灰色の丘

@Chotaro_Otogai

1

 このゲレンデに来るのは実に三年ぶりだ。久々に味わう雪の感触が嬉しくて、康太こうたはスキー板を二,三度前後させた。絶妙な雪加減に、胸が高鳴る。彼はこれから滑る丘を見上げてから、リフト乗り場の脇に視線を移した。真紀まきが、粗末なメンテナンス台の上でスノボのバインディングを調節している。

「まだかかりそう?」

「もうちょい!」

 スノボを弄りながら返事される。どうしてそういうことをスキー場に来る前に済ませておかないのやら。でもその準備の悪さがまた、彼女らしくもある。

 やがて真紀はOKサインをし、ボードのバインディングを片足だけはめた状態で歩み寄ってきた。

「お待たせ、じゃ、行こ」

 並んで乗り場に向かう。ゲートをくぐり、所定の位置まで進んで身構えた二人の足元に、ガツン、と勢いよく、無骨なチェアリフトが衝突した。

「……ってぇー!」真紀が呻く。

「変わんないな、このリフトも」

 リフトに押されるがまま、二人は硬いシートに腰を下ろす。無機質なマシーンがぎこちなく、等間隔で乗客を運ぶ、もはや自然の一部と化したゲレンデの営み。憎らしいくらいの晴天のせいで、真下からの照り返しが目に刺さる。康太はたまらず額にかけていたゴーグルを下ろした。視界がモノクロに切り替わる。隣を見ると真紀も同じことをしていた。

「眩しいねぇ」

「だね、絶好のスキー日和だ」

「そうとも言うかー」

 天気のおかげなのか何なのか、真紀はからからと笑う。まばらな会話の最中、ゲレンデは延々と広瀬香美の歌を垂れ流していた。相変わらず、ベタで古い選曲だ。

 十分ほどでリフトが登りきる。二人はリフトを降り、宙ぶらりんだった足を再度雪面に落ち着かせた。

「下まで競争ね」慣れた足つきでバインディングにもう片足を嵌めながら、真紀が言う。

「やめとく、勝てるわけないし」

「スキーのが速いじゃん! ――わかった、じゃああたし迂回コースの方行く、これでハンデね」

「まぁ、それなら」

「よっしゃー」

 と、真紀は斜面に身体を傾け、迂回コースを滑降し始めた。傾斜の緩やかなコースのはずなのにずいぶん早い。

 康太も負けじと傾斜の急な方へとこぎ出したが、すぐに彼女の挑戦を受けたことを後悔する。何しろ数年ぶりの滑降なのだ、ブランクがある状態で上級者向けコースを攻略するのは辛いものがある。こぶ等はなく横幅も広いが、とにかく全体的に急勾配で、パラレルターンができるかどうか、というレベルの康太にとっては体力的にも精神的にも疲れるコースだ。しかしスキー板を平行にさえしていればスピードそのものは出る。他のスキーヤーが作った天然のうねりに苦慮しつつ不器用に滑るうち、気づいたら麓まで来ていた。登る時間に対して、降りるのはあまりにも早い。

 ゴーグルを外し、辺りを窺う。真紀の姿は見えない。どうやら勝ったらしい。やった、ハンデ付きとはいえ、初めて彼女とのスピード対決を制した――と思ったのも束の間。何故かリフト傍のレストハウスから、迷彩柄でスリムなデザインの見慣れたスノーウェアが歩いてくるではないか。

「よっ、お疲れ、結構早かったじゃん」

 缶コーヒー片手に、真紀が誇らしげに笑う。白い歯と、目の周りの雪焼け跡が、日光を鮮やかに照り返していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る