第38話 栗田舞花

「え?」


「メロディ、どうしたの?」


「今、声が……」


 メロディは周囲を見回した。しかし、この場に自分達以外の姿は見当たらない。ルシアナには声は聞こえていないようだ。


『暗闇を腫らすには希望の光が必要だ』


「希望の光?」


「メロディ、どうしたの?」


『教えて。君が求める希望の言葉を。絶望の闇を穿つ、光輝く言葉を』


「私が求める言葉……」


 メロディは戦うクリストファーとアンネマリーを見つめた。闇に堕ちたクリストファーを救うことができる唯一の言葉。


 メロディが知るそれは一つしかない。


 突然頭の中に響いた声を相手に自分はなぜこうも従おうとしているのだろうか。そんな感情が動く一方で、これが必要なことなのだとメロディは本能的に理解していた。


「アンネマリー様!?」


 バランスを崩して転倒したアンネマリーにクリストファーが黒い剣を振り上げた。ルシアナは咄嗟に駆け寄ろうとするが、もう間に合わない。アンネマリー自身も避けきれないと察し、短杖を突き出してガードしようとしているが厳しいだろう。


 どうあがいても覆せない最悪の状況だ。奇跡でも起きない限り。


 両手を組んだままメロディは空を見上げた。茜色の空が闇色に変わり始める頃、不安定な空に星の光が瞬いている。


(星が、綺麗……)


 メロディは空を見上げたまま心のままに言葉を紡いだ。


「『銀結界』」


 その瞬間、夜空に一点の星がキラリと瞬いた。





 そして、クリストファーとアンネマリーの間に白銀に煌めく一筋の流星が落ちてくる。





「きゃあああっ!」


 その衝撃でアンネマリーは地面を転がり、クリストファーから距離ができる。土煙が広がり、視界が遮られてしまった。


(『銀の風アルジェントブレッザ』!)


 風を起こし、土煙を払う。視界が回復した先の光景にこの場にいる全員が息を呑んだ。


「……あれは、何でしょう?」


 メロディの問いに答える者はいない。クリストファーの前に白銀に輝く謎の物体が浮かんでいるのだ。


 だが、メロディにはあれが何か理解できた。


(あれが――『銀星結界』)


 自分が以前使った魔法『銀清結界』とは異なる、だけどよく似た魔法だと、不思議とメロディは理解していた。


 そして、見つめていると『銀星結界』はおぼろげに形を変えていく。何となくそれは人間のような姿をしていた。


 だが一瞬、メロディにはあの物体が本当の人間のようにも見えた。どこかで見たような、黒髪の幼い少女のような気がしたが、あまりに瞬間的なことだったのではっきりとしない。


 クリストファーは剣を振り上げた姿勢のまま、白銀に輝く人型の物体を呆然と見つめており、戦う様子がない。


 どうしたのだろうかと思い周囲を窺うと、アンネマリーの様子もおかしかった。


「そんな、どうして……」


 彼女は地面に倒れ伏しながら、涙を流して『銀星結界』を見つめていた。


「アンネマリー様、どうしたのかしら?」


「わ、分かりません。でも……」


 メロディはついさっき、一瞬だけ見えた少女のことを思い出した。


「もしかすると、アンネマリー様とクリストファー様には別の何かに見えているのかも」


「別の何かって?」


 メロディは首を左右に振った。それは彼女にも分からない。


 でもそれは……。


(涙を流すほど会いたかった誰か、なのかもしれない)


 謎の魔法『銀星結界』によって齎された混沌とした現状を、メロディは静かに見つめる。






◆◆◆



「ああ、いでぇ……」


 暗闇の中、栗田秀樹は全身を茨に覆われて身動きが取れないでいた。


 ここは彼の夢の世界。


 負の魔力によって闇堕ちさせられた秀樹を閉じ込める場所だ。


 訳が分からなかった。気が付けば闇堕ちしていたのだ。


 つい昨日には落ち着きを取り戻していた精神は翌日の日暮れにはいきなり大暴走である。何か重要なイベントをスキップした気分だ。


「マジ最悪だぜ。茨の茎は太くなるし、とげはでかくなるし。誰だよ肥料撒いた奴は! ぐぅ!」


 この前以上に強い締め付けが秀樹を痛めつける。例のテレビ画面はなぜかサイズが大きくなり、大画面で見せてくれるようになった。


 全く嬉しくなかったが。何せ、見せられたのはアンネマリーとの戦闘シーンだったから。秀樹が夢の中で意識を取り戻したのはアンネマリーから『流星撃シューティングスター』を受けた時だった。


 その手でメイドの少女メロディの首を絞めている場面からスタートである。トラウマものの最低な映像である。幸い、メロディは助かったからよかったものの、これで彼女を殺していたら絶対にこの闇から抜け出せなくなる自信があった。


「操られていたとはいえ人殺しは無理だわ。マジいやだぁ」


 茨に捕まった自分にはアンネマリーの奮闘を眺めることしかできなかった。当初は多彩な魔法によって優位をキープしていたものの、予想以上に闇堕ちクリストファーの保有魔力が多かったのか徐々に優位を維持できなくなっていった。


「おいおい、マジかよアンネマリー! マクスウェルはどうした? 手伝ってもらうんじゃなかったのかよ! ……ああ、俺の闇堕ちが早すぎて間に合わなかったんだな」


 全部自分のせいだ。秀樹さえ闇堕ちしていなければマクスウェルとの連携も間に合ったし、この場にメロディやルシアナがいることもなかったはずだ。


「ああ、くそ。なんで俺、闇堕ちしちまったなよぉ」


 嘆いていても何も変わらない。だが、戦況は刻々と悪い方へ傾いていった。アンネマリーが足を踏み外し、転倒してしまったのだ。隙を見逃さず剣を振り上げるクリストファー。回避は間に合わず短杖で防ごうとあがくアンネマリー。


 だが、クリストファーとして剣を習ってきた栗田秀樹には分かってしまった。アンネマリーでは防ぎきれないと。


「避けろ、杏奈!」


 暗闇の中で秀樹が叫ぶ。しかし、その声が彼女に届くことはない。まるでスローモーションのように剣がアンネマリーに向かって振り下ろされていく。


「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 秀樹は叫ぶ。それが何の意味もないことだと分かっていても。それくらいしかできることがないから。どうしようもなくても、叫ばずにはいられないから。


(頼むよ、誰か、助けてくれ!)


 果たして彼の願いは通じたのか、突如空から降った一筋の流星が戦場の時を止めた。


 テレビ画面から眩い白銀の光が溢れ、暗い世界を明るく照らしていく。茨に囚われたまま、秀樹は反射的に目を閉じ、気が付くと――。


(これは……)


 彼の視界は現実世界に戻っていた。

 きちんとクリストファーの目で、目の前の光景を見ている。

 そして、彼の目の前には――。


『お兄ちゃん?』


 栗田秀樹の妹、栗田舞花がいた。


(なんで舞花がここにいるんだ?)


 体が動かない。動かせるのは眼球くらい。チラリとアンネマリーの方を見れば、彼女は口元を手で押さえて涙を流していた。ルシアナとメロディはよく分からないという顔をしている。


『お兄ちゃん?』


(おう、舞花、俺はここにいるぞ)


 舞花の声に応えようとするが、クリストファーの口は動く様子がない。それに、舞花は秀樹を呼んでいるが、目の前のクリストファーやアンネマリーがまるで見えていないような様子だ。


『お兄ちゃん?』


(さっきから舞花の奴、何度も俺のこと呼んでどうし……あっ)


 ジッと舞花を見つめていた秀樹の視界が変化した。彼の目に映るのは舞花だけでなく、懐かしき日本の我が家の姿であった。


 舞花は無人のリビングの扉の前に立ち、ヒョコリと顔を出すと口を開いた。


『お兄ちゃん?』


 周囲を見回して誰もいないのだと悟ると、今度はキッチンに向かい。


『お兄ちゃん?』


 次はトイレ、脱衣所、風呂場に玄関、庭に物置、全てに向かって。


『お兄ちゃん?』


 一階の全ての部屋を確認し終えると、舞花は躊躇う素振りを見せて階段を上がった。


(……これは、まさか)


 舞花は自分の部屋に入り、クローゼットまで開けて声を掛ける。


『……お兄ちゃん?』


 だが、返事はない。舞花はもう一度だけ『お兄ちゃん?』と尋ねるが、答える者はどこにもいなかった。そして舞花は、最後の部屋の前に立った。


 舞花は震えていた。秀樹は見ていられなかった。


 だって、これは――。


 だが、舞花は意を決し扉を明けた。真っ暗な室内には舞花の部屋より大きなテレビとゲーム機が置かれている。舞花はさっきまでのように一言も声を発することなく、テレビとゲーム機の電源を入れた。


 カタカタと震える指でコントローラーを持ち、ゲームが始まる。美麗なイラストと音楽が流れ、タイトルが表示された。


 ――銀の聖女と五つの誓い。


 コンティニューを選択し、舞花はとあるイベントのシーンを開いた。


『……もうこれ以上、誰も、死なせない!』


 主人公の少女がそう告げると、中ボス『闇堕ちクリストファー』との戦闘がはじまった。


「うう、こなくそ! ああ、強い! やられちゃう!」


 空元気だと分かるような声でゲームを楽しむ振りをしている舞花が痛々しい。真っ暗な部屋には舞花一人で、いつも舞花がゲームをする時に一緒にいてくれる二人の姿がない。


(舞花、お前……)


「えーい! これでどうだ! ……ああああああ! 負けちゃったぁ」


 舞花は中ボス『闇堕ちクリストファー』に勝てなかったようだ。ガックリと肩を落とし、だが次の瞬間には勢いよく頭を上げて後ろに振り返った。


『じゃあ、次はお兄ちゃんの番だよ。ねえ、お兄ちゃん?』


「……舞花、ちゃん」


 アンネマリーが泣いている。舞花を見つめながら、涙が止まらないでいた。


『お兄ちゃん?』


 キョロキョロと部屋の中を見回しながら、いるはずのない者を舞花は探し続けた。


『お兄ちゃん? ねえ、お兄ちゃんってば』


 ベッドの布団をめくり、ベッドの下も探して、クローゼットも机の引き出しまであさって、舞花は探し続ける。


『……お兄ちゃん? ……杏奈お姉ちゃん? ねえ、どこにいるの? ……ねえ!』


 舞花の瞳から大粒の涙が流れ出した。クリストファーとアンネマリーも涙を流す。


(これは幻なのか。幻であってほしい。こんな、舞花、こんな……)


『お兄ちゃん! 杏奈お姉ちゃん! どこにいるの!? 帰ったら旅行の話聞かせてくれるって言ったじゃん! ゲームもまだ攻略してないルートがあるんだよ? ……お兄ちゃん?』


 舞花はずっと家の中で秀樹と杏奈の姿を探し続けた。きっとこれが初めてじゃない。秀樹はそう思った。こんな悲しいことをずっと続けているのだと、クリストファーの瞳は涙を止められなかった。


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