彼方の方舟 ~アース・ノア~

蟹家

少女は空から落ちてくる(1)

 夜明け前の砂漠、空は藍色。

 一台のトレーラーが、疾走する。


 エンジン音を騒々しく轟かせて、高速回転するタイヤが砂塵を巻き上げている。


「っしゃあ、間違いなく一番乗りだ!」


 トレーラーのアクセルを目一杯に踏み付ける少年は、そう叫び笑った。


 少年の名は”エンキ”。

 東洋風の顔立ちに、逆立ち気味な髪、切れ長の目。細身で小さい体に、身の丈に合わないオレンジのツナギを着ているせいで、どこかだらしない印象を受ける。

 歳は十七、親の顔は知らない。

 どこぞの男に買われた娼婦が、ヘマをして出来た子だ。へその緒を切られるのと同時に縁も切られた。けれど、ご法度無しの交易都市”エイリス”ではありふれている。そして、変な爺に拾われて、七歳でほっぽり出される……というのがこの話のお決まり。エンキも例に漏れずそう。


「まだ他の屑鉄ジャンク屋は誰も来てねえ」


 その爺にほっぽり出されてから、エンキが飯を食うために選んだ方法が屑鉄(ジャンク)拾いだった。

 屑鉄拾いは当てればデカい。それが地上に生きる人々の共通認識。

 屑鉄、と一口に言っても、彼らが一番に狙うのはただのスクラップではない。高度三千メートル付近を飛ぶ空船都市”スカイ・ノア”からの”落とし物”だ。スカイ・ノアは失われた技術ロストテクノロジーの塊。鉄塊一つ取っても、特殊な加工がされていて、地上では作り出せなかった。故に目玉が飛び出るほどの高値が付く。モノによっては一生遊んで暮らせる。

 最も屑鉄屋として当てるためには落とし物を見つけ出す嗅覚とそれを拾いに走る行動力を持ち合わせていればいけない。

 この広い地球上にスカイ・ノアは十一しか浮いていない。上に、毎日のように落とし物をするわけでもない。必然、屑鉄屋の争いは激しかった。


「俺があの落し物を拾って、ヤツらにギャフンと言わせてやんだ」


 屑鉄屋、十年。

 エンキは未だ落し物を拾ったことがなかった。街から出る山のようなゴミを掻き分け、売れそうな物を見つけて糊口を凌いでいる。

 屑鉄屋仲間には毎日「お前に屑鉄屋は早え。大人しく誰かの使いっ走りにでもなるんだな」なんて言われる始末。連中が悪意を持って言っているわけではない。エンキの見るに堪えない生活を目の当たりにしての親切心だ。

 けれど、その言葉が余計にエンキを意固地にさせている。


 そして、今日。

 夜半、催して目覚めたエンキが立ち小便をしている時、それを見たのだ。月光に照らされながら、落ちてくる白い何かを。一瞬にして落とし物だと悟った。

 それからのエンキの行動は早かった。小便もそこそこに切り上げて、一張羅を自称するオレンジのツナギを着込み、トレーラーに乗り込んだ。最初から、アクセルは全開。

 このトレーラーは一年前に買った。最低限の機能しかないボロのくせに、維持費が飯代よりも高くつく。その上、まだローンも残っているし。

 それでも手放さなくて正解だったと思った。全ては、今日のため。


「今日はっ! 最っ高の日になんぜ!」


 夜明けの砂漠、空は瑠璃色。

 一台のトレーラーが少年の期待を乗せて、疾走する。

*

 地平線の彼方まで砂の海。

 視界を遮るものは何もなく、従って例の落とし物もすぐに見つかった。

 それは白を基調としていて、大きさは縦二メートル幅三メートルほどに、人一人が乗れるほどのコックピット。フォルムは滑空する燕のような滑らかな流線型で、地上の人々はそのまま”ツバメ”と呼んでいた。

 ツバメの横にトレーラーを付けたエンキは、トレーラーから降りて、近づいた。


「おいおい! おおおおい! 最高の状態じゃねえか!」


 べたべたと隅から隅まで触って状態を確認したエンキは、そう喜びの声を上げた。

 墜落時も砂がクッションになったのだろう。傷みがほとんどない。落とし物の殆どは高度三千メートルから落ちてくるために、損傷が激しい。こんな状態の良い落とし物は前例がなかった。


「トレーラーの借金返して……、家を買って……、ぐふふ」


 エンキはにやけが止まらない。売れば一生遊んで暮らせるほどの金が入るのは間違いない。早速、脳内では手に入るだろう大金の使い道が広がっている。

 喜びのあまり走り出したい欲求を抑えて、トレーラーの脇に掛けたロープを取り出し、ツバメの機体を縛り始めた。


「私のよ。触らないで」


 その女の声と共に、左の首筋に当てられたナイフ。瞬間、先程までの高揚は消え去った。悪ふざけじゃなさそう雰囲気に冷汗が滲む。


「ちっ、お前も屑鉄屋か?」


 屑鉄屋同士が落とし物を巡って争いになるのは何ら珍しいことではない。エンキも護身用のナイフをと思い腰に手をやるが、車内に忘れたことに気付いた。浮かれすぎた、と内心舌打ち。この時ばかりは、自身の経験不足を恨んだ。


「手を上げて。そのまま、伏せて」


 ナイフの刃先が肌に触れて、冷たい。首を切られれば死ぬだろう。万が一すぐに死ななくても、医者もろくにいないエイリスだ。膿んで毒が回り死ぬ。

 が、エンキは諦めていなかった。これだけの大物だ。命を張る価値はある。

 更に言えば……、刃先が僅かに震えている。この女、殺しの経験はなさそうだ。さらに地面に落ちる影で、相手の大体の背格好も把握できた。勝算は、ある。


「返事をして」

「はいはい、わあーた……よっ!」


 瞬間、エンキは右に倒れた。


「なっ!」


 女が動揺したその瞬間に、右手で砂を掴んで、女の顔に投げつける。目潰し、姑息だろうとこれが一番よく効く。それから跳ねるようにして、女の手首を蹴り上げれば、ナイフは宙に舞った。足払いを食らわせてから、ナイフをキャッチ。倒れた女を組み敷いて、首筋にナイフを当てる。

 女相手だろうと、容赦はない。それが地上のルールだった。


「あの落とし物は俺のだ。歯向かうなら……、んあ!?」


 せっかく組み敷いたのにも関わらず、エンキはその女素っ頓狂な声を上げて飛び退いた。辛うじてナイフは構えているものの、へっぴり腰がビビってることをはっきりと示している。

 けれど、その玉無しみたいな反応も仕方ないほどに、女の格好は奇妙だった。

 まず、女が着ている白地に緑のラインが入った服。それの生地は艶やかな光沢を持っていて、地上じゃめったにお目に掛かれない。それから女の肌はきめ細やかで、くすみの一つもない。薄めの顔立ちに鼻はツンと高く、目はアクアマリンのような色合い。透けるような綺麗な金髪が砂の上に散らばって、背徳的でさえあった。


「本当に野蛮っ! 地上の人間て皆こうなのっ!?」


 砂を払いながら女……というよりは少女、は立ち上がり、そう言った。歳はエンキの一つか二つ下だろうか。顔にはまだあどけなさが残って見えた。

 下手したら命のやり取りになりかねない緊迫したこの状況。腕っぷしはエンキが圧倒的に有利。なのに、少女は傲岸に続けた。


「早くナイフを下げなさいよ。”地を這う人間グランドイド”」

「は、はあ!?」


 頓珍漢な少女の要求にまたも間抜けた声が漏れる。

 地を這う人間……、少女は確かにエンキをこう呼んだ。その言葉、更に服装、容姿、状況。それらから導き出される少女の正体は一つで、けれど、それはあり得ない答えで。

 目の前の現実と常識の間でエンキの脳内はフル回転する。……も、数秒でエンスト。


「お……おまっ! なにもんだっ!」


 耐えきれず、少女にそう問うた。雰囲気を彼女に完全に飲まれたせいか、声は僅かに震えている。


「お前、じゃないわ。私は”アルル=ヒュラス”。第○八……、第〇六号スカイ・ノア”ヨハネ”の『人間』よ」

「な……!」


 暑い日差しがジリリと肌を焼く。

 その中でアクアマリンのアルルの瞳が、涼やかにエンキを流し見ている。


「……嘘だろ、ありえねえ……」


 そう言葉上は否定するも、確かに腑に落ちる部分の方が多かった。

 先程からそうじゃないかとどこかで疑っていたし、状況もそれを事実と語っていた。けれど。


「……聞いたことねえぞ、スカイ・ノアの人間が地上に降りてきたことなんて」


 そう。そんなことは前例がなかった。

 情報が命の屑鉄屋。その中でも耳聡い方であるとエンキは自負している。それでも、遥か千年前にスカイ・ノアが地上を離れてから、その人間が地上に降りてきたという話を聞いたことがなかった。


「そうね、私も私以外に知らない」


 エンキの狼狽もなんのその。軽くアルルはそう答えた。

 ぐっと衝撃を飲み込んで、エンキはナイフを構え直す。そのナイフがダグラス鋼というスカイ・ノアにしか存在しない技術で出来た鋼だということに気付いても、最早動揺はしない。

 エンキは――というより、地上の人間全員に言えることだが――、打算的な人間だ。見す見す利益を取り逃がしたりはしない。即ち、アルル=ヒュラスと名乗る少女がどこから来たかよりも、今はツバメをどうやって回収するかに考えを巡らす。


「お前がスカイ・ノアから来たとして、そのツバメもお前のってことか?」

「ええ、そう。正確にはスカイ・ノアの公共物だけれど……、今は少なくとも私の物」


 それを聞くと、エンキは小さく舌打ちを一つ。それから、構えを解き、アルルの足元にナイフを放った。


「へえ、てっきりナイフで脅して、私から奪うものだと思ったのだけれど」

「ナメんな、屑鉄屋は盗人じゃねえ。他人様のモンは盗らねえ」


 これはエイリスに住む屑鉄屋のたった一つの掟であり、プライドだった。これも彼ら屑鉄屋はスカイ・ノアが実際捨てたかもわからない落とし物を拾っているので、曖昧な掟ではあったが。

 これを守らない本物の無法者の屑鉄屋もいるが、彼らは軽蔑されている。

 エンキは大仰に手の平をアルルに見せつけ徒手であることをアピールすると、それから、口を開いた。


「……で、こっから先はビジネスだ」


 ナイフという圧倒的有利を捨て去ったのは、温情でも何でもない。ただこれから話す商談に脅しの道具は不要、むしろ邪魔であると判断しただけのこと。


「へえ、地を這う人間が私に商談……」


 少し小馬鹿にした口調でアルルはそう言う。けれど、話を聞く気はあるようだ。


「俺はエンキ。エイリスで屑鉄屋をやってる。屑鉄屋っていうのは……、まあ、使えるモンを拾って売る仕事だ。はっきり言って、俺は仕事がうまく回ってねえ。このトレーラーの借金も相まって、生活はカツカツだ」


 ややオーバーな身振りで顔をおどけながらそう言う。


「が、お前のソレ……、ツバメがあれば一挙打開。借金はヨユーで返せるし、場合によっちゃあ、一生遊んで暮らせる。だから、俺は喉から手が出るほどソレが欲しい」

「で、”ムーヴァ”……、あなたはツバメって呼んでるコレをあげて、私に何のメリットがあるっていうの?」


 相も変わらずスカした表情のアルル。当然だ。何のメリットもなく、ツバメをエンキに渡すわけもない。

 けれど、彼女のその言にエンキは口角を上げてにんまりと笑った。


「お前、なんかトラブってんだろ?」

「なっ! ……んで!?」


 これまで悠然と構えていたアルルの表情が初めて、エンキのその言葉で崩れた。


「そんなことないからっ! ほんとに!」


 彼女はそう必死に言い張るも、その否定こそが事実であることを物語っていた。そして、エンキは更に口角を釣り上げ、最後には笑った。


「クッ……ハハハッ! スカイ・ノアの人間でもそんな表情すんだな。でも、お前も考えてみろよ、この状況。ただでさえ、地上にいるはずのないスカイノアの人間が、こんな砂漠のド真ん中、明らかにおかしいだろ。なんかトラブったんだって考えるのが当たり前だ」

「ぐぅ……!」

「いやでも、弱味に漬け込んでやろうってわけじゃないんだ。何をしてやればお前はツバメをくれるのかって、それだけのハナシ」


 アルルは頭を抱えて、二、三度振った。美しい金髪がはらりと揺れる。それから小さく呻ってから、言った。


「あなたのこと、信じる証拠は?」

「信じれなくても、俺を頼るしかないんじゃないのか? 俺が帰ったらお前は砂漠のド真ん中にポツンだぞ」


 得意顔でそう返すエンキに、アルルは更に頭を抱えた。それから、十秒二十秒。


「分かったわ……、あなたを頼る」


 アルルは、決心したようにそう答えた。顔を上げた彼女の表情に最早動揺の色は無かった。


「私には果たしたい目的がある。けれど、あなたの予想通り、トラブルが重なって、今の状況になってる。これじゃ目的は果たせない。なら、少し信じられなくても飛び込んでみるしかない……!」

「思い切りがいいな、嫌いじゃないぜ! ……で、俺は何をすればいい?」

「私を……、私を”イジェン火山”に連れて行って!」


 エンキはアルルに近付き、先程放ったナイフを拾い上げて笑った。


「オーケイ! じゃあこれ、前金な!」

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