフトランポリンで何度もジャンプしました。いつもならこれで、爪が痛いと言って姉御が起きるのです。しかし今日は、何の反応も返って来ません。れてひと際大きく飛び上がると、着地に失敗しました。

「あぶっ」

滑らせた足を踏ん張ると、姉御の額に、天下御免の向こう傷がついてしまいました。


 身の危険を感じて、猛ダッシュで逃げました。

 しかし……姉御は起きません。


「起~き~ろ~!」

再び駆け寄って、耳元で叫びました。

「鬼が出たぞ~! スリーカウント、1、2、3!」

姉御が起きそうな言葉を選び、もう一度叫びました。


 だんだん、何かがおかしいと感じ始めます。


 しゃべるのをやめてじっと耳をすますと、いつも聞き慣れた音がしないことに気がつきました。

「姉御……い、息してねぇ……」

 慌てて姉御の鼻にかけよると、穴に手を突っ込みました。風が出入りしている気配がありません。完全に機能停止しているようで、無呼吸症候群では片付かない予感がしました。


「息しろよ! 水中の夢でも見てるのかよ。陸上だぞ~!」

 大福ねずみは焦りました。そういえば……何か気にかかる記憶が蘇ってきます……確か、誰かが、姉御は病気だったと言っていました。

「マジかよ! 病気のせいか!」

大福ねずみは、姉御のみぞおちあたりで何度もジャンプしました。心臓がどこなのか、動いていないので分かりません。


「死体と閉じ込められた~~!」

笑えない冗談を叫びながらジャンプしました。


「前方に見える微妙な二つの膨らみは、丘か、地面か、丘か、地面か!」

 悪口を言っても、怒鳴って起き出す気配はありません。


 夢中でジャンプしました。

 無言でジャンプしました。


 自分ではどうにも出来ないと悟り、枕元にあった姉御の携帯へ駆け寄ります。急いで東村に電話してみるのですが、おかしなことに、呼び出し音すら鳴りませんでした。


「壊れてんのかよ! どうせ通じても、会話は出来ないんだった!」

混乱して無駄な時間を使ってしまい、大福ねずみはますます焦りました。あと、助けてくれそうなのは、バーママとりょうちゃんと、兄と……のんびり考えている場合ではないと、忙しなく思考を巡らせます。


「バーママ! りょうちゃん!」

力の限り叫びましたが、いつもは呼ばなくてもやって来るくせに、今日は何も起こりませんでした。東村に、姉御が息をしていないとメールを作ってみましたが、それも送信することが出来ませんでした。偶然アパートに誰も居なくて、偶然電話が壊れていて……こんな最悪な偶然があるかよ! 腹を立ててみても、姉御の呼吸は戻らないのです。


「くそっ、オイラじゃ駄目なんだよ。助けたいよ。誰でもいいから、助けてくれよ~~」

叫びましたが、感情の高ぶりで喉が硬くなっていて、うまく声が出ませんでした。


 再び姉御の胸に上り、ジャンプしました。

「なんで、なんで」


 考えながらジャンプしました。

 泣きながら、ジャンプしました。

 何かが、ひっかかりました。

 バンデラスの顔が、頭の中に浮かびます。


「バンデラス」

ジャンプ。

「期限切れ」

ジャンプ。

「大切なもの」

ジャンプ。

「バンデラスに嫁入り」

ジャンプ。


 瞬間、焦った気持ちが吹き飛んで、体の中で、ぎゅっと何かが収縮して行くのを感じました。理解したのです。姉御が息をしていないのは、自分のせいだと。


 期限切れ、大切なものをもらう……これは、自分が聞き漏らした神様との一年後の約束に関係している。これは、神様がやったことだから、最悪な偶然はどこまでも重なるし、誰にも姉御は助けられないのだと。


「嫌だ――!」


取り乱して二本足で立ち上がると、バランスを崩して転げ落ちてしまいました。ちょうどよく、少し丸まった姉御の手のひらの中に落下して収まりました。


 大福ねずみは、慣れ親しんだ手のひらの中で丸まりました。

 いつもいつも、姉御の体に寄り添っていました。

 姉御からはいつも、色んな音がしました。


 どんなに手のひらに耳を押し付けても、何の音も聞こえてきません。ただ、嗅ぎ慣れた、大好きな姉御の匂いが鼻をかすめます。


「うぅー、姉御ごめん、姉御ごめん、姉御ごめん」


何かに腹が立って仕方がありませんでした。しかし、怒鳴る気力も力も湧かず、ただただ涙が止まりません。


「大切なもの……今日が、一年後だったんだ……」


それきり、大福ねずみは丸まったまま、しゃべらなくなりました。

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