第36話 メロディ対クリストファー

「さっきの凄い音、こっちの方でしなかった?」


「危ないんじゃない? やめておいたら?」


 戦う決意をしたメロディだったが、こちらへ向かう者の声が耳に入り現実的な問題に思い至った。


(クリストファー様のこんな姿が他の生徒に見つかったらまずいんじゃ!?)


 黒い魔力に精神を支配され、生徒達に危害を加えた王太子……この字面だけで大変な醜聞である。


(これはダメだわ。戦う前に誰にも見つからないようにしないと!)


「えっと、えーと……全てを欺き隠し通せ『夢幻球ソニスフェーロ』」


 メロディを中心に半球状の巨大なドームが形成された。


 それは外から見る者を欺き通す幻影の結界。内側で何が起ころうともドームの外にいる者には何事もない空間が広がって見えるのだ。

 この魔法は『夢幻接続ソニコレガーテ』を現実に反映させるイメージの魔法で、光を利用して幻影を生み出しているのではなく、ドームを見る全ての者に同じ夢を共有させていると言った方が近いだろう。


 そしてこの魔法の素晴らしいところは――。


「これでよし――はっ!」


 クリストファーが剣を振った。黒い魔力で作られた斬撃がメロディを襲うが、優れた反射神経によってメロディはクリストファーの攻撃を回避した。しかし、斬撃はそのまま『夢幻球』を通り抜けようとする。


 しかし、黒い斬撃は夢幻球の壁に阻まれ外へ出ることができなかった。


 ――『夢幻球』はメロディが見せたい夢を維持するために、内側から外側への干渉も防いでくれるのである。


 つまり、クリストファーの攻撃がうっかり他の生徒達の目に触れることも被害に遭うことも防ぐことができるのである。そして、いくら黒い魔力の飛ぶ斬撃だろうと、メロディの強大な魔力で生み出した結界を壊すことなど不可能だ。


 メロディはクリストファーを救うため、彼をこの結界の中に閉じ込めることに決めた。


「さあ、次は私の番ですよ! 魔力の息吹よ舞い踊れ『銀の風アルジェントブレッザ』!」


(すぐにクリストファー様に纏わり付く黒い魔力を取り除いてあげますからね!)


 クリストファーを風が襲う。王都に侵入した黒い魔力を宿したハイダーウルフを無力化した時と同じ方法だ。体に纏わり付く黒い魔力を『銀の風』で吹き飛ばして回収してしまうのである。


 突風の勢いに後退しそうになるクリストファーだが、メロディは難しそうな表情を浮かべた。


(どうして……紋様が体から離れない!? だったらもっと!)


 メロディは『銀の風』の威力を上げてみた。猛烈な風がクリストファーを襲い、彼もその勢いに対抗しようと前傾姿勢になるが、やはり黒い魔力を除去できない。


(そんな、なぜなの? ……まさか、刺青?)


 今までの黒い魔力は対象物の表面に纏わり付くように宿っていたが、よく見てみればクリストファーの黒い魔力は刺青のように肌に浸透しているように見える。


(肌に馴染んでいるせいで、風で撫でたくらいじゃ取れないってこと? そんな!?)


 まさかの事態にメロディは動揺した。その隙を狙ってクリストファーは横に飛んで突風の流れから逃れた。そして片膝を突いた姿勢で黒い剣を地面に突き刺した。


「これはっ! 『天翼アーリダンジェロ』!」


 黒い剣を中心に地面から無数の茨が生え始めた。茨は当然のようにメロディ目掛けて動き出す。咄嗟に魔法で翼を生み出し、メロディは空中へ難を逃れるが、茨はしつこく天にまで伸びてくる。


「だったらもっと強い風を! 清らかなる息吹の調べ『白銀の風アルジェント・ビアブレッザ』!」


 白銀の魔力の粒子を伴う清らかなる風が巻き起こる。

 黒い茨は風に触れた瞬間に砕け散った。

 メロディの攻撃の隙に合わせてクリストファーが黒い斬撃を放つ。


「『白銀の風』!」


 輝く風が斬撃を相殺し、クリストファーの攻撃に対抗していった。クリストファーにとっては受け入れがたい強大な魔力だったかもしれないが、それを圧倒する魔力を有するメロディが本気で戦えば、闇堕ちクリストファーなど正直なところ敵ではないのである。


 最早『白銀の風』だけで制圧できそうな戦力差だ。それはメロディも理解しているようで、彼女はクリストファーの捕獲に動いた。


「クリストファー様を捕まえて『白銀の風』」


 以前、ルトルバーグ領に現れた巨大な黒い狼を捕縛するのにも使った『白銀の風』が、クリストファーに迫り来る。クリストファーは足裏から噴射するように茨を突き出して高い跳躍を得て、メロディの風から逃れようとするが、風は自由に吹き荒れ、滞空するクリストファーに自由はなかった。『白銀の風』がクリストファーを捕らえた。


「これからどうしよう……『銀の風』が効かないなら『白銀の風』で試してみるしかないかな」


 クリストファーの周りを白銀の光が渦巻いていく。銀の魔力を伴う風がクリストファーを包み込んでいく。


(どうかお願い。この風で黒い魔力を取り除いて!)


 願いを込めて魔法を行使することしばし、変化が起きた。


「あああ、あああああああああああ!」


 クリストファーが苦しみだしたのだ。メロディがジッと目を凝らせば、茨の紋様のところどころにひびが入っていくのが見える。メロディは作戦が上手くいったと喜んだ。


「やった! このままいけば――え?」


「ぐあ、あ、あああああああああああああああああ!?」


「クリストファー様!?」


 クリストファーのあまりの絶叫にメロディはギョッと目を見開いた。茨の紋様から血が流れ、クリストファーが痛みに苦しんでいるのだ。


(まずいわ。このまま紋様を壊したらクリストファー様の体にもかなりのダメージが!)


 メロディは慌てて『白銀の風』をやめて、クリストファーの下へ駆け出した。


「クリストファー様!」


 彼は地面にぐったりと横たわっていた。紋様にはひびが入ったままで、その縁から幾筋もの血が流れている。制服の下からも血が流れているので全身ボロボロかもしれない。


「とりあえず手当てをしないと――あっ!」


 メロディが手を伸ばすと、ぐったり倒れていたはずのクリストファーが生気のない目をクワッと見開いた。そして、メロディの手を掴む。


「は、離してください! きゃあっ!」


 クリストファーの腕の袖口から黒い茨が急速に伸び、それらがメロディを絡め取っていく。


「やめて! 離して! いやあああっ!」


 黒い茨がメロディの腕に、足に、きつく絡みついていき彼女を拘束していった。茨の強い力で体が浮き上がり、メロディは手足をばたつかせるがびくともしない。


 幸い、メロディのメイド服は守りの魔法仕様なので茨で怪我をする心配はない。しかし、茨の力は強く、魔法が使えてもあくまでか弱い少女でしかないメロディに拘束を解く術はなかった。


「だったら白銀のか――んぐうっ!」


 黒い魔力の茨くらい『白銀の風』を使えば簡単に破壊できる。そう思ったメロディだが、クリストファーの手が彼女の首を強く絞めたことで魔法の呪文が止まってしまう。


 クリストファーは全力でメロディの首を絞めた。突然のことにメロディは恐怖で声が出せない。ちなみにダメージはない。肌が覆われていないところもしっかりカバーしてくれるのがメロディの守りの魔法である。


 今はただいきなり首を絞められたことにショックを受けて魔法を使うことを忘れているだけだったりする。実際には実のところピンチでもなんでもないのだが、戦い慣れていないメロディにとってはピンチに感じられる状況だった。



 そして茨で手足を拘束され、首を絞められている少女の光景は、外から見る者にとってもトラウマものの大ピンチであった。



「魔力よ、収束し星を象れ! 流星よ、我が敵を打ち砕け! 『流星撃シューティングスター!』」


 星形の魔力の弾丸がクリストファー目掛けて流星のごとく放たれた。

 クリストファーはメロディから手を放して『流星撃』を回避する。


「もう一丁!」


 クリストファーがメロディから離れると、星形の魔法はグルリと旋回してメロディの下へ向かった。そして魔法の攻撃によってメロディを拘束していた黒い茨を断ち切る。

 自由になったメロディはどうにかバランスを取って地面に膝を突き、誰かに抱きしめられた。


「メロディ、大丈夫!?」


「え? お嬢様? どうしてここに?」


「ルシアナさん、メロディは!?」


「アンネマリー様のおかげで無事です!」


「そう、よかった」


「ええ? どうしてアンネマリー様まで? ここは外からじゃ見えないはずなのに」


「アンネマリー様が魔法で見つけてくれたのよ」


「そんなことができるんですか、凄いです!」


「お褒めの言葉、ありがとう。でも、その話は彼をどうにかしてからゆっくりしましょうか」


 アンネマリーはクリストファーに視線を向けた。彼は黒い剣を右手に持ち、こちらを見据えている。アンネマリーもまた銀製の短杖を構えて臨戦態勢を取った。


「クリストファー様、正気に戻っていただきます。ルシアナさん、メロディさんと下がっていて」


 アンネマリーとクリストファーの戦いが始まった。



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