第8話:天壇


 シズリは何か思うところがあり、荷物の雨よけを施す作業の手を止めて立ち上がった。

 視線の先は地平線。彼が向けていた景色は雨によって生み出された白い霧が覆う空間であった。そこをじっと目を凝らし、やがて悩ましげに腕を組んでいた。

 そんな一連の動作に船の支柱に縄を括りつけようとしているイズルが声を掛ける。


「どうした? シズ?」

「うーん。ここからじゃ、集落が見えないなって思っただけ」

「この天候だと視界も悪いこともある。快晴なら見えてたのかもしれない」

「他の建物と距離があるのも、何か理由があるのかな?」

「さあな。当時の考え方なんてさっぱりだ」


 イズルは天壇と呼ばれる場所を見上げる。今まで見た建物は白く塗り固められた固い壁が多かった。そこにさび付いた赤色や藤壺などが付着した状態で残っているものだった。高さもある程度統一されて、乗り越えられる高さであった。


 しかし今回は違う。まず屋上までかなりの高さがあり、ジャンプしても上へ乗りあげることが出来ないこと。それと壁がツルツルした鏡面が幾つも配置された建物であるということだ。向こう側が見えるし、こちらの姿も映し出される不思議な建物である。


 彼らが確認する限りでは、ここが彼女の言っていた天壇と呼ばれる場所である。確かに今までと違って異彩を放つ建物。高さも構造も全く異なる、まさに天へ向かうために作られた建物と言えそうだった。


「ミウは、ここのどこに居るんだろう」

「外周するだけでも一苦労だったからな。首が痛くなりそうな高さといい、時間はかかるだろうな。ただ隠れて居なければそんな時間はかからないだろ」


 シズリは雨よけのカバーシートを掛け終えると、色々と探索用の道具を詰めた雨避け用の鞄を背負ってイズルの傍までやってきた。


「これだけやって、違いましたは嫌だなあ。観光なんて気分でもないし」

「他に場所も見当たらなかった。なら自分たちの運を信じるしかないな」

「なるほどね。それなら信じられそうだ。運なら自信ある」

「よし、いくぞ」


 イズルから先に船から建物へ移る。まずは雨風を凌げるようになったところで松明を付け直す。湿った布を外して乾いた布を巻き付け、火打石を用いて手早く着火させる。その間にシズリも上がって、周りの様子を確認していた。


 部屋の中は彼らが想像していてよりも大きかった。今までは1人から4人程度の部屋が割り当てられた広さであった。今回はその数十倍の大きさがある。どこかの集会用に作られた部屋なのだろうかとシズリは辺りを見回す。

 内装は白く清潔感があるものの、光量は少なく薄暗い。真ん中に広く開けられた空間で真正面には別の部屋へ続く扉が用意されていた。天井には細長い筒が幾つも用意されていて、幾つかは割れて使い物にならない様子。

 両端にはいくつもある作業台が寄せられていて、固い地面にはその辿った跡が浮き彫りとなっている。恐らく誰かが動かしたのだろう。小さな遺物と呼べるものが部屋の片隅に置かれていた。


 シズリはそこに駆け寄ってそれらを手にしてみる。今までの遺構で見受けられた遺物に加え、自分たちでも知っているような現在使われる道具もそこに置かれていた。

 誰かが立ち入った形跡があることだけは分かる。いまのところシズリが期待できる内容だ。

 ようやくイズルが松明に火を灯した。揺らめく炎に照らされた2人の影が浮かび上がり、冷えた身体を少しだけ癒してくれる。


「さてと。まずは彼女を見つけないとな」

「この階を探すべきかもね。それでいなかったら上の階と行くべきかも」


 ここより下は海没していて入ることは出来ない。ならば、ここから順番に攻めていけばよいと思っていた。そうすれば彼女も見つけやすい。

 しかしイズルは違うことを考えていたようだ。


「いや先に屋上を探すべきだ」


 はっきりと言い切った兄は先行しようと前に出る。


「根拠は何かあるの? イズル兄貴にしては迷いないけど」

「彼女は天への贄と言われてその通りしてるはずだ。なら考えられるのは天に近い場所と思ってな」

「なるほど、どこか分からない部屋を探すより優先順位が高いと」

「そういうことだ。まああくまで推察にしか過ぎないがな」


 松明をかざして前を進むイズルは迷わず扉を押して次の場所へ向かう。

 扉を開けた先には横に真っ直ぐ伸びた縦長い場所だ。縦長い場所に片側に等間隔で配置された部屋がある。自分たちが入っていた部屋と繋がる扉も幾つかあり、こちら側は構造的に関係ないと考えられる。正面に当たるもう片側は扉もないが、代わりにぽっかり壁がくり抜かれたような、奥へ続くための曲がり角がごく少数存在した。


 目の前は凹んだ空間となっていて、その奥は行き止まり、ちょっと開けているだけ。中を覗いてみると、幾つか色の違う両引き込み扉が存在していた。

 その上には解読できていない記号が幾つも並べられている。三角形の押しボタンも存在することから、何かの施設と繋がっているのだろうか。

 イズルは試しに1つだけ片手で開けてみようと試みる。が、固く閉ざされたまま一瞬でも動くことはなかった。


「遺人がこれを自力で開けられるなら、なるほど、確かに筋力をつける必要があるな……」

「イズル兄貴!」


 呼びかけられてイズルは廊下へと戻る。そこでシズリは天井のある部分を指していた。


「どうした、その顔はもしかして階段でも見つけたのか?」

「それっぽいのを見つけた」

「それっぽい?」


 駆け寄ったイズルは弟が何を意味して言っているのか理解した。天井から垂れるように突出した物。そこには緑と白で織り成す、象形に近い絵が描かれていた。白色で人を表現しているのだろうか、それが扉へ向かって走りだしている。


「ほら、どこかへ繋がってそうじゃない?」

「確かにその横に扉もあるな。しかし今まであった記号や文字と違って、今度は抽象的な絵ときたか」

「遺人の豊かな表現方法に感謝だね。これなら分かるし」


 2人は近づいてその絵に一番近い扉を押してみる。シズリの予想通り、そこには上へ続くための手すりや階段が用意されていた。


「下は……やっぱり行けないか」


 下へ行こうとする先は海水に覆われている。苔と藻が蔓延り、壁には幾つか亀裂が生まれ、水に触れたものほとんどが錆びついているのを見るといかに長い間放置されていた場所なのか想像もつかない。

 幻想的な場所。そう言えば聞こえは良いが、再び主に使われるその時まで静かに待ち続けるこの空間は、シズリには胸を締め付けるような寂しさと空虚な空間であった。


 彼はその光景を目に焼き付けるように眺めたあとで、先行くイズルの後を追う。

 革靴がコツコツと音を立て、この四方で囲まれた狭い空間だとそれがよく響いた。2人は天井に向けて上り続けるが、やがてあることでシズリは口を開く。


「ねえイズル兄貴。ここって本当に天が居ると思う?」

「天なあ。見たことないのを信じるのは性分じゃないな」

「認められし者は天壇にて天の声が聞こえてくる」

「ミウさんが言ってたあの伝承のことか。実際に見たことがあると言ってた人もいるっていう話だったな」

「集落ではミウを贄に差し出すことになってる。ならそれを受け取りに天が現れるかも、なんて思ってね」

「なんだ、会いたいのか?」


 シズリはそう言われて自分の想いに気付く。


「そうだね。会って確かめてみたいよ」

「確かめる? 何を?」

「ここまでする理由。やっぱりこういうのを見ると、ね」


 錆びてザラザラした手すりを撫でながら、天の行いについて彼は懐疑の念を抱いていた。

 元は世界に海という存在がなく、天が大量の雨を降らして今を作り上げたのか。それとも元から大海が存在し、天が大波を起こして全てを飲み込んだのか。

 過去を見ることが出来ない2人にはその時の世界状況なんて分かる訳がない。

 しかし、過程はどうあれ結果として天が人類の築き上げたものほぼ全てを沈めたことだけは分かる。もう昔のように人々が生活することは出来ないことであろう。


 だが今も天は洪水を起こして、嵐を呼び、地を揺らす。自然の災いは継続し、人々に脅威を知らしめている。凌ぐ力を失った人たちに、天は未だ脅威であり続けようとする。

 シズリにはその理由が分からなかった。天は人の何に怒って、何を求めようとしているのか。ミウのような少女を苦境に立たせようとする天の意志を、彼は問いかけたかった。


「なら、天がお帰りになる前にミウさんを探し当てないとな。贄であるミウがいれば、向こうから来てもらえる」

「いや、ミウは助けないと」

「分かってるよ。ただ探す手間が省けて一石二鳥だって言いたいだけだ。ミウさんを助けることが主目的であることに変わりはない。まあ無事に助けたとしても、その方が大変だろうな」

「素直に戻ってくれないってこと?」

「責任感の強い子だからな。それに彼女だけの問題じゃない。俺たちは勝手に集落を出て行ったことになっている。贄となっていた彼女を連れて戻ったとなれば、事はそう簡単にいかないだろうな」

「前途多難だね」

「だからこそ、まずはミウさんを早く見つけないと……とどうやら上り切ったようだ」


 イズルは話を切った。上り階段はもうなく、代わりに扉一枚用意されていて、そこに取り付けられた採光用の建具は外の様子が確認出来ないような特殊な細工がなされていた。

 後からついてきていたシズリが追い付くのを待ってから、イズルは取っ手を手に掛けようとした。


「さてまずはここから――――ん?」

「何かあったの、兄貴」

「いや、取っ手部分に何か巻き付けられているものがあってな」


 言いながらイズルはすぐさまその正体を確認する。何重にも巻き付けていたそれを丁寧に取り出す。シズリは彼の背中で見えていなかったが、何か金属同士がこすれ合うような高い音だけが理解出来ていた。


「よし取れた。しかし、何でこんなところにこんな首飾りがあるんだ」

「え?」


 兄の何気ない一言に対して、シズリは言いようのない不安を感じていた。そして、イズルが身を翻してまで見せてくれたことで、それはより強固なものとなる。


「ほら見ろ。青い月の石を付けた首飾りだ。てか、どこかで見たことあるな……」

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