第8話 マクスウェルの微笑

 あっという間に八月二十五日となった。

 ルシアナ達が正式に王都へ帰還する日である。

 メロディが先行して人目のない街道に『迎賓門ベンヴェヌーティポータ』を開き、そこから約二時間の道程を経て彼らは王都に辿り着いた。


「王都よ、私は帰ってきた!」


 馬車の座席に座りながら、左手を胸に、右手を差し出すように天に翳すルシアナ。


「お嬢様、どこでそんな言葉遣いを覚えてきたんですか?」

(どこかで演劇でも見たのかしら?)


「何だか言ってみたくなっただけよ!」


 ルシアナは小さく舌を出して可愛く笑った。


『貧乏貴族』と揶揄されようが腐っても貴族。入場で長蛇の列を作る平民とは異なり、ルシアナの馬車、レクトの馬はそれほど待たされることなく王都へ入ることができた。


「ふぅ、これでもう大手を振って王都を練り歩けるわね。娑婆の空気が美味しいわ!」


「あの、お嬢様、本当にどこでそんな言葉遣いを覚えてくるんですか?」


「何となくよ!」


(『娑婆』って仏教用語なんだけどな)


 とはいえこの世界、なぜか地球の故事を知っていなければ通用しないはずの慣用句を使っていることがあるので、もしかすると転生した際にメロディの中で勝手に近い単語に翻訳されるようになっているだけなのかもしれない。


 メロディはそう解釈した。


「これまでお世話になった。俺はここで失礼させてもらおう」


 正式に王都へ帰還したことでレクトも自由になったため、用事を済ませるようだ。


「どこか用事があるんですか?」


「伯爵閣下にメロディ、じゃなくてセシリア嬢が舞踏会に参加する旨をお伝えするんだ」


「ポーラはどうしましょう。まだドレスの準備に掛かり切りみたいですが」


「舞踏会が始まるまではそちらで預かってもらっていいだろうか。多分本人も言ったところでうちに戻ってこないと思う」


 苦笑するメロディとレクト。ドレスなどの舞踏会のファッションにかけるポーラの意気込みを知っているだけに、レクトの言葉は全く否定できなかった。


「ご家族も心配されるでしょうし、あまり無理し過ぎないよう伝えておきます」


「頼む。では」


「はい、行ってらっしゃい」


 笑顔で手を振るメロディに見送られて、レクトはルシアナ達と別れていった。


(……『行ってらっしゃい』かぁ)


 ただの挨拶のはずなのに、なぜかとても素敵な言葉のように感じられ、ドキドキしながらレギンバース伯爵の元へ向かうレクトなのであった……何を想像したのやら。


「あ、そうだった!」


「どうしたんですか、お嬢様?」


 何かを思い出したようにハッとしたルシアナ。メロディは首を傾げた。


「マクスウェル様への舞踏会の返事を送らないと! 忘れるところだったわ」


「ああ、確かにそうですね。とりあえず屋敷に戻ったらすぐにお返事の手紙を書きましょう。私が配達しますので」


「うん! お願い、メロディ! リューク、屋敷へ急いで!」


「了解」


 慌ただしくも舞踏会の準備は順調に進んでいた。



◆◆◆



 同日。メロディ達が王都へ帰りつく少し前。王太子クリストファーの私室に、部屋の主であるクリストファーとアンネマリー、そしてマクスウェルの三人が集まっていた。


「レギンバース伯爵家に女性物の仕入れですか」


「ええ、急に女性用の仕入れが増加したようなのです。商業ギルドからの情報ですわ」


 クリストファー達は商業ギルドへの支援を行いながら、ギルドを経由してある程度の情報網を確立させていた。そこから入ってきたのが、前述の情報である。


「レギンバース伯爵の姉君は夫君を失くされているとか。そちらの線は?」


「いいえ、購入されているのは主に私達と同年代の令嬢向けの品々ですわ。これには女性用の肌着や寝間着なども含まれます」


「……普通、そういった物はオーダーメイドでは?」


「緊急で必要ということでしょう。間に合わせでもいいからすぐにでも欲しかったということですわね」


「それはつまり……君達が見る夢の重要人物『聖女』がとうとう見つかったと?」


 クリストファーとアンネマリーから伝えられた夢の話。本来であれば王立学園入学より前に見つかっているはずだった少女。世界を危機に陥れる魔王に対抗できる唯一の存在。


 その少女が、とうとう現れたのだろうか……?

 だが、アンネマリーの表情は硬い。


「聖女に関してはあまりにも夢とかけ離れていて、正直なところ確証が持てません。ただ、レギンバース伯爵家ではかなり神経質になっているのか情報を集めることはとても難しく、これ以上を知ることはできないようです」


「もしかすると今度の舞踏会でお披露目をするかもしれないな」


 クリストファーの発言にマクスウェルは苦い顔になった。


「それは……大変だね」


「大変なんてもんじゃねえよ。本当に聖女が現れてくれるならそれはそれで助かるんだが、こちとら第二皇女対策も考えなきゃいけないってのに!」


「そういえば、わたくしまだ御姿を拝見していませんわ。まだいらしていないの?」


「何でも夏の舞踏会の前日に来るらしい。だから俺もどんな美少女なのかまだ分からないんだ」


 マクスウェルは眉尻を下げてクリストファーを見つめた。


「美少女は確定なのかい?」


「夢のシュレーディンが超絶美形だからな。妹も美少女に違いない。それが唯一の楽しみだな」


 アンネマリーは頭が痛そうにこめかみを押さえた。


「第二皇女に聖女候補。夏の舞踏会は難題が目白押しだぜ! 入学式の日に来てくれてたらもっと楽だったのにさ。入学式の日にぶつかったのは可愛いけど黒髪のメイドで意味なかったしよ~」


「「ああ、メロディね」」


「あれ? お前ら黒髪のメイドのこと知ってんの?」


「「友達だから――え?」」


 まさか同じことを言うとは。アンネマリーとマクスウェルが目を点にして向き合う。


「なんで俺だけ知らないんだよー! なんで俺だけ美少女フラグが立たないんだー!」


 クリストファーのしょうもない世界の嘆きが室内に木霊した。アンネマリーの魔法『静寂サイレンス』が展開されているので安心である。


「まあ、クリストファー様の妄言は置いておいて、ここからは真剣なお話です」


 アンネマリーはマクスウェルに向けて目を細めた。彼もまた彼女の雰囲気の変化を敏感に察し、居住まいを正す。


「……何か起こるのかな?」


「ええ、王都に魔物が侵入します」


「なっ!?」


 さすがに想定していなかった内容にマクスウェルは驚きを隠せない。


「これはマクスウェル様にも危険が及ぶ可能性のある問題ですわ。これまでお伝えせず申し訳ありません」


「何が起きるというのです」


「多分、魔王が聖女を狙って刺客を送り込むんだと思う」


 真剣な雰囲気を取り戻したクリストファーも会話に加わった。


「夏の舞踏会の帰り、聖女が乗る馬車を複数の魔物が襲撃する事件が発生する……というのを夢(ゲーム)で見たんだ」


「まさか。それはつまり、王都の、それも貴族区画のど真ん中に魔物が侵入してくるということかい? 一体どうやって」


「分からん。俺達は襲撃があって聖女が撃退したところまでは知ってるが、誰がいつどうやって魔物を王都へ誘い込んだのかまでは知らないんだ」


「……」


 あまりに衝撃的な内容に言葉が出ない。しかし、アンネマリーがクリストファーに続く。


「問題は、現時点で誰が聖女であるか分からないという点です。状況的に可能性が高いのはレギンバース伯爵の元にいると思われる少女。聖女はレギンバース伯爵の娘であるはずですから。でも、既に私達が最初に見た夢(ゲーム)とは異なる動きが見られます。もしその少女が聖女だったとしても、もしかすると全く関係のない人物が襲われる可能性さえ考えられます」


「関係のない人物?」


 誰のことだろうかと、首を傾げるマクスウェルをアンネマリーがじっと見つめる。そして彼はハッと気が付いた。


「まさか、ルシアナ嬢が?」


「……私達が見た夢では、聖女はマクスウェル様にエスコートされて夏の舞踏会に参加するはずなのです」


「――!? つまりあなた達はそれを知っていながら俺にパートナーの打診をさせたのか!」


 マクスウェルが怒りを露わに立ち上がった。


「ごめんなさい、マクスウェル様。でも、ルシアナさんはこれまでに何度か聖女の役割の一部を担っていました。既に聖女の代理的な立場にいてもおかしくないのです。一人にさせられない。誰かが守って差し上げなくては」


「――っ。つまり、いざという時は俺に守れと言うのですね」


「はい。聖女がいない以上、魔王の眷属となった魔物に対抗するには銀製の武器が必要です。搭乗する馬車に準備しておくとよいでしょう」


「ええ、分かりましたよ。まあ、まだパートナーになっていただけるか返事待ちなんですけどね」


「え? まだ返事をもらっていないのですか?」


「ええ、とはいえ彼女が王都に帰ってくるのは今日か明日あたりでしょうから、慌てる必要はありませんよ。でも、断られたらどうしようか」


 少し不安そうに悩むマクスウェルにアンネマリーは苦笑を向ける。


「多分大丈夫だと思いますけどね」


「そうであることを願いますよ」



◆◆◆



 話し合いが終わり、マクスウェルは馬車に乗って侯爵邸へ向かっていた。正門の前に馬車が差し掛かった時、窓の向こうに見慣れた少女の姿が見える。


「メロディ?」


 彼女は侯爵邸の正門の辺りをキョロキョロと見回し、やがて門の守衛に話し掛けた。


「すみません。お手紙をお持ちしたのですが、どちらへお運びすればよいでしょうか」


「申し訳ございません。こちらは正門になりますので、お手数ですがお屋敷をグルッと回った先にある裏門へお願いできますでしょうか。そちらに配送品を受け取る担当部署がありますので」


「ありがとうございます、行ってみます」


「行かなくてもいいんじゃないかな」


「え?」


 マクスウェルは御者に命じて馬車をメロディの近くに寄せさせた。馬車が止まると自分で扉を開けて地面に降り立つ。


「やあ、久しぶりだね、メロディ」


「お久しぶりです、マッ……リクレントス様」


 主家の嫡男の登場に守衛の男性はサッと背筋を伸ばす。メロディは軽く膝を折って挨拶をした。


「もしかして、俺宛ての手紙でも持ってきてくれたのかな?」


「はい。ルシアナお嬢様からリクレントス様へお手紙をお持ちしました」


「ありがとう、ではいただこうかな」


 マクスウェルはメロディへと手を差し出す。だが、メロディは首を傾げた。


「……正式な手続きを取らなくてよろしいのですか?」


 リクレントス家に届いた郵便物は担当部署で確認され、記録される。しかし、この場でマクスウェルが受け取ってしまえばそこを経由しないため確認漏れとなってしまうのだ。


「差出人が分かっている手紙だから大丈夫さ。後でこちらから連絡しておくよ」


「そうですか。畏まりました。では、こちらをお受け取り下さい」


 メロディから手紙を受け取ったマクスウェルは、まだ開いていない封筒を太陽に透かしてみた。もちろんそれで内容を読むことなどできはしないが。


「……手紙の内容を教えてもらっても?」


「ふふふ、そこはもちろんお手紙をお読みください。お嬢様が顔を赤くして書いた手紙ですから。きっとリクレントス様にも喜んでいただけるはずです」


 ニコリと微笑むメロディに、マクスウェルも少しだけ頬を赤くして微笑んだ。


「それは、楽しみだね」


「ええ、お嬢様もきっと楽しみにされているはずです。それでは失礼いたします」


「ああ、ありがとう」


 貴族と使用人のやり取りを終えて、メロディとマクスウェルは別れた。

 自室に戻り、ルシアナの手紙を読む。パートナーの打診を受ける旨の内容であることに安堵した。そして、真剣に目を細める。何があっても守ってみせようという気概を籠めて。

 手紙を最後まで読み進めると、マクスウェルは片眉を上げた。


「舞踏会に向かう馬車に一組同乗させてほしい? 名前は……レクティアス・フロード騎士爵とそのパートナーのセシリア嬢」


 マクスウェルはセシリアという名前を思い出す。それは確か、春の舞踏会でルシアナとダンスを踊った『天使様』の名前だったはず。


「……これは報告の必要ありかな? ふふふ、本当に君は一筋縄ではいかない人だね」


 手紙を見つめながら、マクスウェルは優しく微笑むのであった。

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