第10話 舞踏会に行きましょう
時間が過ぎるのは早いものであっという間に八月三十一日。王立学園夏季休暇最終日であり、夏の舞踏会開催日である。
舞踏会に参加するのはルトルバーグ伯爵夫妻、ルシアナとマクスウェル、メロディ改めセシリアとレクトの三組だ。
ルトルバーグ家が用意した貸し馬車には伯爵夫妻が乗り、残り二組はマクスウェルが用意した馬車に同乗する予定となっている。
「本当に素敵な衣装ね、ルシアナ。それにメロ、セシリアさんも」
「ありがとうございます、奥さ、マリアンナ様」
貸し馬車とマクスウェルが来るのを待ちながら玄関ホールにて交わされる会話だが、まだ若干の違和感がある。既にメロディは金髪赤眼、ポーラの超絶メイクによってセシリアモードに変身していた。
まだメロディがセシリアであるという事実に慣れないのか、マリアンナはついつい名前を言い間違えそうになる。メロディもまたメイドとしての癖が抜けないのか、マリアンナを奥様と呼びそうになっていた。舞踏会会場に着くまでには気持ちを整理しなければならないだろう。
「しかし、こうして見ると二人はまるで姉妹のようだな」
「えへへ、そう?」
ルシアナとメロディが並ぶ姿を見て、ヒューズはそんな感想を零した。
今回、夏の舞踏会に一緒に参加するにあたって色々と協議した結果、ルシアナとセシリアはお揃いのドレスを着ることとなった。
ルシアナのドレス。最早トレードカラーと言ってもよい水色をメインとしたフリルオフショルダーのドレスだ。フリルからは首元にかけてクロスホルター風のリボンが巻かれているが、あくまでデザインであって最悪リボンが解けてもドレスが脱げるなどという事態にはならない。胸元には金色のリボンを垂らしたエメラルドグリーンに輝く宝石があしらわれている。
対するメロディのドレス。前回同様、天使を思わせる白色をメインとしたフリルオフショルダードレスだ。ルシアナ同様、首元からクロスホルター風のリボンが巻かれている。胸元には赤いリボンを垂らした琥珀色の宝石があしらわれている。
細部のデザインに多少の差はあるものの、シルエットとしてはほとんど同じと言ってよいドレスであった。また胸元のフリルの部分には、ルシアナはメロディのドレスの白色の生地を、メロディはルシアナのドレスの水色の生地を使用していることもあり、ヒューズが言う通りまるで姉妹のような、二着で一着のようなドレスが出来上がったのである。
「姉妹というと、私が八月七日生まれでメロディ、じゃなくてセシリアが六月十五日生まれだから、セシリアが私のお姉ちゃんね!」
嬉しそうにメロディの腕にギュッと抱き着くルシアナ。
メロディはクスクスと笑った。
「ということはお嬢様、じゃなくてルシアナ様は私の妹というわけですね。では、姉の言うことをよく聞いてよい子でなければいけませんよ」
「えー、そこはお姉ちゃんなんだから可愛い妹を甘やかしてくれないと」
「ふふふ」
「えへへ」
玄関ホールに大変ほんわかした空気が漂いだした。笑い合うルシアナとメロディの様子を伯爵夫妻が微笑ましそうに見つめている。
そんな彼らから少し離れたところでは、マイカが不満を口にしていた。
「もう、なんでメロディ先輩はお嬢様といい雰囲気になっちゃってるんですか」
(ヒロインちゃんなんだから攻略対象ともっといい感じになろうよ!)
「仕方ないわよ、マイカちゃん。だってパートナーがヘタレではねぇ」
「あー」
「……悪かったな」
マイカ達のそばに立っていたレクトは、バツが悪そうにそう言った。彼も燕尾服に着替えて見た目はビシッとキメているが、ほんわかとした伯爵一家の空気に入り込むことができず、ちょっと離れた場所で立ち尽くしていた。
その結果、ポーラとマイカから酷評される事態となったのである。
この場にはリュークもいるが、彼はレクトに対して何も言わない。それは男としての優しさか、それとも単に興味がないのか。それはリュークだけが知っている。
「ほら、いい加減向こうに加わってきてくださいよ。このままじゃ本当にパートナーを取られちゃいますよ」
「頑張ってくださいね、レクティアス様!」
「あ、ああ」
ポーラとマイカに背中を押され、レクトはようやくメロディ達の元へ歩き出した。
「メロディ、じゃなかった、セシリア嬢」
「あ、レクトさん」
「その、よく似合っていると思う。そのドレス……」
レクトは頑張った。チラッと目を逸らしてしまったが、頑張ってメロディを褒めた。
「ありがとうございます」
メロディは嬉しそうにふわりと微笑んだ。普段とは異なる雰囲気にレクトの心臓は早鐘を打ち始める。悟られないようにしようと表情が硬くなってしまう。
「――? どうかしましたか?」
「あ、いや、何でもない! 馬車はまだかと考えていただけで……」
レクトがそんな言い訳をした直後、玄関の扉からカンカンというドアノッカーの音が鳴った。セレーナが静々とした歩みで扉へ向かい、訪問者を確認する。
「旦那様、奥様、馬車が来たようでございます」
「分かった。それじゃあ、私達は先に行くよ。後のことは任せるけど大丈夫かい?」
「ええ、お父様。後で会場で会いましょう」
「お嬢様のことはお任せください、旦那様」
「お屋敷の方も特に問題ございません。ごゆるりと舞踏会をお楽しみください」
ルシアナ、メロディ、セレーナから頼もしい言葉を聞き、ヒューズは鷹揚に頷いた。
「フロード騎士爵殿、娘とメロディのことをよろしくお願いします」
「承知しました。騎士の誇りにかけてお二人をお守りします」
「まあ、そこまで気負う必要はないんですけどね……」
騎士らしく敬礼をするレクトに苦笑しつつ、伯爵夫妻はメロディ達を残して一足先に王城の舞踏会会場へと出発するのだった。
◆◆◆
それから程なくしてマクスウェルがやってきた。
「ごきげんよう、ルシアナ嬢」
マクスウェルがニコリと微笑むと、ルシアナの顔が一気に紅潮する。燕尾服姿のマクスウェルはやはり格好良く、そんな人が自分のパートナーなのだと考えると、やはり恥ずかしいのかなかなか挨拶の言葉が出てこなかった。
そこにメロディがポンと背中を叩いてやると、ルシアナはハッと我に返る。
「ご、ごきげんよう、マクスウェル様。本日はよろしくお願いします」
「ええ、私の願いを聞き入れてくださり、ありがとうございます」
緊張した様子のルシアナを『可愛いな』と思いながら、マクスウェルはクスリと微笑む。
「それで、手紙にあった通り馬車に同席したいというのが……」
「お久しぶりです、リクレントス殿」
「そうですね。学園でお会いして以来でしょうか、フロード先生」
「もう臨時講師の座は降りたので、どうぞレクティアスとお呼びください」
少しばかり悪戯っぽく語るマクスウェルにレクトは苦笑で返した。
「失礼しました。では、レクティアス殿と。私のこともマクスウェルとお呼びください」
「分かりました。よろしくお願いします、マクスウェル殿」
パートナーのセシリア、騎士爵のレクトの順で挨拶を交わし、マクスウェルは最後にレクトのパートナーである平民の少女へ向き直った。
「初めまして。マクスウェル・リクレントスです」
「セシリアと申します。平民の身ですが、どうぞお見知りおきくださいませ」
メロディは美しい所作でカーテシーをした。マクスウェルは感心しつつも疑問に思う。
(教育の行き届いたカーテシーだ。平民ということだが、どこの家の者だろう?)
「よろしければ家名を伺っても?」
「え? か、家名ですか? えっとウェ、マク……」
「マク?」
「あ、はい……マク……マクマーデン。セシリア・マクマーデンと申します」
テオラス王国では平民でも家名を持つ者は多い。それがないのはマイカのような孤児や、リュークのような記憶喪失者くらいで、別に貴族の特権のようなものではない。
マイカやリュークもきちんと役所に届け出をすれば、新たに家名を登録することも可能だ。
そんな豆知識はともかく、メロディはマクスウェルに尋ねられるまでセシリアの家名など考えたこともなかった。思わず『メロディ・ウェーブ』の『ウェーブ』を言いそうになったが思いとどまり、次に浮かんだのが本名『セレスティ・マクマーデン』の『マクマーデン』であった。
それもダメだろうと途中で言葉を切ったのだが、残念ながらマクスウェルの耳には届いていたらしくメロディはセシリアのフルネームを『セシリア・マクマーデン』と名付けざるを得なくなってしまったのである。
『いや、いくらでも偽名にできるでしょ』とか言ってはいけない。
メロディは純粋な少女なのであるからして。
「セシリア・マクマーデン嬢ですね。よろしくお願いします」
(マクマーデン。やはり聞いたことのない家名だ。だが、金髪のセシリア……クリスとアンネマリー嬢が見たという夢の聖女と同じ名前の少女。後で調べてみるべきだろうか)
一応気にかけておこう。マクスウェルはそう思った。
「私のことはマクスウェルとお呼びください」
「では、私もセシリアと」
(騙しちゃってごめんなさい、マックスさん!)
互いの内心はともかく二人はにこやかに挨拶を交わしたのだが、マクスウェルがとある違和感に気が付いた。
「……ところで、メロディの姿がないようだけど」
周囲を見回すマクスウェルに全員がドキリと胸を震わせる。
(マックスさん、なんでそんなこと気にするのー!?)
まさかマクスウェルからそんな疑問を口にされるとは考えていなかった面々は、この場にメロディがいない理由など全く決めていなかった。
「メ、メロディはちょっと疲れていて、休んでもらっているんです」
ルシアナは咄嗟に誤魔化しにかかった。皆が『お嬢様ナイス!』と思っている中、マクスウェルは怪訝そうに首を傾げる。
「メロディが、疲れたくらいでルシアナ嬢の見送りに出ない? ……あのメロディが?」
(((((仰る通りで!)))))
頭上に疑問符を浮かべるマクスウェルに思わず同調してしまう一同。そう、あのメロディがちょっと疲れた程度でルシアナの見送りに来ないなどありえないのである。
もし本当にそんな事態になっているのなら、それはつまり、メロディの容体はかなりディープな緊急事態に陥っている可能性すら考えられる……なんて想像ができてしまうとは、恐ろしきかなメイドジャンキー。
「えっと、今メロディさんは眠っているみたいですよ」
だから、メロディは自分で自分をフォローしなければならなかった。
「その、私が急遽舞踏会に参加することになった際に、私とルシアナ様の衣装をお揃いにしようという話になりまして、ここ数日寝る間も惜しんでドレスを作ってくださったんです。完成したのが今日のついさっきで、少し仮眠を取ってもらったんですけど……」
メロディはチラリとルシアナへ視線を向けた。
彼女はハッと気が付いてメロディに続く。
「そう、そうなんです! 本当は見送りの時間に起こしてほしいと頼まれていたんですけど、あんまり疲れているようだったからこのまま眠らせておこうって皆で決めたんです」
「そうだったんですか。確かに、お二人ともお揃いのドレスがよくお似合いです。髪の色も似ていますし、まるで姉妹のようですね」
「「ありがとうございます」」
少し照れながら二人は微笑んだ。そして安堵の息をつく。
上手く誤魔化せた、と。
「では、そろそろ出発しましょう」
「はい。皆、屋敷のことをお願いね」
「「「「行ってらっしゃいませ」」」」
ルシアナの言葉にポーラを含む屋敷の使用人達が揃って一礼した。
「では参りましょう」
「あ、はい」
マクスウェルに手を差し出され、ルシアナは馬車までエスコートされていく。
「……俺達も、行こうか」
続いてレクトもまた、メロディをエスコートするために手を差し出した。
「はい。今日はよろしくお願いします、レクトさん」
「あ、ああ」
散々ダンスの練習で手を取ったはずなのに、この瞬間だけはまるで特別な時間であるかのように、メロディの手を取った途端にレクトの心臓は大きく跳ねた。
そうして、メロディ達は王城の舞踏会へと向かったのである。
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