第3話

「私、ちょっと外に散歩に行ってくる」


麻里江は、なんだか居心地が悪く、一刻も早く外に出たくて、二階の居間から下の階に向かって階段を降りていった。


―――あーあ、せっかくの俊之とのバケーションだったのに、家族のせいで台無しだわ・・。


麻里江はブツブツと独り言を言いながら、家の外を出てまた新鮮な空気を深く吸った。


ふと、隣の家が気になって表から見える窓ガラスを覗いた。やはり、誰もまだこの新築の家に来た形跡が見当たらない。隣の家の裏庭に回ると、一人のおじいさんが制服を着て、庭園のお花に水を撒いていた。


「あ、あの・・・・」

麻里江は思わず、そのおじいさんに声をかけていた。


おじいさんは、ゆっくりとこちらを見ると、警戒心のない表情で、ホースを持ちながらきょとんとした顔で、麻里江の方を見てきた。


「ああ、お隣の春日さん?」

おじいさんは笑顔を浮かべ、ホースで水を撒く手を止めて聞いてきた。


「あ、よくご存知で。こちらのお家の方ですか?」


おじいさんは、いやいやと大きく手を横に振りながら、麻里江の方を見てきた。


「わたしゃ、ただの管理人の者です。この家主さんの奥様に頼まれて、庭の手入れだけは必ずしてほしいってね・・・」


「家主さんは・・・?」


すると、おじいさんは、途端に暗い表情になって俯いた。


「この家を購入された旦那さんは、去年この別荘で亡くなりましてね・・・。家主ここにおらずっていうんですかねえ・・・」


「他にご家族はいらっしゃらないんですか?」

麻里江は失礼かと思いながらも、話を詳細に聞きたいという好奇心に駆られた。


「いやいや、お子さんがいらっしゃらないご夫婦でね。旦那さんは、まだ五十三歳で亡くなられましてね。今は奥様一人だけです。だから、新築で建てたのはいいものの、どうすればいいか迷っていらっしゃるようで・・・」


「すみません・・・。なんだか、立ち入って色々な話を聞いてしまって・・」


麻里江は、この隣人の不幸な話を聞いて、何故一年経っても、誰もこの別荘を使っていないのか、やっと納得がいった。


おじいさんは、西陽に目を細めながら、また再び、よく日に焼けた骨ばった手で、水を草木に撒き始めた。


麻里江は理由に納得しながらも、何故か胸の中がすっきりせず、モヤモヤが心の中で渦巻いた。


―――何でお亡くなりになったのかしら・・。


人は、人生の中で何が起きるか分からない。普段元気な人でも、運が悪ければ交通事故や災害、病気などで命を落としてしまう人もいる。

人の命は儚いものだと、改めて感じさせられた。



麻里江は家に戻ると、ゆっくりとした足取りで二階の居間に戻った。


「随分、長い時間、散歩していたじゃないか」

父親が、不思議そうな顔で麻里江の顔を凝視してきた。


「ああ、ちょっとたまには近所の家を色々見てみたかっただけよ。ブラブラ、そこら辺を散歩していたの」


「麻里江、夕飯の支度が出来たわよ。ほら、座りなさい」


麻里江は、ふと顔をあげると居間の大きな食卓に、ローストビーフ、数々のオードブル、スープを始め、豪勢な食事が並べられている傍らに、麻衣子と彼氏、俊之が座っている姿が見えた。俊之は、すっかり麻衣子達と打ち解けた雰囲気でビールを開けて飲んで、色々な共通の話題に花を咲かせていた。


麻里江は、まだお酒が入ってないのと、さっきのおじいさんの話が心の中にまだ残っていて、腑に落ちない気持ちのまま、テーブルの椅子に座った。


すると、寝室の扉が開いた。白髪を上に結い上げて、顔中皺だらけのハルおばあちゃんが、ゆっくりと車椅子に乗って、姿を現した。


「ハルおばあちゃん!元気?」


麻里江は、ハルおばあちゃんに話しかけたが、耳が遠くて聞こえないのか、無言のまま、両輪に手をかけながら、そのまま食卓に進んでいった。


「じゃあ、麻里江のお誕生日会始めましょうか?」


母親が、用意していたそれぞれのグラスに、ワインを注いだ。


「麻里江お姉ちゃん、お誕生日おめでとう!!」


麻衣子がワイングラスを麻里江のグラスにカチンと軽くつけて、微笑んだ。


結局、七人が居間のテーブルを囲んで食事を始めた。


―――これって、どういう風の吹き回し?せっかく、俊之と二人きりでゆっくりできると思ったのに・・・。


麻里江は落胆の表情を隠せなかった。


「俊之君は、今どういった仕事をしているのかな?」


父親は、ワイングラスを片手に、俊之の瞳を覗き込んだ。


「僕は、今食品会社で、商品の開発をしています。まあ、競争会社が沢山いるんで、新しい商品を出すときも、なかなかヒットしないことが多くて、難しいですけどね」


俊之は、大手の食品会社で、レトルトカレーの商品開発をしていた。以前、麻里江の家で麻里江がカレーを作ったときも、カレーの香辛料や味にはうるさかった記憶がある。


「ほう。食品の開発ねえ。何人くらいのチームで組んでいるのかな?」


「僕を含めて、五、六人ですかね・・・・」


父親は、話をしながらも、俊之の会社での役職、年収などを探っている様子だった。

それは、麻里江にとって、居心地の悪いものだった。


―――そんなのどうだったって、いいじゃない・・・。


「あ、そうそう。お姉ちゃんにまだ紹介していなかったね。私の彼氏!」


麻衣子は、悪戯っぽい眼で彼氏を見つめながら、自己紹介するように彼氏の脇を肘で突いた。


「あ、申し遅れて、すみません。僕、吉田伸っていいます。麻衣子さんと同じ大学に通っています」


吉田伸は恥ずかしがり屋なのか、顔を少し赤くしながら、春日家の全員の前で、俯きがちに自己紹介をした。


「じゃあ、伸君は、麻衣子と同じ学年なのかしら?」

母親がすかさず、聞いてきた。


「はい、麻衣子さんと同じ大学四年生です。学部は違いますけど・・・」


そう。と母親は、笑顔で頷きながら、吉田伸の顔を覗き込みながら、目を細めて眺めていた。


「やだ、お母さんったら。私の彼氏に変な興味持たないでよ!」


麻衣子は、シラッとした表情で、母親を横目で睨みつけた。


「あら、いやだ、麻衣子ったらあ。変な想像しないでちょうだい。私にはお父さんがいるじゃない?ねえ、お父さん」


母親は、隣に座っている父親の肩に甘えるように頭を傾けた。


一通り、食事と麻里江のバースデーケーキのお祝いが終わると、麻衣子と彼氏の吉田伸は、居間の外にあるテラスの方へ二人でお酒を持ちながら、移動していった。


ハルおばあちゃんは、疲れたのか、食事の途中で母親に付き添われながら、自分の部屋へと車椅子で戻っていった。


「じゃあ、私たちも部屋に戻ろうか?」

麻里江は俊之の耳元に囁くように言った。


麻里江はやっと俊之と二人きりになれるという安心感が体中を包み込んだ。


二階には居間とキッチンの他に、ハルおばあさん様に一室部屋があった。

一階には、寝室が三つある。


「なんか、ホテルの満室状態みたいね・・・」


麻里江は、家族に対して皮肉を込めながら、そう呟いた。

一部屋は、麻衣子と伸、もう一部屋は、麻里江と俊之、そして三つめの一番大きな部屋は、お父さんとお母さんが使うことになる。



麻里江は部屋に戻ってから、ふーーーっと大きい深呼吸をした。


「やっと二人きりになれたわ・・・」


「家族のことは嫌いじゃないけど、なんだかあれだけ大勢集まると疲れるわね。それに、私と俊之がバケーションをこの別荘で取るって知らせていなかったのに、なんでみんな知っていたのかしら?」


麻衣子は未だに家族に対する不信感を露わにした表情でそう呟いた。


「なんだろうね?俺もよく分からないよ。ちょっと悪いけど、麻里江の家族はちょっと異様な感じがしたな」


俊之も、麻里江の家族が、事前に何の知らせもなく、全員別荘に現れたことに対して、一種不気味なものを感じているらしい。


「まあ、でも、今はラインとかメールとか、そういうのを調べる会社もあるからな。ひょっとしたら、俺たちのやり取りも家族の誰かが会社に調べてもらって、情報を持っていた可能性もゼロではないぞ・・」


麻里江は、背筋が凍る思いがした。

自分達の普段のやり取りを家族に見られていたとしたら・・・。恥ずかしいというか、家族に対する怒りみたいなものが、心の中を支配した。

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