8月8日 その4
楓たちと合流し、一通りプールを満喫した俺達は昼食も兼ねて休憩することにした。こういうところで食うラーメンや焼きそばが美味いのは、水泳のカロリー消費が関係していると聞いた事があるが実際のところどうなのだろう。
「それじゃあ、今度は夏祭りかキャンプに行くのかい?」
自分の尻尾と同じ色のビキニとパレオに身を包んだ会長さんは、楓へとそう聞きながらもテーブルの上にある食料を我先にと口に放り込んでいく。この細い体のどこにそんな量の食事が入るのか常々疑問に思っているが、真相は闇の中だ。
「うん。太一が連れて行ってくれるって」
「それはラッキーだったな。少年は馬車馬のように働くから雑用は任せていいぞ」
一方長い金髪を頭の上でよくわからない纏め方をした楓は、挑戦的な白のローライズビキニを着ている。顔立ちがよく、金と白は親和性が高いのかこれまたよく似合っていた。
「……」
二人が仲良く会話しているのを眺めつつ、俺も味の薄いラーメンを啜る。
この休憩時間中に好美の誤解を完全に解いておこうと思い、楓には少し身の上話をしてもらう事になった。もちろん獣還りと両親の件については嘘を混ぜているが。
両親の急な転勤により今月いっぱいで引っ越さなければならないが、友達もいなかったので思い出が欲しく、祭りで偶然出会った俺に相談しそれを俺が快諾した、とそんな流れになっている。少々強引だとは思うが、落とし所としてはそんなものだろう。
そんな懸念事項を残しつつも、会長さんは楓の事を気に入ったらしく、また楓も会長さんには心を開いているようだった。あまり人付き合いが得意ではないと思っていたのだが、これも会長さんの求心力によるところなのだろうか。
だが、そんな二人を面白くなさそうな顔で眺めているのが約一人。
「子供だけでキャンプなんて、危険だと思うけど」
「おい好美……」
せっかく楽しい雰囲気になってきたのに、どうしてそういう事を言っちゃうのか。
「でも事実だし」
好美はすっぱりとそう言い切ると、フライドポテトを一本口に放り込んだ。
どうやら好美は、俺の言い分には納得してくれたらしいが、楓の方を信用していないらしい。食事の片手間に、俺ですら察してしまうレベルで値踏みをするように視線を送っている。
勘弁してくれ、と目で訴えるが、それ以上に強い眼力が俺を射抜く。
「でも、事実だし。このへんにあるキャンプ場って山の上ぐらいしかないじゃん」
「……そりゃそうだけどさ」
実際俺も葛西に車を出してもらわないといけないと考えていたところだ。二人分の荷物を背負って泊りがけの登山とか、さすがに楓の頼みでも首を縦に振る訳にはいかない。
話が弾んでいた会長さんも、そればっかりは好美と同意見なのかうんうんと頷いていた。
「そうだな。テントや調理道具、食糧、遊び道具や着替えもいるとなると、何より運搬が大変だ。車じゃないと少々骨が折れるぞ」
「それは……そうだけど」
余計な情報は与えない方がいいだろうと、葛西の話はしていないので楓はどう返したものかと困っているようだった。それに助け舟を出そうと身を乗り出すと、会長さんは俺を腕で制し、楓の小さな頭を撫で始める。
「まあ何かしら考えてはいたんだろうけど、レンタルとかタクシーだと金は嵩むぞ?」
「お、お金ならどうにでもなる!」
「それは頼もしいが、人手も多いほうがいい。話し相手にも困らないし、何より作業は分担しないと不満が生じる。楓君、好美、君たちは料理はできるのかい?」
「……できない」
「少しぐらいなら……」
芳しくない二人の返事に会長さんはやれやれと両手を上げる。
……なんだか、話の流れが変になってきていないか?
「専業主婦の私が言うのもなんだが、できるようになっておいて損はないぞ。今回みたいにいつ腕前を試されるかわからないからな。それに、少年の方ができるとあっては立つ瀬がないんじゃないか?」
会長さんはそんな俺の不安を知ってか知らずか、手にしていたフランクフルトを頬張りご満悦だ。焚きつけるだけ焚きつけておいてその後全部俺に丸投げするのはやめてほしい。
好美も楓もなんだかとても悔しそうに俺を睨みつけているが、料理といっても簡単なものだけだし、そこまで誇るもんじゃない。
「少年の包丁捌きはこの前の祭りでも大いに役立っていたぞ。ウチの屋台は大助かりだ」
「そうですか。俺アレのせいで腱鞘炎になったんですけどね」
「なぁに毎年の事じゃないか。というわけで少年、キャンプには私も同行するからな」
「か、会長さん!?」
頭を抱えたく会長さんの発言に、何故か俺ではなく好美が驚きの声を上げる。
ああ、話の流れを誘導したのはこういう事か……。
「楓からキャンプの話聞いた時点でもう決めてたんですね?」
会長さんは俺の指摘にふふんと不敵に笑っている。どうやら正解らしい。
「まあそう邪険に扱うな、いいじゃないか少々人が増えるぐらい。それに私が一緒に行けばバンみたいな大きい車も出せるし、キャンプ用具もダーリンが持ってたはずだから金もかからない。都合のいい保護者扱いをしてもらっても構わないぞ?」
会長さんは何故か俺ではなく、好美に対して目くばせしながら意味深に笑う。
それの意味はわからないが、つまるところ会長さんは楽しそうだから自分も混ぜろと言いたいのだ。
実際、会長さんの提案は普通の未成年だけのキャンプなら飲まずにはいられない内容だろう。
「それは魅力的ですね。でも……」
けれど、今回の発起人は俺だとしても最終的な判断を下すのは楓だ。
これは俺の為のイベントではなく、楓の為のイベントなのだから。
「楓はどう思う?」
部外者がどうこう言うより、本人に聞いた方が早いとカレーを口に運んでいる楓へと訊く。
楓は急ぐことなくしっかりとそれを咀嚼し、行儀よくスプーンを置いてから、
「いいと思うよ」
特に悩んだ様子もなく、参加を許可したのだった。
少し前に電話をした時は人付き合いがあまり得意ではないと言っていたが、どういう心境の変化だろう。さっきの一瞬でそこまで会長さんと仲良くなったのだろうか?
「本当にいいのか?」
「別に、太一がいるなら他に誰が居ても一緒だし」
「ほほう……」
何やら誤解した様子の会長さんはスルーし、楓はすました表情でおしぼりを手に取り、口の周りを丁寧に拭い始めた。どうやら楓は俺以外の誰かが居ようとも特に関心はないらしい。
「あ、あ……」
しかし何にそこまで衝撃を受けているのか、話し合いが進むにつれて好美の様子が明らかにおかしくなっていく。顔も赤いし、しきりに一方的なアイコンタクトを会長さんに送り続けている。
「会長さんは悪い人じゃなさそうだし、それに大人が一人でもいれば周りから変な目で見られないだろうし、いいんじゃない?」
「悪い人じゃないとは、嬉しい事言ってくれるじゃないか。それじゃあキャンプには我々も同行するということで、太一も好美もそれでいいな?」
「わ、わたっ、わたしもっですか!?」
「当たり前じゃないか。私だけあやかろうなんてそんなあさましい事はしないよ。ああ、それなら智代君も連れてきていいかもしれないな。きっと喜んで来るだろう」
「太一、智代って?」
「ん? ああ、俺の姉さんだよ」
姉さんも来るとなると、二人のはずだったキャンプも随分と騒がしくなるだろう。
当初の目的とはずいぶん違ってしまうが、これもまた楓のいい思い出になるかもしれない。
会長さんの掌の上で弄ばれている感覚さえなければ、の話だが。
「さて、それじゃあ段取りを決めようか。どこに行くかはもう決めていたのかい?」
「あ、はい。一応あの山間にあるとこにしようかと――」
手慣れた様子で話し合いを回す会長さんのおかげで、そこからものの十分もしないうちに当日の予定は決まってしまった。結果的に金が浮いたのでもうこれでよしとしよう。
「よし! それじゃあ段取りが決まったところで今日は遊ぼう! 楓君、もう一度ウォータースライダーに乗ろうじゃないか!」
「うん! 太一も一緒に行こうよ!」
「あ、ああ」
楓に手を引かれ、ウォータースライダーへと歩き出す。
弾丸のような速さで進んだ話し合いから未だに意識が戻り切っておらず、たたらを踏みながらもなんとか歩調を合わせた。
まあ過ぎ去った事は考えても仕方がないだろう。
しばらく水から出ていたので体も熱を取り戻し始めたし、勢いよく水に飛び込むのは想像しただけで気持ちがよさそうだ。
「さっきやった時すごく気持ちよかったんだよー」
「お、そうか。おーい、好美も……」
後ろから着いてきている様子のない、好美を呼びながら振り返る。椅子に座ったままの好美は俺の声が聞こえなかったのか、どこか呆けたように空を仰いでいる。
「何してんだアイツ? ちょっと俺呼んで来るから先に行っててくれ」
「うん、わかった」
楓に断り、好美の元へ向かう。相変わらず虚脱したままだった好美だったが、俺が視界に入ると徐々に魂を取り戻していくように、普段通りの好美へと戻って行った。
「何してたんだ? ウォータースライダー行くぞ」
「えっ、あ、うん。何でもないよ、何でもない」
急いで立ち上がり、俺の隣りに並んで照れくさそうにしている好美からは、さっきまでの虚脱感や呆けていた時の空虚さは感じられない。
会長さんへのアイコンタクトといい、どうやら俺に対して隠し事があるようだが、その正体はさっぱり見当がつかない。
「あれ? ねえ太一、あそこ」
「ん……?」
その妙な引っかかりに心当たりはあるだろうかと考えていると、好美が何かを見つけたらしくウォータースライダーの列を指さした。そこには会長さんと一緒に行ったはずの楓が、列から外れたところで一人佇んでいた。
「何やってるんだろ? 会長さんもいないし」
「さあ……?」
こちらに背を向けているので、楓がどんな表情をしているのかはわからない。
けれど楓の視線の先にあるウォータースライダーの列は、どうやら少し趣が異なっているように見えた。
心なしか、妙な歓声みたいなものも聞こえてくる。
楓はその空気に馴染めないような、あるいは忌避しているような位置から動かないままだ。
「なんか妙だけど行ってみるか」
「そうだね、何かあったのかな」
俺達二人が楓へと距離を詰めていくと、飛び交う声達の正体は徐々に徐々に判明してくる。
「おめでとうございます!」
「おっしゃ! これで俺も今年の運勢ラッキーだわ!」
「おい押すなよ! 邪魔になっちまうだろ!」
「ああアナタ、ほら早く! こっちこっち!」
列に隠されていて見えなかったが、近づいてみると何やら列の奥に謎の人だかりができていた。老若男女が入り乱れ、その中心に据えた何かを全員で囃し立てている。
デジャヴ、と言えばいいのだろうか、俺はこの光景を知っている。
あれはそう、あの日、俺の大事な友人を亡くした日のその場所で。
「太一?」
好美の声に反応している余裕がない。楓と同じく俺もその場に固まってしまった。
まだ遠くにある人垣が揺れ、その隙間から隠されていた景色が見える。
血が飛び散り、骨が突き出し、中央にいるそれはもはや肉塊としか呼べないモノだった。
だというのに、そいつの意思とは全く関係なく、まるで見えない腕が粘土でもこねくり回しているかのように、肉塊の筋肉は隆起し、折れた骨は再生し、身体は新たな皮膜を作っていく。
「…………獣、還り」
俺のすぐ目の前で、楓のほんの鼻の先で、誰かの人生が潰えている。
俺自身に忍び寄っている影に、先に殺されてしまった人が、すぐそこにいる。
「え? もしかしてあの人だかりって獣還りなの!?」
好美の身長では人垣が揺れた所で見えなかったのだろう。俺の呟きを聞いて表情を輝かせた好美は、ショーと化した獣還りの現場とは反対方向に駆け出した。
「ちょっと待ってて! スマホ取ってくるから!」
そう言い残し、好美はロッカーのある方へと走り去っていく。
その背中は見送らずに、足は自然と楓の元へ向かっていた。
一瞬にして疲弊した足は重く、声を聞きつけて獣還りを一目見ようと殺到する人々に置いていかれるばかり。
「……楓」
そうやってなんとか楓の隣に辿り着いても、俺はどう声をかければいいのかわからなかった。
唇を強く結び、今にも泣きだしそうな楓の、名前を呼ぶので精いっぱいだ。
「楓!」
「ッ!」
再び名前を呼ぶと、楓は弾かれたように俺へと抱きついてきた。水着を掴む手も、胸元に押し付けられた頭も、酷く震えている。
その小さな頭を、包み込むようにして優しく撫でた。
今ならきっと、俺達の事なんて誰も見ていないだろうから。
「大丈夫、大丈夫だ」
明らかな気休め。意味のない励まし。そんな事はわかっている。
けれど、何か声をかけてあげられずにはいられなかった。
「……大丈夫じゃ、ないよ」
「……すまん」
俺達に差し迫った未来が、すぐそこに在る。
理解していたのに、そういうものだと知っていたのに、まざまざと見せつけられるというのは、泣いてしまいたくなるぐらいに辛い。
以前は折り合いこそつかなかったものの、ただの現象として流せていたはずだったのに、今はそれが何よりも恐ろしい。
あの吐き気を催すような光景すら、人々は喜び祝福する。
そうすることが正解なのだと、自らの宿命を受け入れるのが正しいのだと。
「こんなのは……間違ってる」
何に対しての怒りなのかすらわかっていないのに、吐き出さずにはいられない。
そんな俺の妄言を、楓は何も言わず黙って聞き届けてくれる。
今となっては、それだけが救いだ。
「……夏休み、ちゃんと終われるかな」
俺の胸に顔を押し付けたまま、楓は呟くように俺に問う。
「……きっと、終われるさ」
「……そこはしっかり言い切ってほしかったんだけど」
「うっ」
ジト目で睨まれ、思わず言葉が詰まってしまう。
俺だって断言したかったけど、獣還りの浸食具合は人によって違うし、もしかすると、の話をすると今日眠りについたら明日はやってこないかもしれないのだ。
それでも、女の子が一人で怯えていたのだから、さっきの問いに関しては虚勢ぐらい張るべきだったかもしれない。
「その、悪かったよ。妙なとこで芋引いてすまん」
「本当だよ! 引き受けたんだったら最後までやり遂げてよね!」
「痛い痛い、だから悪かったって」
「もう知らない! こんなところでヘタれるなんて……」
頬を膨らませて俺の胸を叩く楓だったが、言葉の途中でその動きは止まってしまう。どうやら俺の背後に何かを発見したらしく、胸に当てられたままの小さな手はすぐに俺の手を取り、どこかへと引っ張っていこうとしている。しかし体重差や体格差のせいで、俺の体はビクともしない。
「何してんだ?」
突飛な行動にそう聞かざるを得ない。すると楓はさっきまで震えていたのが嘘のように笑う。
「何って、今ならウォータースライダー空いてるから、早く、行こうよ!」
人っ子一人いなくなった階段を指さし、楓は尚も俺を牽引しようと必死だ。
その階段から視線を少し横にずらすと、そこには相変わらず大勢の人だかりがあり、時折悲鳴のような歓声のような、よくわからない声が上がっている。
「皆アレに熱中してる間にさっさと上っちゃおうよ。もしアレが長引いたら二回ぐらい続けてできるかもしれないじゃん」
「いや、まあそうだけどさ」
「わかってるんだったら、早く行こうよ」
これ以上焦らさないで、と楓は不満そうな目つきで俺を見上げた。
その表情のどこにも、先ほどまでの余韻は感じられない。切り替えが早いというか、割り切っているというか。
「あんなのはどうでもいいし、はーやーく!」
「わかったわかった。引っ張らなくてもいいって」
我慢の限界に達しそうな楓を嗜めて、引っ張られるがままに楓に付き従う。
「ほら、やっぱりガラガラだよ! 早く早く!」
「わかったわかった」
ずっと握られていたせいで痺れてきた指先を感じながら、けれど振り払う事はせずにそのまま階段を上る。ふと階下を見下ろすと、そこには獣へと変質する寸前の肉塊と、それを中心に面白おかしく囲む多くの人の姿があった。上から見るとそれはなお滑稽で、血みどろのそいつをまるで偶像のように拝んでいる人もいた。
「太一! 止まらないの!」
「うおっ、階段で引っ張るなよ危ないだろ!」
「知らない! 急に止まる方が悪いんだから!」
そんな階下には決して目をくれず、楓はただただ上を目指している。
そんなひたむきな姿を見ていると、いつまでもさっきの出来事を引き摺る自分が馬鹿らしく思えてきた。戻ってこない好美や姿を消した会長さんの行方も気になるが、そもそも今日の目的は楓の思い出作りなのだ。些か大きい横槍は入ったが、それを忘れてしまってはいけない。
「よし、そんじゃあ人が戻ってくる前にちゃっちゃと行くか!」
「だからアタシは何回もそう言ってるじゃん!」
階下とはまた違う騒がしさを纏い、俺達は階段を駆け登る。
少なくとも今だけは余計な事を考えなくていいように、考えさせなくていいように、俺達はそう振る舞うべきであると思ったから。
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