第22話 天使の反則技は全てを撃沈させる
テオラス王国の舞踏会では主に『ワルツ』と呼ばれるダンスが取り入れられている。
日本語では『円舞曲』と表記されるそれは、その名の通りダンスに優雅な回転を取り入れており、単純な3拍子のリズムのステップでありながら、舞踏会では大変見栄えのよいダンスであった。
男女の物理的距離が近いというのも魅力的で、貴族の男女が憂いなく触れ合うことのできるまたとない機会だ。魅力的な女性がいれば男性の方からダンスに誘い、気になる男性がいれば女性は誘ってもらうべく男性の元へ集い、ある者はそっと手を近づけ、ある者は目配せをする。
それが舞踏会であり、それが貴族の慣習であり……それが王太子クリストファーと侯爵令嬢アンネマリーに与えられた悲しい現実でもあった。
((ルシアナちゃんのところに行かせてえええええええええええ!))
心の中で絶叫を上げつつも二人は笑顔を絶やさない。
舞踏会が始まってから二人はずっと優雅な回転を披露していた。
休憩エリアで友人達と歓談しているルシアナ、マクスウェルとは対称的である。二人の立場が彼らの自由を奪っていた。
故に、この舞踏会会場に妖精姫に勝るとも劣らぬ、ともすれば大いに上回る神秘的な天使が舞い降りたことを二人はまだ知らずにいた……。
◆◆◆
クラウド達への自己紹介を終えたメロディとレクトは次なる難関、マリアンナを含む夫人グループへの挨拶をこなす。
マリアンナにバレやしないかとヒヤヒヤもののメロディだったが、幸運なことに彼女もまたメロディの正体に気が付くことはなかった。
「それにしても本当に可愛らしい子ですこと。レクティアス、あなたこんなに素敵な子がいるならもっと早く紹介してほしかったわ」
軽く頬を膨らませ拗ねるような態度を取っているのはクラウドの姉、つまりメロディにとっては叔母にあたる女性、クリスティーナだ。クラウド同様レギンバース家特有の銀の髪が特徴的な美しき貴婦人。
プンプンと怒りつつもその瞳からはニヤニヤとした
「いえ、彼女とは知り合ったばかりでして。それに貴族ではないのでこのような場に出るのも今日が初めてなのですよ」
「不相応ながらこのような場にお招きいただきまして誠に光栄でございます」
レクトはクリスティーナを牽制した。今回が初紹介になったのはまだ会って間もないから、彼女は貴族ではないので舞踏会に出るのはこれっきりだということを言外に告げた。
そんな意図など知りはしないが、メロディはレクトを立てて彼の言葉に追従する。
メロディ自身はメイドの自分が舞踏会に出席するのは不相応だと思っているし、そんな自分が主達と同じ場に立たせてもらっていることは光栄だと認識していた。
これは紛れもないメロディの感想だったのだが――。
「まあまあ、知り合ったばかりの娘をパートナーに選び、私達に紹介してくださるなんて、レクティアスさんは本気ですのね。そうね、これからも出席してもらうには相応の立場は必要かもしれませんわね。うふふ、どうしましょうか……?」
クリスティーナの隣に佇む淑やかな女性。ジオラックの妻ハウメアがレクトの牽制を優雅に跳ね返す。レクトの言葉はある意味、真逆の意味を持って彼の胸に突き刺さった。
表情は変わらないが、レクトの肩がブルルと震える。
「レクトさん、どうかしました?」
「い、いや、何でもない……」
レクトの左頬に嫌な汗が垂れる。
(くそっ、だから誰もパートナーとして連れてきたくなかったのに)
右手を握りしめ、外からは分からない程度に奥歯を噛みしめる。その程度、本来なら誰にも気づかれない微かな動きであったが、クリスティーナはそれを見逃しはしない。
(気遣ってるのがバレバレなのよ、レクティアス。こんなに可愛い子と知り合っておいて私にもクラウドにも紹介していないなんて許されない暴挙だわ。ふふふ、今夜はとことんまでからかってあげようじゃないの。そんなに優しく腕を組んでおいて、そんなにゆっくりと歩調を合わせておいて何も思っていないなんてことはないんでしょう? くくく、今夜は久しぶりに楽しい舞踏会になりそうだわ!)
扇子で顔半分を隠したクリスティーナは口元をニヤリと歪ませた。
冷や汗をかきながらクリスティーナ達と対面するレクトとは異なり、メロディは全く違うところで内心ヒヤヒヤしていた。
……先程、一回だけ……ルシアナと目が合ったのだ。
マリアンナ達よりも少しだけ奥のテーブルで友人達と談笑していたルシアナ。
マクスウェル達男性陣もテーブルに加わり歓談に勤しんでいたはずの彼女は気が付くとこちらに視線を送っていた。
咄嗟に眼を逸らそうとしたメロディだったが、あろうことかルシアナの方が先に眼を逸らした。
(……え? ええ? まさか……き、気づいてるなんてこと……ないよね?)
メロディの背中から嫌な汗が流れる。メイドは汗をかく場所も自由自在なのである。
以降、メロディは極力ルシアナの方を見ないようにしていたが、何度か彼女の視線を感じた。
クリスティーナ達と談笑している間もチラチラとこちらに向けられる視線に冷や汗が止まらない。
ちなみに、セシリアと名乗ったメロディの素性についてはレクトといくらか示し合わせてあった。
セシリアは王都ではなく王国西方の生まれで、レクトが雇っているオールワークスメイドのポーラの遠縁にあたる平民だ。
今回は久しぶりにポーラと会うため、定期馬車便を利用して彼女を訪ねたところレクトと出会い、たまたまパートナーを探していた彼が王都の素晴らしさを伝えるいい機会だと考え彼女を今回のパートナーに選んだ――と、いうことになっている。
「まあ、では一目見て選んだ、というわけね。素敵だわ」
「いえ、そういうわけでは……」
「では彼女の心根に触れて、誘おうと思ったというわけですね。ロマンチックだわ」
「いえ、ですからそういうことではなく……」
「「ホント、隅に置けないわぁ」」
「……」
何を答えてもクリスティーナとハウメアはわざとレクトの言葉を曲解し、彼を追い込んでいく。
サラッと流せばいいのだが、今まで避け続けていた事柄だけにあしらい方が分からなかった。
当然、今までこういった交流が少なかったマリアンナも呆気にとられるばかりである。
当のメロディはというと、ルシアナの視線が気になって三人の攻防に気をやる余裕はなかった。
「……そ、そうだわセシリアさん。よかったら私の娘を紹介するわ。気さくでいい子よ?」
「――え?」
会話についていけていなかったマリアンナがメロディに奇襲を仕掛けた。
いや、本人にそのつもりは全くないのだが、今のメロディにはクリティカルヒットものの攻撃である。
その言葉に目を見張るメロディは一瞬言葉に詰まる。
そのわずかな時間にスルリと入り込んだのはクリスティーナであった。
「それはいいわね。ハウメア様もマクスウェル様をご紹介して差し上げてはいかが?」
「それはいいですわ。我が子ながら浮いた話のひとつもなくて。彼女のような美しい子を前にしたらいくらあの子でもきっと心揺さぶられてしまうはずだわ」
この二人、『美男美女と対面させてお互いに嫉妬させよう作戦』などという遊びを思いついたらしい。今夜はとことんレクトで遊ぶ気満々だ。
だがこれに最も動揺したのは、もちろんメロディであった。
(ルシアナお嬢様とマックスさんなんて最悪の組み合わせだよ!)
この二人は勘がいい。良すぎる!
一人ならともかく二人が相手では気づかれてしまうかもしれない。
このまま紹介に預かるわけにはいかない。
どうにかしてこの場を逃げなければ! ――と考えた瞬間、会場の音楽が止んだ。
一時の静寂。これが意味するところはただひとつ。
ダンスが終わり、次のダンスを始めるための短いインターバル。
(こ、これしかない!)
「それじゃあ、ルシアナを呼んで――」
「あ、あの!」
メロディが会場で今日初めて声を張り上げた。
それを聞いた三人とレクトはわずかに瞠目して彼女を見やる。
そして、レクトを含めた全員が息を呑んだ。
「あ、あの、レクトさん……ダンスに……行きませんか?」
レクトの袖の裾を引っ張りながら、頬を紅潮させて上目遣いでそう告げる麗しい天使の囀りを目の当たりにして……ダンスのマナーが、令嬢のマナーがどうのなどと苦言を呈する野暮な人間はこの場には一人たりともいはしなかった。
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