第11話 セシリアの出会い

 テオラス王国の舞踏会では、参加者がいちいち名乗りを上げるようなことはしない。開催時間までに自分達の身分に合った扉から入場していればよいのだ。そういう意味では割と自由な舞踏会といえるだろう。


 舞踏会会場には既に多くの参加者が集まっており、場内はガヤガヤと騒がしい。そんな中、リリルトクルス子爵令嬢ベアトリスとファランカルト男爵令嬢ミリアリアが話をしていた。


「もう、ルシアナったら結局ギリギリで王都に戻ってきたから舞踏会前に顔を合わせることもできなかったわ」


「ええ、ええ。ルシアナさんたら薄情なものです。『舞踏会で会いましょう』だなんて短い手紙で済ませて」


 プリプリ怒る二人を見ながら、インヴィディア伯爵令嬢ルーナはクスクスと笑う。


「ちょっと会えないくらいで拗ねちゃって。本当に二人はルシアナが大好きなのね」


「むう、あなたはどうなの、ルーナ。ルシアナに怒ってないの?」


「ふふふ、私はちょっと楽しみかな」


「まあ、どういうことですの?」


「きっとルシアナのことだから、この舞踏会でもあっと驚く何かを見せてくれると思うの。それさえ見られればちょっと会えなかったことくらい許してあげるわ」


「ルシアナさんが私達を驚かせる何かを、ですか?」


「何かしら? ルーナは想像できているの?」


「想像できないから楽しみなのよ。でもきっと私達を驚かせてくれるに違いないわ。何せ彼女は私達の妖精姫で、私の英雄姫なのだから」


 ルーナがそう言ったすぐ後のことだった。入場扉の方で一瞬騒めきが起きた。と思ったらやがてしんと静まり返る。それは中扉の方からだった。


「何かしら?」


「どなたか有名な方でもいらしたんでしょうか? あっ」


 首を傾げるベアトリスの隣で、ミリアリアがハッと口元を押さえた。そしてルーナは楽しそうにクスリと微笑む。


「ふふふ、やっぱりルシアナ、あなたは最高ね」


 中扉から入って来たのはルシアナとマクスウェル、セシリアとレクトのペアであった。それを目にした者達は、彼らが二組で並んで入場してきたことに驚いて騒めき、そしてその光景にほぅと、感嘆の息をついたのである。


 ルシアナのパートナーがマクスウェルであることには、春の舞踏会の件もあるので驚きつつもある程度理解できる状況だが、まさか春の舞踏会で素敵過ぎる同性カップルダンスを披露した妖精姫と謎の天使が仲良く並んで夏の舞踏会に入場してくるとは、参加者達は考えてもいなかった。


 マクスウェルの右腕に手を添えてエスコートされるルシアナ。その反対側には、レクトの左腕に手を添えてエスコートされるメロディことセシリアの姿がある。そしてルシアナとセシリアは仲良く手を繋いで舞踏会会場へと足を運んだのであった。


 その光景を目にした者達が次第に噂話を始めてしまうのは仕方のないことだろう。


「あれが噂の妖精姫……? 何とも可憐な」


「今回もお相手はリクレントス家の……まさか、そういう関係なのか」


「もう一組はフロード騎士爵? それに隣にいるのは……」


「天使様だわ。妖精姫とご一緒に入場されるなんて、またあの楽園を目にできるのかしら」


「お二人の衣装、お揃いのデザインなのね。姉妹のようで可愛らしいわ」


「フロード騎士爵というと、実家はレギンバース伯爵領のフロード子爵家だったな」


「となると、フロード騎士爵の後援はレギンバース伯爵家? あの組み合わせは宰相と宰相補佐の意図が絡んでいるのか? どういった意味があるのだ……?」


 憶測が飛び交う飛び交う。ちなみに、この状況の原因はルシアナだったりする。


「ルシアナ様、そろそろ落ち着きましたか?」


「ええ、ありがとう、セシリアさん。助かったわ」


 彼女達が並んで入場したことに政略的な意図などあるはずもなく、マクスウェルと二人きりでの入場に緊張して動けなくなってしまったルシアナを落ち着かせようと手を握ったが最後、入場するタイミングになっても手を放してもらえなかったというだけの話だ。


 ちなみに、セシリアは平民という設定なのでセシリアはルシアナを『ルシアナ様』と呼ぶし、ルシアナは身分の関係上『セシリアさん』と呼ぶようにしている。

 ようやく平静を取り戻したルシアナはメロディから手を放した。その直後、よく知った声がルシアナの元へ近づいてきた。


「もう、ルシアナ! こればっかりはちゃんと説明してもらうわよ!」


「親友としてこれ以上の秘め事は認めませんよ、ルシアナさん」


「ふふふ、舞踏会開催前から素敵な催しをありがとう、ルシアナ」


「ベアトリス、ミリアリア? 一言一句春の舞踏会でも聞いたセリフなんだけど。あとルーナ、私達普通に入場しただけで催しなんてしてないわよ?」


 ルシアナの返しにベアトリスとミリアリアは呆れ、ルーナは笑いを堪えられなかった。


「あんなに目立つ入場をしておいて何言ってるのよ」


「え? 目立ってたの?」


 王城に来てからずっと緊張しっぱなしだったルシアナは、周囲の反応を見る余裕など全くなかった。目をパチクリさせるルシアナの姿に、マクスウェルは苦笑を浮かべる。


「そんなことより彼女を紹介するわね、セシリアさんよ。前の時はパーッと現れたと思ったらピューっと帰っちゃったからろくに挨拶できなかったでしょう」


「ルシアナ様、パーッ、ピューッて……」


 苦笑するメロディ。気を取り直したのか三人から自己紹介を受け、彼女も返答する。


「セシリア・マクマーデンと申します。よろしくお願いいたします」


「彼女は平民だから、皆お手柔らかにね」


「まぁ、その美しさで平民だなんて。私達でよくよく守って差し上げなくてはなりませんわ」


「本当ね。舞踏会に不埒者はつきものよ。私達からあまり離れないようにね」


「ありがとうございます。でも、きっと大丈夫です。レクトさ、レクティアス様が守ってくださいますから」


「「「まあっ!」」」


「ちっ!」


 ニコリと微笑みながら大胆なことを告げるセシリアに、ルーナ達は歓声を上げた。そのおかげでルシアナの舌打ちは誰の耳にも入ることはなかった。

 レクトはキュッと眉を寄せて、顔が真っ赤にならないよう必死で堪える。そんな場面を目にしたマクスウェルは思わず笑いそうになるのを、そっと顔を背けて我慢するのであった。


「まぁ、何だかとても楽しそうね」


「アンネマリー様!」


 しばらく歓談しているとルシアナ達の元へアンネマリーが姿を見せた。


「ごきげんよう、アンネマリー嬢」


「ごきげんよう、マクスウェル様」


 ニコリと笑い合う二人。マクスウェルの挨拶を皮切りに、その場の全員と言葉を交わすアンネマリー。最後に、彼女の視線はメロディへ向けられた。


「あなたが先の舞踏会で天使と褒め称えられた方ね」


「勿体ないお言葉でございます。セシリア・マクマーデンと申します」


 隙のない美しい礼をしてみせるメロディ。ベアトリス達が『私より上手かも』なんて考える中、アンネマリーはというと……。


(前回、私はこんな美少女を見逃していたというの!? 私のバカアアアアアアアア!)


 圧倒的後悔。アンネマリーは内心で自分を罵倒した。


「わたくし、春の舞踏会ではあなたのダンスを見逃してしまったの。何でもルシアナさんと楽園のような素晴らしいダンスを踊ったとか。今日はぜひ拝見したいわ」


「ら、楽園ですか? よく分かりませんが、微力を尽くします」


 まさかルシアナとのダンスにそんな評価が付いていたなどと知らなかったメロディは口元が引き攣りそうになるのを必死に堪えて、何とか返答した。

 そんな様子もまた可愛らしい。美少女はどんな表情も可愛いのである。アンネマリーはニコリと微笑むと、つい自分の欲望を口にしてしまう。


「来年の春の舞踏会ではぜひ私と『同性カップルダンス』を踊りましょうね」


「え? あ、えっと……」


「お言葉ですが、アンネマリー様!」


 返事にあぐねいたメロディを他所に、まさかのルシアナからの物言いである。


「セシリアさんの来年のダンスの予定は私で既に埋まっております。たとえアンネマリー様でも、こればっかりは譲れません」


「ちょっ、ルシアナ!?」


 ルシアナの毅然とした態度にベアトリスはギョッと驚く。まさか侯爵令嬢であり『完璧な淑女』などと持て囃されるアンネマリーを相手にルシアナがそんな啖呵を切るとは。


「まあ。そうなの、ルシアナさん?」


 なぜか周囲にピリリと緊張が走った。


 メロディ大好きルシアナ 対 美少女大好きアンネマリーの壮絶な対決が今始まる!






 ……なんてことはさすがに起こらない。


「そうね。ではこうしましょう。王太子殿下に掛け合って、来年の同性カップルダンスは十曲くらいにしてもらうの。如何?」


「素敵です、アンネマリー様! 私、来年は十回もセシリアさんと踊れるんですね!」


「……そこは多少妥協していただきたいわ、ルシアナさん」


(私、来年の春の舞踏会も出席するの……?)


「もう、ルシアナったら。私達のことも忘れないでちょうだい」


「そうよ、ルシアナ。来年は私とも踊るんだからね!」


「私のことも忘れないでください、ルシアナさん」


 そんな風に談笑していると、ルシアナはアンネマリーが一人であることに気が付いた。


「そういえば、今日は王太子殿下とご一緒ではないのですか?」


「ええ、今日の殿下は忙しくて私のエスコートなどしていられないもの。今日は兄にエスコートを頼んだわ。といっても、その兄も挨拶回りでどこかへ行ってしまったのだけど」


 眉尻を下げて苦笑するアンネマリー。ルシアナは首を傾げた。


「今日は何かあるのでしょうか?」


 思わずメロディの口から疑問が零れ落ちる。


「あー、セシリアは平民ですものね。あの話はまだ聞いていないのね」


「あの話って何? ベアトリス」


「ルシアナも知らないの? 王都では結構な噂になってたのに……って、そうか。領地に帰っていたから知らないのね」


「ベアトリス様、何の噂が広まっているのですか?」


「何でも今日の舞踏会に、ロードピア帝国の皇女様が参加されるんですって」


「ロードピア帝国の、皇女様……?」


 メロディとルシアナの視線は自然とアンネマリーに向けられた。


「ロードピア帝国の第二皇女、シエスティーナ・ヴァン・ロードピア殿下よ。だから今日のクリストファー様は皇女殿下のエスコートをする予定なの」


「そうだったんですね。アンネマリー様はもう皇女殿下にはお会いになったんですか?」


 ルシアナの質問に、アンネマリーは苦笑いで返す。


「まさか。一侯爵令嬢でしかない私が皇女殿下にお目通りするなんて無理だわ。私も今日初めてお目に掛かるの。どんな方なのかしらね」


(アンネマリー様がお会いしたことがないなら他の誰もまだ皇女様を目にしたことはないのかも……あれ? でも、確か帝国って……)


「アンネマリー様、確かロードピア帝国とテオラス王国はあまり仲がよろしくなかったと記憶しているのですが……」


 王立学園で臨時講師をしていたレクトの補佐をした際、時折通っていた学園の図書室にあった書籍で確かそんな説明があったはずと、メロディは思い出した。


「セシリアさん、学園生でもないのによく勉強されているわね。ええ、その通りよ。約百年前の戦争以来、我が国と帝国は微妙な関係が続いているの。そして、今回の皇女様の来訪はその関係改善の足掛かりになるものなのよ」


「皇女様がいらして関係改善……まさか、クリストファー様と皇女殿下がご婚約だなんてことは」


 皇女来訪による関係改善と聞いてルシアナが最初に思い付いたのが婚姻外交だった。それは彼女だけでなく他の者達も考え付いたことだ。全員が不安そうにアンネマリーを見つめる中、彼女は特に気にした様子もなく普段通りの声音で語った。


「まだ関係改善の最初の一歩の段階よ。いきなり婚約とはならないわ。皇女殿下は明日から再開される王立学園の二学期から留学生として学園に通うことになるそうよ」


「まあ、帝国の皇女様が王立学園に?」


「私達と同い年らしいから、もしかするとあなたのクラスメイトになるかもしれないわね」


「恐れ多いことですわ」


 アンネマリーが悪戯っぽくそう告げると、ミリアリアは恐縮してしまった。普通の貴族令嬢ならそんなものだろうとアンネマリーは苦笑する。


「まあ、でも、お立場を考えればクリストファー様と同じクラスに――」


 その時だった。再び会場の入場扉のあたりに騒めきが起こった。


「何でしょう?」


 メロディは扉の方を見た。騒がしいのは主に伯爵などが利用する中扉の方だ。どうやらそこから誰かが入場したらしい。

 不思議そうに扉の先を見つめるメロディの傍らで、アンネマリーとマクスウェルがすっと目を細めた。


「……来たのね」


「あれは……」


 メロディは思わず目を瞠った。


 扉から現れたのは二人の男性と一人の少女。一人は、銀の髪と口ひげがトレードマークの宰相補佐、レギンバース伯爵クラウド。悠然と歩く彼の左に、黒髪をポニーテールにした男性にエスコートされる一人の少女がいた。


 銀の髪と瑠璃色の瞳を持つ、可憐な風貌の少女だ。その姿はまさに――。


(……あなたが私達の探し求めていたヒロインちゃん……聖女なの?)


 期待と不安が入り混じる不思議な感覚の中、アンネマリーは銀髪の少女を見つめていた。


 一方、メロディはといえば……。


(わぁ、元の私と同じ色合いの髪と目。意外とよくある組み合わせなのかな?)


 乙女ゲームを知らないためか、これっぽっちも危機感を抱いていない少女がここにいた。

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