第39話 行ってきます
そんな光景を見ていると、舞花の姿が少し変わった。
あれは高校生くらいだろうか。
『えっと、ごめんなさい。そんな気持ちになれそうになくて』
『……そっか、分かった。ごめんな』
『ううん、私の問題だから』
高校生の舞花は、相手はよく見えないがどうやら告白を断ったようだ。少し寂しそうな顔で男の背中を見送っている。
(本当は付き合いたかったんじゃないのか。なんで断ったりなんか)
『うーん、お兄ちゃんと同い年の人と付き合うのはちょっとねぇ』
(おい、なんつう理由で断ってんだ! アホ妹!)
そしてまた、舞花の姿が変わった。
二十代くらいまで成長した舞花は秀樹や杏奈よりもずっと大人っぽく成長していた。彼女は美しい純白のドレスを身に纏っている。ウエディングドレスだ。
左手の薬指にはめた指輪を愛おしそうに見つめていると、彼女は待合室に持ってきていた二枚の写真立てへ視線を向けた。
栗田秀樹と朝倉杏奈の写真である。舞花は写真の前に立つと、写真に写る二人に向かって笑顔で話しかけた。
『もう、私の方が随分大人になっちゃったね、お兄ちゃん、杏奈お姉ちゃん。もし二人が生きていたら結婚していたのかしら?』
(ないな)
「ないわね」
『ふふふ、きっと二人で揃って「ないな」とでも言うんでしょうね』
(ぐう、バレてる)
舞花はしばし天井を見上げ、もう一度写真へ顔を向けた。
『二人が亡くなってもう十年が立つのね。長いような短いような……今でも思い出すわ。お兄ちゃんが失言をして杏奈お姉ちゃんに鉄拳制裁を受けている姿が、目に浮かぶよう』
(忘れてくれ!)
まさか現在進行形で続いてるとはとても言えない秀樹である。
『ずっと苦しかったわ。だって、いきなり死にました、行方不明ですなんて言われても信じられなかったんだもの。いつかきっとひょっこり帰ってくるんじゃないかって、毎日玄関の前で待っていたこともあったわ』
秀樹はそっと視線を下げた。
自分達が亡くなった後の家族がどうなったのか、気にならなかったわけではない。運良く杏奈と一緒に転生することができたから、ゲームの世界だと知っても前を向いて歩いて行けたんだと、舞花の姿を見てそう思えた。
(俺達が死んだ後でも笑っていて欲しいなんて願うことは、俺の我が儘だったんだな)
自分達の死に妹がこんなにも苦しんでいたのかと思うと胸が痛い。それは杏奈も同じようで、舞花を見つめながらいまだに涙が収まらないようだ。
『でもね、お兄ちゃんを待つのも、悲しんで泣くのも今日でもう終わりよ。だって私、結婚するんだから』
(見れば分かるよ)
写真に向かって結婚指輪を見せつける妹に苦笑を禁じ得ない。
(つーか、今から結婚式するのになんでもう結婚指輪はめてんだよ)
『これはお兄ちゃん達へのデモンストレーションよ。誰よりも先に私の結婚指輪姿を見せてあげたんだから感謝してよね』
ちょっと自慢げに微笑む姿がかつての妹の面影を感じ、秀樹は心の中で笑ってしまった。
『……お兄ちゃん、私、結婚するのよ』
さっきと同じ言葉に秀樹は訝しむ。
『きっとこれから新しい家族も増えるわ。お兄ちゃんのことを考える暇もないくらい忙しくなるわね。だから私……もう、お兄ちゃんのことを考えて泣いたりしないわ』
舞花の瞳に雫が溜まり始めた。
『ごめんね、お兄ちゃん、杏奈お姉ちゃん。もし二人が幽霊になって私のそばにいたら、ずっと心配してたでしょ? 私、ずっと泣いてたもんね。でも、もう大丈夫よ。あの人と家庭を築いて私、お兄ちゃんよりも賢くて頼りになる息子を産むわ。杏奈お姉ちゃんみたいに優しくて可愛い娘も産むの。だからもう、大丈夫。あの人が一緒に歩いてくれるから、もう、私は大丈夫よ』
舞花の瞳から涙がこぼれ落ちる。
『あれ、おかしいな。二人のための涙はカラッカラになるまで流しきったはずなのに。本当に困っちゃうわ。でも、これは嬉し涙みたいなものだからいいわよね』
目の端に涙を溜めながら、舞花は朗らかに笑った。
どこからか扉をノックする音が鳴る。
『はーい、今行きます。それじゃあ、今から結婚式に行ってくるわ。二人に向かってこんなふうにお話するのも多分今日が最後ね』
舞花は写真立てをそって指で撫でると立ち上がった。
『……ねえ、お兄ちゃん、杏奈お姉ちゃん。もしも二人がどこかで生まれ変わったりしたら、そっちでも仲良く元気に楽しくやってね。私のことなんて心配する必要ないから。だって、見れば分かるでしょう? 私は大丈夫だもの……行ってきます、お兄ちゃん。私、幸せになってくるね』
舞花はニコリと笑った。いくつになってもそれは可愛い妹の笑顔だった。
「……ああ、行って、らっしゃい、舞花」
栗田秀樹、いや、クリストファーは、光の粒となって消えた、妹に見えていた存在に向かってそう言った。
そして、栗田秀樹の意識は再び暗闇の世界に戻る。テレビ画面には涙を止められないアンネマリーの姿が映し出されていた。
秀樹の体にはいまだに茨が巻き付いており、とても痛い。だが――。
「俺はもう分かっちまったから、お前の好きにはさえねえぞ。あのクリストファーは俺じゃねえ!」
不思議な星が見せてくれた舞花の人生。だからこそはっきり言える。
負の魔力が自分に植え付けようとしているのは『ゲームのクリストファー』の記録であって、今この世界に生きるクリストファーとは全く関係のない人間なのだと。
暗闇の中に光りが生まれた。栗田秀樹の胸のうちから光の筋が幾重にも溢れ出す。光が触れるだけで、秀樹を拘束していた茨が弾け飛んだ。
「舞花が言ってただろ。仲良く元気に楽しくやれってさ。だから、返してもらうぜ、俺の体!」
栗田秀樹の全身から光が溢れ出す。茨は取り払われ、テレビ画面は本物の光に飲み込まれていく。夢の世界を覆い尽くす闇さえも、栗田秀樹自身が放つ光の前には無力となった。
そしてその影響は夢の世界に留まらない。
「メロディ! あれ!」
「はい!」
ずっとクリストファーの前で白い光が佇んでいる状況を見ているだけだったメロディ達は、クリストファーの異変に気が付いた。
刺青のように彼の肌に浸透していた茨の紋様が粉々になって肌から浮き上がったのである。瞳に魔力を凝集して状態を確認する。
(これなら、いける!)
「魔力の息吹よ舞い踊れ『
クリストファーを包み込むように風が発生し、黒い魔力が天高く昇っていく。アンネマリー達の目で捉えられないほどの高さまで上がると、メロディは魔力を凝集し、結晶へと姿を変えた。
「クリストファー!」
ホッと安堵の息を漏らすメロディだったが、アンネマリーの声に驚く。負の魔力の影響から解放されたクリストファーは意識を失って倒れてしまったらしい。
クリストファーへ駆け寄るとアンネマリーは診察を始めた。心配そうに色々確認するが、とりあえず緊急性はなかったようで安心したように息を吐いた。
「アンネマリー様、クリストファー様は大丈夫ですか?」
「ええ、軽い怪我は多いけど命に別状はないわ。治療は必要だけど。医務室に運ばないと」
「私とメロディで運びましょうか? アンネマリー様はお疲れでしょうし」
「女二人でも結構大変よ。男手があるといいのだけど」
困った様子の二人を前にメロディはちらりと『
「『夢幻球』解除」
メロディは情報隠蔽の魔法を解除した。すると、そこには一人の男子生徒が真剣な表情で周囲を見回していた。
「マクスウェル様!」
気付いたルシアナが声を上げる。
突然姿を現したメロディ達に目を見開いて驚くマクスウェル。
「君達、やはりここにいたのか。見つからないから苦労したよ」
「そうか、クリストファー様が解放されたから結界も解けたのね。マクスウェル様、クリストファー様を医務室へ運んでくださいませんか」
「ええ、お安い御用ですが、後で説明をしていただきますよ」
「はい、分かっております」
マクスウェルはため息をつくとクリストファーを背中に負ぶった。そしてメロディ達へ視線を向ける。
「ところでアンネマリー嬢、この二人はどうするのですか?」
「……ルシアナさん、メロディ、本当に申し訳ないのだけれど、今日のことは内密にお願いしたいのです。その、えっと……」
アンネマリーはどう説明すればいいかかなり迷っていた。無関係で無力な彼らを魔王の件に巻き込むのは気が引けるし、かといって何も説明がなければ納得できないだろうし。
どうしたものかと悩むアンネマリーを余所に、メロディとルシアナは二人で頷き合った。
「アンネマリー様、内密にする件は承知しました。メロディともども秘密にします」
「ありがとう、ルシアナさん」
「あと、詳細な説明は今のところしていただかなくて結構です」
「え? い、いいの?」
「正直なところ、難しいお話は避けたいなぁ、と思わないでもないので……」
ルシアナはバツが悪そうにそっと目を逸らした。
「……その、ごめんなさい。いつか気持ちに整理がついたら説明します。もう少し待ってもらえると嬉しいわ」
「はい、それで結構です。アンネマリー様、お気になさらないでください」
「……メロディもいいのかい?」
少し心配そうな表情でマクスウェルが尋ねた。メロディは少し考えて答える。
「マックスさんが必要だと思った時に説明してくれればいいですよ」
「それでいいのかい?」
「ええ、無理に聞く気はありません。きっと本当に説明すべき時が来たら教えてくれますよね。だって私達、お友達じゃないですか。ね、マックスさん?」
メロディはニコリと微笑む。
マクスウェルはしばしメロディを見つめ、苦笑気味に笑った。
「……ごめん。いつか、その時が来たら説明するよ」
「ええ、いつでもどうぞ」
アンネマリー達はメロディとルシアナを残して医務室へ向かった。メロディ達は二人きりになってやっと大きくため息を零す。
「はぁ、何だったのかしら、さっきの。なんでクリストファー様に黒い魔力がついてるのよ」
「私の魔法のこととか、黒い魔力のこととか、説明しづらいことがいっぱいでしたね」
「黒い魔力については聞かれても私達だってよく分かってないんだけどね。それにさっきの白い光は何だったのかしら。あれもメロディの魔法?」
「多分そうだと思うんですけど、私もよく分からなくて……」
「私達二人には白い光がウネウネ動いていたようにしか見えなかったけど、アンネマリー様達には別の何かみ見えていたいみたいだけど。メロディ自身にも分からないんじゃ私にはさっぱりね」
ルシアナはお手上げと言わんばかりに頭を左右に振った。
「それにしてもクリストファー様に黒い魔力が宿るなんて。やっぱりセシリアとして再び学園に戻った方がいいのではないでしょうか」
「戻ったところでメイド不足で倒れるんだから無理よ。他の方法を考えましょう」
「そういえばそうでしたね。うーん、他の方法……」
「それよりお腹が空いちゃった。夕食にしましょう」
「あ、そうでした。もうとっくに下校時間ですよ。早く帰って夕食にしましょう、お嬢様」
メロディとルシアナ、二人はとても切り替えの早い娘なのであった。
◆◆◆
明けて翌日、十月二十日。王立学園は騒然となった。王太子クリストファーが大怪我を負い、治療のため王城へ帰還したという話が広まったからだ。
何でも、学園舞踏祭で皆を楽しませる魔法をサプライズでお披露目しようと考えていたが、完全に失敗してしまったようで、クリストファーは大怪我を負ってしまったようだ。その際に魔法が暴発して学園内に轟音を轟かせてしまったらしい。
幸い、学園側が被った被害は騒音くらいで、敷地の破損などは特になかった。一番ダメージを受けたのは怪我をしたうえに、魔法を失敗したことを世間に知られてしまったクリストファーである。
だが、そのおかげか完璧超人のように敬われていた彼でも失敗することがあるのだと、一部ではとても親近感が湧いたと好評らしい。本人以外に被害がなかったからこそ言えることだが。
そんな理由から、王太子クリストファーは数日王城で休養を取ることになった。早ければ来週の休み明けから復帰する予定らしい。アンネマリーがどうしても看病するのだと言って、彼女もまた来週まで学園を休むことになった。
周囲は困惑しつつも逆にホッとしたらしい。ここ数日、二人の関係がかなりギクシャクしていたので、これを機会に元の関係に戻ってくれればと多くの者達が切に願っていた。
そして翌週、休み明けに並んで登校するクリストファーとアンネマリーの姿を目にした生徒達はようやく学園の平穏が戻ってきたのだと実感するのであった。
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