第18話 傾国の美姫と妖精姫

 一年間に三回開催される国王主催の王城舞踏会。

 その中で、春に開催される舞踏会は他とは違う特別な舞踏会だった。


 王立学園に入学した貴族子女。彼らの社交界デビューの場となるからだ。

 とりわけ社交界デビューを迎える女性――デビュタント達はこの舞踏会の主役を演じる。


 国王による開会の言葉が述べられた後、今年のデビュタント達がエスコート役とともに順番に紹介され、デビュタント全員で最初のダンスを踊るのだ。

 これは本来国王夫妻の役目である。


 なぜ男性は紹介されないのか……乙女ゲームの主役は女性だからである……というわけではなく、女性に自己アピールをする機会が少ないからだ。外の世界で活躍する機会が多い男性と違い、家内を守る役目を負う女性は主役になる機会が少ない。


 せっかく結婚適齢期を迎えても、それを見初めてくれる男性がいなければ意味がないのである。春の舞踏会におけるデビュタント達の紹介は、お見合いにおける釣書のような意味合いもあった。


「これより春の舞踏会を開催する! 皆、心ゆくまで楽しんでくれ!」


 国王の言葉に出席者達が拍手喝采を贈る。壇上に国王夫妻の席が設けられており、開会の言葉を述べた国王はサッと手をおろして拍手を止めると、隣にいた王妃とともに席についた。


「それではこれより、今年度のデビュタントの紹介に移ります! 大扉にご注目ください!」


 会場の両脇に並んでいた出席者達が、司会役の言葉に従い大扉の方を向く。


 舞踏会会場には出席者の入場扉が三つ用意されている。

 それらは国王夫妻の座る席と対面する位置にあり、国王夫妻から見て中央の最も大きな扉が『大扉』、右が『中扉』、左が『小扉』である。


 これらは身分によってどこから入場するか定められていた。

 『大扉』から入場できるのは公爵、侯爵などの大貴族とそれに準じる役職者。

 『中扉』は伯爵、子爵などの中堅貴族、『小扉』は男爵、騎士爵とそれ以下の貴族に準じる者達が入場することとなっている。


 だが、春の舞踏会におけるデビュタント達は、身分にかかわらず全員が『大扉』から入場する。本来大貴族にしか通ることのできない扉から舞踏会に入場することができる希少な体験だ。

 この時ばかりは女に生まれていればと、デビュタント達を悔しく思う同い年の少年達だった。


「それでは、社交界に新たに花咲いた可憐な姫君達を御覧くださいませ! 大扉、開け!」


 デビュタント達は身分の高い者から順番に紹介される。つまり、公爵家、侯爵家、伯爵家、子爵家、男爵家の順である。騎士爵は個人に与える一代限りの名誉爵位なので令嬢の中にはいない。

 ならば、まずは公爵家の令嬢の名が呼ばれるのが順当のはずだ。


 だが、今回はそうはならない……なぜなら、最初に呼ばれるに相応しい令嬢がいるからだ。

 この国で二番目に偉い男性をエスコート役にしている彼女を差し置いて、先に国王の前に出ようと思う者は一人もいなかった。


「ヴィクティリウム侯爵家より、アンネマリー・ヴィクティリウム侯爵令嬢! エスコート役は、テオラス王家王太子、クリストファー・フォン・テオラス様! ご入場!」


 国王の時と遜色ない拍手喝采が鳴り響く。


 美しき王太子と腕を組み現れたのは、赤い髪の官能的な美少女、アンネマリー。


 アップにされた彼女の赤い髪。晒されたうなじが、より一層彼女を大人っぽく見せる。

 身に纏う白と黒のドレスは二枚重ねらしい。胸元を開いた純白のドレスの上に、コートのような黒いドレスを着込んでいる。


 黒いドレスが留めているのは襟首とお腹の部分のみ。溢れんばかりの胸の谷間と、締りに締まった細い腰が強調され、彼女の美しいスタイルは男性の視線を釘付けにしていた。


 優しく微笑み合いながら国王へ礼を取る王太子クリストファーと侯爵令嬢アンネマリー。

 この国始まって以来の神童と、幼い頃から彼に寄り添い、支え続けた美しき令嬢の姿は誰の目にも次代の国王と王妃の姿を幻想させるに十分であった――のだが……。


(ああ、かったりー。作り笑顔超疲れる。早く終わんねえかなぁ)


(それはこっちのセリフよ。ほら、笑顔が引き攣ってるわよ。今あんたの評判が落ちると困るんだから、しゃんとしなさいよね!)


(わあってるよ!)


 この二人が笑顔の下、小さな声で言い合っていることなど誰も知りはしなかった。


 王太子ペアの紹介を皮切りに続々とデビュタント達の紹介が進んでいく。可愛い女の子が大好きなアンネマリー(マ、マスコット的な意味だからね!?)も、その様子を楽しそうに眺めていた。

 普段よりも気合を入れた化粧やドレスを纏う少女達は、見ている分には大変愛らしい。


(見ている分にはね……)


 女は女をよく分かっている。見た目が可愛いからといって性格まで可愛いわけではない。可愛いものは遠くから愛でるのが面倒もなくて最適なのである。乙女ゲームのスチルとかね!

 とはいえ、さすがに二十人くらい紹介されるとそろそろお腹いっぱいである。伯爵家の令嬢の紹介に入る頃には、会場の出席者の拍手もそろそろ疲れを感じさせるものになってきた。


「……確か、ヒロインちゃんって、舞踏会では伯爵家の最後に呼ばれてたっけ?」


 笑顔を浮かべたまま大扉を眺めていたクリストファーが、小声でアンネマリーに尋ねた。


「……ゲームではね。でも、今回はいないわけだから別人が呼ばれるでしょうね」


 乙女ゲーム『銀の聖女と五つの誓い』のヒロインはレギンバース伯爵の娘だが、アンネマリーの調査によれば伯爵は未だに娘を発見できていない。入学するはずの王立学園の名簿に載っていない時点で、社交界デビューの場に現れる可能性はほぼありえないことだった。


「……ヒロインちゃんがいない状況で、例のイベントは発生するかな?」


「どうかしらね? 彼女が現れなかったせいで、シナリオがどう変化しているのか想像もつかないわ。でも、あのイベントが起きるかどうかで……」


「この世界に本当に『魔王』が存在しているのかが、はっきりするってか?」


「そうね。そして、あなた、マクスウェル、レクト様に続く、四番目の攻略者が現れることになる。と言っても、マクスウェルはともかくレクト様は今回参加なさらないでしょうね」


 アンネマリーは笑顔を浮かべたまま器用に溜息を吐いた。


「あれ? 確かこの舞踏会の時はいるんじゃなかったけ?」


「レクト様はヒロインちゃんのエスコート役として舞踏会に来るのよ。でも、そのヒロインちゃんがいないなら舞踏会を面倒だと思っているレクト様はきっと来ないわ。お会いしたかったわ……」


「へぇ、そりゃ残念だったね……いい気味だ」


 クリストファーはこれまた器用に優しい笑顔のまま、アンネマリーに嘲笑の視線を送った。


「……ねえ、知ってるかしら? 王太子様」


「な、何を?」


 笑顔だというのに、アンネマリーの雰囲気が変わる。周囲の者は気が付かない。クリストファーもとい、栗田秀樹だけが気が付く幼馴染の静かな怒りだった。


「このゲームのバッドエンドにはね、ヒロインちゃんの魔法がなくても魔王を滅する話があるのよ」


「へ、へえ。そんな便利な話があるんだ? な、なら、ヒロインちゃんがいなくても大丈夫だな」


「ええ、そうなのよ。そのバッドエンドでは……王太子の命を犠牲にすることで、他にも多くの犠牲を払いつつも、どうにか魔王を封じることができるのよ? シナリオとしてはバッドエンドだけど、ヒロインちゃんがいない以上、これも視野に入れておかなくちゃね」


「……」


「あら、どうしたの? 王太子様。お顔が真っ青だわ。せっかくの美貌が台無しよ?」


「ご、ごめんなさい! 調子に乗ってました! 許してください、女王様!」


「女王なんてなる気はなくてよ!」


 どうやらクリストファーがアンネマリーに勝てる日は来ないようである。

 ちょっとした憂さ晴らしすら認めてはもらえないようだ。互いに結婚する気は全く無いのに、完全に尻に敷かれていた。

 このように随分と砕けた会話をしている二人だが、周囲には微笑み合いながら談笑しているようにしか見えていない。国王夫妻も、仲睦まじいことだと温かい目で二人を見つめていた。


◆◆◆


 伯爵家の令嬢の紹介が終盤に差し掛かる頃には会場の出席者達の気持ちもかなり萎え始めていた。伯爵家が終わればあとは子爵家や男爵家の令嬢達だ。そろそろ重要度も下がってきて集中力が切れるのも仕方のないことだった。


「なあ、今のところ一番は誰だと思う?」


「そんなのアンネマリー嬢に決まってるだろ? お前も見たろ? あの艶めかしい体のラインをさ」


「彼女を選択肢にいれるなよ。アンネマリー嬢は王太子殿下のものなんだからさ。最初から手に入らないと分かってるんだから、それ以外で見ろよ」


「うーん、最初に彼女を見たあとだと、どうしても他の令嬢達は見劣りするんだよなぁ。ランクドール公爵令嬢とペルフッセス伯爵令嬢はなかなかだとは思うが……それでもねぇ」


「ま、そうなるわな。あんな美女が現実に存在しているなんてな。ある意味不幸だよ、俺達」


「はは、違いないな!」


 こんなどうでもいい雑談をする程度には、気が逸れるというものである。


「それでは伯爵家最後のご紹介です。ルトルバーグ伯爵家より、ルシアナ・ルトルバーグ伯爵令嬢!」


 司会役がそう言うと同時にいくらかの出席者から失笑が漏れる。


「ルトルバーグってあの『貧乏貴族』だろ? あそこ、今年デビュタントがいたんだ?」


「舞踏会に着れるドレスなんて用意できるのかね? まさかボロ切れを纏って入場するのか?」


「同じ伯爵家と思われたくないなぁ。貴族の誇りがあるなら欠席すればいいのに」


「エスコート役も可哀想に。せっかく大扉から入場できるのに、相手がルトルバーグではね」


 心無い者達の声がひそひそと細波のように広がっていく。その声は耳聡いアンネメリーにも届いた。身分制度を持たない元日本人として、こういった差別意識には辟易しているのだ。


「……どうしてそんなことを言うのかしら? こればっかりは理解できないわね」


「ま、俺もいい気はしないな。別にいいじゃん、ちょっと古いドレスを着てたってさ。元々、舞踏会のたびにドレスを新調する風習が無駄遣いなんだよな。まあ、それも古き伝統だから仕方ないけど」


 古くからある慣習や伝統はなかなか変えられるものではない。

 アンネマリーが不快に思い注意したところで、早々意識が変わるものではないのだ。せめて自分達だけでも平等に接するように努めようと思う王太子と侯爵令嬢なのだった。


 ルトルバーグ家を馬鹿にする者達がいる中で、今日の入学式に参加した保護者達は首を傾げていた。社交界デビューをするということは、ルトルバーグの令嬢は王立学園の新入生のはずだ。

 しかし、『貧乏貴族』ルトルバーグを彷彿とさせるような、そんなみすぼらしい少女が貴族席にいただろうか――と。


 そして、司会役が告げた次の言葉で……彼らは一斉に大扉へ顔を向けた。


「エスコート役は、リクレントス侯爵家長子、マクスウェル・リクレントス様。ご入場!」


 ざわりと会場中が困惑に包まれる。

 現宰相の長子にしてリクレントス侯爵家の跡取り息子が『貧乏貴族』のエスコート!? ――誰もが耳を疑った。


 リクレントス侯爵家は、世襲ではなく実力によって代々宰相の座を守り抜く王国の大貴族だ。その次期当主たるマクスウェルもまた、大変優秀な人間として知られている。王立学園での成績は全教科主席という偉業を成し遂げ、現時点で既に宰相府の仕事にも関わっている。


 王太子クリストファーにも覚えめでたい彼は、おそらく次期宰相で間違いないだろうと言われる、結婚相手としては国内最有力株の一人なのだ。今年のデビュタントのエスコート役として、他にもいろいろな家から打診があったが全て断られていた。


 だというのに、その次期宰相とまで言われる少年が選んだのが……『貧乏貴族』!?

 一体なぜ? そんな疑問を持ちながら会場中の人間が大扉の向こうに視線を送った。


 だが、違う意味で驚愕する者が二人――。


(マクスウェルがエスコート!? ゲームでは一人で出席していたはず! ここで初めてヒロインちゃんと出会うシーンがあるはずなのに……ヒロインちゃんはいないけど!)


(マクスウェルがエスコート!? 今まで同伴者なんてつけなかったのに! どしたの!?)


 理由は違うがアンネマリーとクリストファーもまた驚愕し大扉に注目した。


 暗がりから最初に現れたのは、エスコート役のマクスウェルだ。

 仕立てのいい燕尾服を身に纏う彼は、いつも通りハニーブロンドの髪を後ろに結び、エメラルドグリーンの優しい瞳を隣の少女に向けて微笑んでいた。


 『貧乏貴族』ルトルバーグの少女……一体どんな娘が……。



 ――瞬間、誰もが言葉をなくしその少女の姿を見つめるだけとなった。



 そして、誰かが呟く――妖精と。



 マクスウェルに連れられ現れたのはまさに『妖精』であった。


 陽の光のようなキラキラと輝く金の髪。

 化粧のおかげでいつも以上に血色よく映る白い肌。

 あお色の瞳が向ける視線の先には幸せでも落ちているのだろうか?

 パッチリとした無垢な瞳が不安そうに揺れていた。


 淡い水色と、瞳と同じ碧色の二色でグラデーションを作ったドレスは、彼女が歩くたびに波紋が広がるように揺れ動く。まるで水のドレスを身に纏っているようだ。


 不安そうにしつつも笑顔を浮かべながら歩く姿は、想像以上に可憐だった。


 最初に紹介されたデビュタント、アンネマリーは言うなれば『傾国の美姫』。

 男の劣情を刺激し惑わせる極上の乙女。

 彼女が誘えばどんな男もたちまち堕ちてしまうだろう。


 対するルシアナは『妖精姫』。

 穢れを知らぬ無垢なる乙女。

 男の保護欲を刺激し安らぎを与える至福の乙女。

 彼女が微笑みかければ、どんな男も少年の笑顔を取り戻すだろう。


 次なる王妃に相応しいとまで言われるアンネマリーと、まるで対を成すような美しさを持つ少女が舞踏会に足を踏み入れた。

 拍手も忘れ静まり返る会場で、ルシアナはマクスウェルとともに国王へ礼を取る。


 しかし、その胸中はいっぱいいっぱいであった。


(な、なんでこんなに静かなの!? さっきまでの拍手は!? いくらデビュタントとはいえ、どうしてみんな私のことそんなに凝視してるの!?)


 メロディの淑女教育の賜物か、顔には出さず終始笑顔で突き通したルシアナだったが、状況が理解できず困惑するばかりだった。


 そして、ルシアナ以上に心の中で叫声をあげる者が二人――。


(これ、これよおおおおおお! こういう可愛い子が欲しかったのよ! でかしたわマクスウェル様! この後絶対にお友達にならなくちゃ!)


(おのれえええええ、マクスウェルめ! 俺好みの清楚可憐な美少女をエスコートだと!? マジ許せねえ! ……とりあえずお友達から始めてもらおう!)


 アンネマリーとクリストファー。いがみ合うこの二人、女性の趣味だけは息ピッタリであった。

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