第25話 オリヴィアとふしぎな剣

「はぁ、オリヴィア様にお礼を言うことができませんでした」


「そういう時もあるわよ。明日きちんとお礼を言いましょう」


 太陽が傾き始めた頃、授業を終えたメロディとルシアナは一緒に下校していた。もともとメロディはルシアナの護衛をするために学園に編入したので一緒に帰るのは当然のことである。

 ホームルームの後、オリヴィアにお礼を言いに行こうとするメロディだったが、授業の合間は近くの生徒と話していることが多く、昼休みも気が付けば先にどこかへ行ってしまっていて見つけられず、あっという間に放課後を迎えてしまったのである。


(何だかオリヴィア様とはタイミングが合わないなぁ)


 少し落ち込みながらもルシアナを寮へ送り届け、メロディは足早に平民寮へ戻った。

 何せこの後は――。


「レッツメイド! お嬢様の部屋へ!」


 ――オリヴィアの件は一旦忘れて、楽しいメイドのお仕事の時間なのだから。


「さあ、お嬢様。美味しい夕食を作りますから待っていてくださいね!」


 今朝、マイカと約束した通り本日の夕食を任せられたメロディは業務に勤しむのであった。

 しかし、楽しい時間はあっという間。ルシアナがお風呂から上がった頃、メロディは仕方なく自室へ扉を繋げた。


「それではお嬢様、名残惜しいですがまた明日」


「ええ、おやすみなさい、メロディ」


 ルシアナに見送られながら、メロディは平民寮の部屋へ帰ってきた。真っ暗な部屋に立ったままため息が零れる。


「はぁ、やっぱり朝もお仕事させてもらえないかなぁ」


「セシリア、いる?」


 項垂れるメロディの部屋の扉をノックする者が現れた。


「その声、キャロルさん!? あ、あの、ちょっと待ってもらえます? ……『舞台女優テアトリーテ』」


 突然の来客に慌てるメロディ。何せ今の姿はメイドのメロディそのもの。急いで魔法でセシリアに変身するとキャロルの待つ扉へ駆け寄った。


「すみません、お待たせしました」


「こんな時間にごめん。ちょっと教えてほしいことがあって」


「教えてほしいことですか?」


 何のことだろうと一瞬考えるが、キャロルが手にしている物を見て理解した。


「ああ、もしかして昨日の試験の直しですか」


 キャロルは昨日の試験用紙、正確には試験冊子を手にしていた。間違えた解答を直して提出する課題を明日までに仕上げなければいけないのだ。担任教師レギュス、なかなかハードな課題である。


「実は、どうしても分からない問題がいくつかあって。セシリアは満点だったから分かるでしょ。教えてもらえない?」


「ええ、構いませんよ。どうぞ、入ってください」


 部屋に招き、メロディはキャロルに勉強を教えた。

 ほとんどの問題は自分で解き直したようだが、教科書を読んでも難しい問題がいくつかあったようで、メロディはその解き方を指導した。キャロルは特に数学の応用が苦手らしい。


「――で、ここをこう考えると」


「……ああ、そういうこと」


 一時間くらいかかってしまったが、ルシアナの家庭教師すらこなすメロディの教え方は理解しやすかったらしく、キャロルはどうにか全ての解答を埋めることができた。


「はぁ、終わった。手伝ってくれてありがとう、セシリア。本当に助かった」


「いえ、どういたしまして。お役に立ててよかったです」


 メロディはニコリと微笑んだ。

 人の役に立てることが嬉しそうな笑顔にキャロルは苦笑する。


「……私、なんでこんなに勉強できないんだろ。こんなんじゃ王城で働けやしないわ」


「キャロルさんは王城で働くことが目標なんですか」


「そういう訳じゃないんだけど……忘れて。今日はありがとう。今度何かお礼するわ」


「気にしないでください。また分からないところがあればお手伝いしますので」


「なるべくそうならないよう頑張るわ。それじゃあ、おやすみ」


「ええ、おやすみなさい」


 キャロルが帰り、時刻は午後九時を過ぎたところだった。そろそろ就寝準備を始めなければならない。大浴場で体を清め、部屋に戻ったら寝間着に着替えた。


「昨夜は少し眠りが浅かったから早めに寝ようっと……あ、夕食まだ食べてない」


 ルシアナのお世話を済ませて戻ってきた直後にキャロルの勉強を見ていたので、夕食を取る時間を確保できなかったことに今更ながら気が付いた。

 とっくに食堂は閉まっており、食べるなら自分で用意しなければならないのだが……。


「何だか疲れてそんな気分じゃないなぁ。お嬢様の夕食を作る時に少し味見をしたし、今日はもういいや。寝ようっと」


 食欲よりも疲労が勝ったのか、メロディはさっさとベッドに入った。


 明日も授業がある。ルシアナの護衛を頑張らなくては。


 では、おやすみなさい――。


 ……。



 …………。




(……うーん、今日もすぐに眠れないかも)


 メロディは今夜も少し寝付きが悪いのであった。


◆◆◆


 時間は少し戻って、メロディとルシアナが帰宅した頃。オリヴィア・ランクドールもまた自室に帰ったところだった。


「お帰りなさいませ、お嬢様」


「ええ、ただいま。少し休憩したら勉強をするわ。お茶を淹れてくれるかしら」


「畏まりました。お着替えはどうなさいますか」


「勉強が終わってからで結構よ。お茶はリビングでいただくわ。少し寝室にいるから準備が出来たら呼んでちょうだい」


「承知しました。すぐにお茶の支度をしてまいります」


 出迎えの侍女とのやりとりを終えると、オリヴィアは一旦寝室に向かった。

 寝室に入ったオリヴィアは、侍女の見張りがないのを良いことにベッドにドカッと寝転がった。


(ああ、今日は何だかモヤッとするわ。やはり今朝の件が尾を引いているのかしら)


 ホームルーム直前に起きたカンニング騒動。何の証拠もないというのに満点が信じられないという理由だけで蔓延しそうになったカンニング疑惑だ。

 他人の努力を認められない浅はかな流言、それを信じ始めていた者達。あまりの馬鹿馬鹿しさにオリヴィアが一喝して場を収めたが、そのせいか朝から少し気分が優れなかった。


(でも、こんな時は……)


 オリヴィアはベッドから立ち上がると、一度屈んでベッド下に手を入れた。そしてそこから両手で抱えられるほどの細長い木箱を取り出す。黒く塗色され、煌びやかな装飾が施されたそれは、まるで宝物でも保管しているかのようだ。


 オリヴィアは木箱をベッドの上に置くと蓋を開けた。

 箱の中に入っていたのは――刃が半分失われた銀製の剣であった。

 オリヴィアは銀剣を取り出すと窓の方へ向かった。カーテンを開き、茜色の光が差し込む。両手で銀剣を掲げると光に晒された剣身がキラキラと煌めいた。


「……綺麗ね」


 夕日に照らされた銀剣の美しさに見蕩れ、思わず呟いてしまうオリヴィア。そっと瞳を閉じ、先程の光景を脳裏に映し出す。オリヴィアにはまるで銀剣自身が光り輝いているように感じた。


「剣として大切な刃の半分を失ってもなおあなたは美しい……わたくしもそのようにあれたらいいのだけど」


 オリヴィアは気付かない。折れた剣の断面からわずかに零れ出る白銀の輝きに。銀色に煌めく砂粒のような小さな光が、吸い寄せられるようにオリヴィアの胸元へと漂っていく。そしてそれは、彼女の胸の奥へと消えていった。

 そっと目を開けると、オリヴィアは優しげに微笑を浮かべる。


「……不思議ね。あなたを手にしていると、いつの間にか心が洗われたようにすっきりするの。今朝から感じていたモヤモヤも、気が付けばもう何も感じていない。本当になぜかしら……?」


 オリヴィアは首を傾げるが答えが返ってくることはない。

 そしてまた彼女は微笑む。


「変なの。私ったらいつもあなたに話しかけてしまうのよね。あなたはただの剣だっていうのに」


 もう片付けよう。そう思い、木箱があるベッドへ向かおうと振り返った時だった。

 パキリ。という音がしたかと思うと、銀剣の端が欠けて、ポロリと床に落ちた。


「えっ!? ど、どうして……!」


 慌てるオリヴィア。大切に扱っていたはずの銀剣が傷付いてしまった。どこかにぶつけたりした覚えもないのに、急に一部が欠けてしまったのだ。

 とりあえず急いで銀剣を木箱に戻し、ベッドの下に隠した。彼女の手には欠けてしまった銀剣の欠片がある。木箱に一緒に入れなかったようだ。


「……これ、どうしよう。直せるかしら」


「お嬢様、お茶の支度が整いました」


「――っ! い、今行くわ」


 オリヴィアの肩がビクリと跳ねる。咄嗟に制服のポケットに欠片を隠すと、オリヴィアは何事もなかったように寝室を後にした。


 翌日からオリヴィアはこの銀の欠片をお守り代わりに持ち歩くようになるのだが、もちろんメロディも、アンネマリー達だってそんな事実を知ることはないのであった。

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