おきけんっ! ~ 間六彦とグレープフルーツ姫~

青貴空羽

死神と呼ばれた少年

なんで泣いてるの?

 間六彦(あいだ ろくひこ)は、突き出した岬の端で海を見ていた。

「…………」

 もう、一時間も経過しただろうか。潮風を受け、波の砕ける音を聞き、強い真夏の日差しを浴びてなお、間六彦は立て膝のまま身じろき一つしていなかった。

 ただじっ、とそのすべてを全身で感じながら、海を見つめていた。肌はカラカラに乾き、髪も潮風でボサボサになり、腹も空腹でベコベコに凹んでいたが、間六彦はそのことに一切構う様子は無かった。

 ただ海を見ていた。

 その事に意味があるのかどうかは、本人ですらわかってはいなかった。

 この地に赴いてからずっと、間六彦は機を見てこの場所に訪れ、こうして海を見つめてきた。なにかきっかけがあったというわけでもない。ただそれをすることで、なにかの歯車がカチリと合うような不思議な感覚を味わっていた。

 海を見ているのか?

 それともその向こうに、視界では捉えられないなにかを視ているのか?

 そして間六彦は、岬にゴロンと横になった。頭の後ろに手をやって、そして瞼を閉じる。

 自分という存在を御することが出来ない。

「――――」

 まったく情けない話だった。このまま空気と混じり、溶け合って、消えてしまえれば楽でいいとさえ思った。そんなことはただの妄想で、決して自分はこの呪縛から解き放たれることはないと悟っていて、なにをやろうと無駄な行いだと理解していて――

 ポチャンっ、と闇に異物が混じり込んだ。

 それは妄想に身をやつしている永い時の中で、初めての経験だった。間六彦は微かな驚きと少しの面倒臭さとともに、瞼を開けた。

 視界が、微かに歪んでいた。どうやら先ほどの異物は、なにかしらの液体が瞼のうえに落ちて、網膜に入り込んだらしい。雨かナニカか? 間六彦は眼を擦り、再度目を凝らした。

 縞模様が、目に入った。白と水色だった。その周りを、白い布地が円筒状に展開していた。というかそれはどう見ても白のフレアスカートで、そして白と水色の縞模様はなんていうか――女の子モノの下着だった。

「…………」

 間六彦は無感情に無表情に分析し終え、改めて上半身を起こしてあぐらをかき、その相手を見上げた。


 グレープフルーツ喰ってる女の子が、こちらを見下ろしていた。


「なんで泣いてるの?」

 シャクッ、とグレープフルーツを齧る。切り分けていない丸ごとを、素手で。それによって口元から、汁が垂れていく。それは先ほどまで間六彦が横たわっていた地面に、染みを作った。

 疑問が一気にいくつも湧いた。

「……別に、泣いていないが?」

「眼から透明な液体、垂れてるよ?」

 それに間六彦は、黙って女の子が握るグレープフルーツを指差した。女の子は再度グレープフルーツを齧ってから頭を傾げ、

「……あー、コレかぁ?」

 間六彦は無言で首肯し、女の子はみたびグレープフルーツを齧る。不思議な空間だった。というか不思議な娘だった。一応通過儀礼的に、訊いておくことにする。

「なんでグレープフルーツ、喰ってるんだ?」

「わたし、グレープフルーツ食べてないと干からびて死んぢゃう運命なの」

「そ、そうか……それは、大変だな」

「そう、悲しい運命なの」

 さらにシャクッ、と女の子はグレープフルーツを齧る。皮ごととは豪快だな、と間六彦は感心していた。深呼吸して、気持ちをひとつ落ち着かせる。

「それで、ナニカ用か?」

「わたし、神ノ島弥生(かみのしま やよい)。あなたは?」

「か……かみの、と言ったか?」

 地名性だろうか、それにしても仰々しいモノだった。間六彦は一瞬耳を疑い、今までグレープフルーツに合わせていた焦点を少女の顔に向けた。

「神ノ島、弥生」

 その途端、今度は我が目を疑った。

「……凄いな」

「地名姓ってゆーんだよ」

 その言葉は、実際は彼女が説明してくれた苗字に対してではなく、その――凄まじいまでに整った、容姿に対してだった。

 前髪は一直線に切り揃えられ、他は膝に届くまでに長く、艶のある黒髪。肌は陶器のように真っ白で、薄皮の下の血管が透けているようですらあった。着衣は肩のない、白地に水玉のワンピースがあつらえたように似合っている。名のある職人が造形した水晶のような瞳が、間六彦の姿を映していた。

「ほう……興味深いな」

 礼儀としての相槌と、密かにその類稀な美貌に感想を述べただけのつもりだった。

「でしょー!」

 しかし少女は唐突に、出会ってからずっと変化させていなかった無表情を、弾けさせた。それに間六彦は少し、気圧される。

「ま、まぁな……」

「やー、久しぶりに言われたよー、やっぱりわたしの名前ってイケてるよねー。それでそれで、きみの名前はー?」

「あ、間六彦だ」

 目が、点になる。

「わ、六彦もそーとーイケてるね」

 いきなりの名前、それも呼び捨てに、間六彦は苦笑いを浮かべる。

「そ、そうか、恐縮だ……それでお前、」

「それで六彦は、いま、なにしてるの?」

「……いや、」

 こちらの返答などどこ吹く風、そのマイペースさに間六彦は言葉を失う。いま、なにしてると問われても、答えるべき言葉は無い。

 だから端的に、

「――どうだろうな? 俺にも、わからん」

「なんにもしてないの?」

 端的に、断じられる。

 それはもう、爽快なほどに。

「――――ハハ」

 それに間六彦は呆気にとられた後、不思議と笑いが込み上げてきた。

 ズゲズゲと心に土足で上がられ、ザッと一蹴。なかなかいい蹴りだと思った。なるほど、なにをしているというより、なにもしていないか。そうかもしれない。というよりきっとそうだろう、と妙に納得してしまっていた。

 不思議そうな顔で、弥生は覗き込んでくる。

「どーしたの?」

「いや、ただお前の言う通りなのかもしれないと思ってな」

「そーお?」

「ああ、たぶんそうだ」

「じゃあいま、時間あるんだよね?」

「そうだな、ああ、暇で時間あり余ってるな」

「だったら、助けてよ」

 それまた、端的な言葉だった。

 だから間六彦も、気楽だった。

「ああ、いいぞ? どう、助けたらいい? お前悩みでもあるのか? 勉強か、それとも交友関係か? 相談くらいにはノってやれるが、しかし色恋沙汰ともなると少々難しいし、もし金銭面だというの他を当たった方がいい。自慢じゃないが、俺は金だけは本当に持ってな――」

「違うよ」

 その言葉は、今までのものと違ってどこか――哀愁を、感じさせた。

 どこか諦観を、思わせた。

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