失うくらいなら

魚を食べる犬

第1話

二〇〇×年五月二〇日(土) 一九時〇〇分 自宅にて


『もう、これ以上はダメだ』

 自宅のリビングで一人悩む自分。純子じゅんこは私のもとを離れてしまう。それは私にとって嫌だ。あの子を失ったら、私はどう生きたら良いのか。あの子は『私の孤独を埋める必要不可欠な存在』。この気持ちや悩みがあの子を束縛する事であると、自覚している。しかし、私は悩んだ末に『失わない方法』を選んだ。

 あの子と出会ったのは高一の冬の時だ。両親の都合で遠くの他県に引っ越しすることが中三の秋に分かり、私は引っ越し先にある高校に入学した。そのため、誰一人知っている同い年はいない環境で私は孤独を味わった。『新しい環境でも上手くやっていこう』。これが普通の考え方だが、私の場合はそうはいかなかった。

「杏実あみって、目つき悪いよね」

「人柄は良いんだけど・・・」

 以前、通っていた学校で私は周囲から目つきを理由に、友達作りに苦労した経験があった。目つきが悪いということで誰も私に寄り付かない。

『誰かと一緒に居る事で自分の存在の意義を見出す』。

 これが私の生き方。唯一引っ越し前に居た友人とは電話やメールで連絡を取っているものの、遠距離のため会う事ができない。そのため、友達作りが進まず、辛い日々を過ごした。そんな時にあの子が私の前に現れた。

「初めまして~、純子と言います~。よろしくお願いします♪」

 彼女のマイペースな自己紹介は今でも覚えている。高一の時、私のクラスに純子が転校してきた。彼女も親の都合で転校してきた少女である。私と彼女は親による転校という点で似ている。しかし、私と彼女には相違点がある。彼女はどこか抜けているのか、発想や行動がマイペースでよく私やクラスを困らせていた。例えば、宿泊合宿では一人集合時間や場所を間違えたり、文化祭の出し物では道具類を落としたり、日頃はクラスへの連絡を忘れたりなどミスをした。最初は良かったものの、その内、周囲からうざがられ、結果、私と同様に孤立し、誰一人、彼女と友達になろうとしなかった。いつしか周囲から『鈍子どんこ』と呼ばれるようになり、いじめの標的になった。

「あんた、いつものんびりとしているわね。しっかりしなさいよ!」

「貴方せいで遅れちゃったじゃない。どうしてくれるのよ!」

 周囲から責められる純子はいつも『ごめんなさい』と泣きながら言う。さすがにマイペースな彼女も自分の置かれている状況に気づき、苦しく辛い思いをしたのである。私はそれを孤独から抜け出すチャンスだと思った。担任と学年主任に純子のことを報告した。学校側はその事に危機感を持ち、すぐさま動いてくれた。学校側は徹底的に問題解決に乗り出し、彼女をいじめから救った。私は学校から勇気を出して報告してくれたことを褒められた上に学校から厚い信頼を得た。そして、私は彼女から『友達になって欲しい』と言われ、私は迷うことなく承諾した。彼女からは『救世主』のように尊敬され、私のお願いや言う事を聞いてくれた。最初の時点で私と彼女の関係は友人関係と言うより、主従関係と言った方が相応しい関係にあった。それでも彼女は何一つ不満を言う事は無く、常に私に従い、私の生活を充実させてくれた。私が『喉が渇いた』と言えば、『すぐに買ってくるね』と言って飲み物を買ってくる、私が『宿題が終わっていない』と言えば、『杏実だけに見せてあげる♪』と言って彼女は自分がやった宿題を私に見せてくれる。このような関係が高校卒業まで続いた。

 高校卒業し、私と彼女は学びたいことが一致していたので、隣県の同じ大学に入学、同じ学部を選び、そしてアパートを借りてルームシェアをした。大学生生活において、講義で出た課題も高校の時と同様に彼女に見せてもらい、時に私が講義を欠席して、穴埋めに彼女のノートを写す。さすがに生活費の面では彼女に甘えず、アルバイトをして彼女と資金を出し合った。また、彼女にはわがままを言わせたりして、高校時の関係から、普通の友人関係で接した。大学生生活でも私と彼女はいつも一緒に居る。友人を作り、サークルに所属した。それから順調に単位を修得し三年次になって研究室に所属した。彼女とは細かい研究内容の違いから別の研究室に所属した。会えない時間はあるものの家では一緒に住んでいるということで深くは気にしなかったし、同じ講義を履修または昼食を食べる時に会う事ができるので不満は無かった。しかし、彼女のバイト先の飲み会や残業など、いつもより帰りが遅くなる日に限って、私の心の中には不安がよぎる。『誰かに彼女を取られるのではないか』・『彼女が私の下を去っていくのではないか』。とても不安になり、吐き気や動悸が私を襲う。また、彼女が男性と話しているまたは一緒に居る時も不安になる。それでも、私は彼女を束縛しないように耐えた。

 四年になって就職活動に専念し、私は電子部品会社の営業で、彼女は電子製品製造会社の事務に決まった。住まいは大学生の時に住んでいたアパートから通えるので、継続して一緒に住むことにした。別の会社ということで嫌だったが、家では同じ時間を共有できるから辛くはなかった。忙しいが、家では同じ時間を過ごせる幸福を味わえる。このまま続いて欲しいと望んだ。しかし、その望みはある時打ち砕かれた。二年後に私は彼女が勤める企業の担当になり、引き継ぎということで先輩社員と一緒に挨拶に行った。建物の中に入り、案内された部屋に行くときに、廊下で彼女を見つけた。いつも通りに嬉しい気持ちになるが、その時は嬉しい気持ちになれなかった。彼女の周囲には鈍感さに惹かれる男性が居た。私にとって再び襲ってきた不安だ。先輩社員には『大丈夫?』と言われたが、『緊張してきちゃいました』と誤魔化し、その場を乗り切る。そして、彼女の勤め先を訪れるたびに不安が押し寄せ、いつしか家では彼女を避けるようになった。彼女からは『杏実、どうしたの?』と心配されたが、『疲れているだけ』と言った。また、職場の同僚からも『顔色が悪い』と、先輩社員から『取引先と何かあったのか』と心配された。大学生の時と同様に私は耐えたが、日に日に業務や上司からのストレスが蓄積し、今までと同様に耐えられなくなった。彼女に「彼氏がいる?」と家で飲んでいる時に聞いたが、彼女は「いないよ♪」と答えた。その時の私は疑心暗鬼の状態だったため、彼女の言葉を信じることができなかった。そして、今に至る。すでに私の心は押しつぶされた状態にある。

 今日は彼女が休日出勤で家に居ない。日中は『これからどうあるべきか』考えた末にある答えにたどり着き、今日の夜にそれを決行する。彼女が帰ってくるまで私は彼女のために台所で夕食を作っている。そして、玄関の扉が開く音がした、疲れた顔でリビングに来た。

「疲れたよ~」

「お勤めご苦労様」

 この『お勤めご苦労様』の意味が普通以上の意味を有している。彼女は普段着に着替えるために寝室に行った。そして、私は『あれ』を決行することを決め、テーブルに夕食を並べた。彼女はリビングに現れ、私と一緒に夕食を食べた。

「なんか・・・眠くなってきた・・・」

「後片付けはやっておくから、寝ていても良いよ」

「ゴメンね・・・」

 彼女はすぐにリビングのソファーで寝た。彼女の食事に『例の物』を盛っておいたのである。

(私こそ・・・ゴメンね・・・)

 台所にある包丁を持って、私は・・・。

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