勅使河原くんとデモス司教

 ペイルに相談をしに行ってからの次の日曜日。


 僕は、なんとなく教会へと足を運んだ。

 中では、この封印の国の地域における司教に改めて任命されたデモス元司祭が、一人で雑巾掛けをしていた。

「よっ! 陛下じゃねぇか? なんか用か?」

 デモス司教は僕の事を陛下と呼びつつも、いつもと変わらない軽い感じで話し掛けてきた。

 僕は、それが嬉しかった。

「お一人ですか? みなさんは?」

「お出掛け中だ。あちこちの家庭へ訪問して新しく出来た教典を渡しつつ、神の教えを説いて、ついでに悩み事があれば打ち明けて貰っている」

 僕の質問にデモス司教は、そう答えた。

 封印の国に配られる分の教典は、イアの開発した新しい印刷機で刷って製本されている。

 造幣局の印刷機は、それをベースにイアだけでなくコンバさんと、僕や美恵がメインで開発した。

 印刷機の心臓部は、技術流出を防ぐ為に、その四人しか細部の構造を知らない。

 造幣局の場所も一般の人々には、知らされていない。

 そして、中で働いている人も外で警備している人も、確実に信頼できる人達にしか任せておらず、しかも警備は非常に厳重だ。

 流石に造幣局のある場所に関してだけは、デモス司教にも伝えてあるけれど、ホボス大司教やシュリテ国王は、まだ知らない。


「僕も手伝います」

 僕は水の入った木製のバケツのそばにある、もう一枚の雑巾を手に取ると掃除を手伝い始めた。

 デモス司教は特に止めなかった。


「そう言えばマリアには、いつも助けて貰っている。陛下には礼を言うよ」

「ありがとうございます。マリアも……やりがいが、あります……と、言ってくれていました」

 マリアには時々、教会に行って貰っている。

 教会には時折り、様々な悩み事を抱えた多くの人々が相談をしに訪れる事がある。

 それらの相談の中には、デモス司教達では持て余す様な話も少なからず存在した。

 例えば恋愛の相談などが、それに当たる。

 そういう時には、希望する人に限ってマリアに占ってもらう事にしていた。

「マリアの占いは、的中率も見事なもんだが……占いをしなくても話を聞いて貰うだけで安心して帰る人も多い。流石はエンダの羅針盤の孫だな」

「ご存知だったんですか?」

 デモス司教は掃除をしながら頷いた。

「うちの教会支部も結構、昔は世話になったしな……。悩み事があったら教会よりも、先ずはエンダの羅針盤に占って貰うといいとか……周りから良く言われていたよ」

 デモス司教は苦笑いをした。

「それで今日は、そのエンダの羅針盤の孫がいない訳なんだが……小僧は何しに教会へ来たんだ?」

 小僧呼びになっている事は、気にならなかったけれど……僕は掃除の手を止めてデモス司教を見る。

「随分と真剣な顔付きだが……何か相談したい事があるなら俺で良ければ聞くぜ?」

 デモス司教は、そう言うと親指で懺悔室を示した。


 僕はデモス司教に導かれるままに懺悔室へと入った。


「では……悩める子羊よ、何か困った事があるのなら話してみなさい」

 壁の向こうのデモス司教は、そう真面目に促した。

「実は四人の女性から告白されて誰を受け入れるかで悩んでいるんです」

 僕は真面目に答えた。

 デモス司教は静かになった。

 ──なんだろう?

 ──壁向こうの、やる気が急に感じられなくなった気がする……。

「あー……あの四人か……ま、いいや……それで?」

「デモス司教から見て、どの娘が一番魅力的に見えますか?」

 またデモス司教は、静かになった。

(俺から見ると全員、しょんべんくせえガキなんだが……弱ったな。俺の好みは、もっとこう……)

 そんな小声の独り言が聞こえてくる。

「取り敢えず、結婚を考えているという前提でいいのか?」

「はい」

 デモス司教の逆質問に、僕は頷いて答える。

「じゃ、美味い奴メシを作れる奴が、いいんじゃないか?」

「それならマリアが一番ですが……他のみんなも、料理は得意ですし美味しいです」

「あ、そう……」

 壁の向こうから何か困っている雰囲気が、僕に伝わってくる。

「それじゃあ……一番、床上手とこじょうずだった奴は、誰だ?」

 ──おいこら、聖職者。

「知らないです。知っていたとしても、そんな事を言える訳が無いじゃないですか?」

「……知らないって……一度も無いのか? 四人の中で誰とも?」

「……はい」

 僕は正直に肯定した。

(……魔王のくせに聖人か何かか? こいつは……)

 そんな呆れた様な呟きが聞こえてくる。

「うーん……じゃ見た目で、お前が一番……やりたいなあ……と思う奴は、誰だ?」

 もはや神の僕として、あるまじき質問を繰り出してくるデモス司教に、僕は少しだけ呆れていた。

 しかし確かに重要な事だし、他に答えを導き出せそうな質問も思い当たらない。

 自分で真面目に考えた事も無かったので良い機会だと思って僕は、改めて四人の身体的な魅力について考えてみた。

「僕は……」

「うむ」

「僕は、おっぱい星人なので……やっぱりマリアと美恵の巨乳には、惹かれます」

「お、おう……」

 僕の真摯な告白にデモス司教は、動揺しつつ呆れている様子だ。

 もしかしたら、おっぱい星人という言葉が理解できないのかも知れない。

「じゃあ、マリアか美恵がいいって事か……」

「でもレアみたいな形が良い胸にも、最近はイアみたいな微妙な膨らみ加減にも、どきどきします」

「……あ、そう」

 デモス司教は少しの間だけ沈黙した。

「あー……それじゃ一緒にいて一番楽しいのは、誰だ?」

「一緒にいて楽しい?」

「そうだ。この女性となら一生を添い遂げられる……そんな雰囲気を共有できる女性は、誰だ?」

 ──僕と一生を添い遂げられる……。

 ──僕が一緒にいて楽しい女性……?

「みんなです」

「……」

「僕と四人、全員が揃って色々な話をしている時が一番楽しいです」

 懺悔室の壁に取り付けられた小窓が開いて、デモス司教が顔を覗かせた。

「小僧……貴様、真面目に答える気があるのか?」

 デモス司教は少しだけ怒っている様子だった。

「その質問は心外です」

 僕も少しだけ腹が立った。


 僕らは、取り敢えず懺悔室から出た。

 再び雑巾掛けを始めて掃除の続きをする。


「いっその事、エンダの羅針盤の孫に……誰と結婚すると一番幸せになれるのか? ……って占って貰ったら、どうだ?」

 デモス司教が長椅子を拭きながら尋ねてきた。

「そんな大事な事をマリアに占って貰ってマリア以外の結果が出たら、どうするんですか? 僕、二度と彼女の顔が、まともに見られなくなりますよ?」

「……それも、そうだな」

 窓枠を拭いていた僕の回答に、デモス司教は納得してくれた。

「それなら、もう全員と結婚でもするしかないなあ」

「出来ませんよ、そんな事」

「……なぜだ?」

「なぜって……」

 僕とデモス司教は、同時に手を休めて相手の顔を不思議そうに見つめ合った。

「あ……そうか」

 やがて、デモス司教は何かに思い当たったらしく、そう呟いた。

「ユピテル国が一夫一妻制だから、封印の国も一夫一妻制に倣っているわけだな?」

 デモス司教は、そう僕に尋ねてきた。

「はい。……ユピテル国が……って、他の国では違うんですか?」

「俺の故郷の国は、違うな」

「へえ……」

「実際、俺は故郷に二人の妻がいるし……」

「ええっ!?」

 デモス司教の意外な告白に、僕は驚いた。

「……ええっ!? ……って、お前は俺を何だと思っていたんだ?」

 そう言いつつも、またもや思い当たる事があったのか、デモス司教は尋ねてくる。

「お前の元いた世界だと、神に仕える者は結婚を許されていないのか?」

「いや……そういうのも、あった気はしますが……どうなんでしょう?」

 元いた世界の宗教に、あまり詳しくない僕は、デモス司教に曖昧な答えを返してしまう。

「この世界では、どの時代の教典にも聖職者の結婚を禁じたり、一夫一婦制を原則とする様にとの教えは、無いな。創造神様や各時代の大司教にしてみれば……好きにしなさい……という事なんだろう」

 デモス司教は、そう説明してくれた。

「俺の場合は元聖騎士と元修道士だ。それぞれ子供も一人ずつ……息子と娘がいるよ」

 デモス司教は家族の事を想い出したのか、微かに笑って答えた。

 創造神教の修道士は、結婚が可能らしい。

 ──創造神が女性である事と何か関係があるのだろうか?

「……すみません」

「何がだ?」

「こんな辺境に一人で寄越される様な事をしてしまって……」

 僕は何だか急に申し訳なくなってしまった。

「気にするな。ユピテル国支部の教会に派遣されていた頃と、状況は大して変わらんよ……。それに子供と言っても、もうじき大人だ。独り立ちしたら二人の妻は、こちらに呼び寄せるつもりだ……」

「そうだったんですか?」

 デモス司教は少しだけ真面目な表情で答える。

「俺はもう、ここに骨を埋めるつもりで来た。お前と、この国の行方を見届けたくなってな」

 そう言って笑った。


「それにユピテル国でも多夫多妻制を導入しようと言う動きもある」

「そうなんですか?」

 ユピテル国の法律では一夫一婦制と決められている。

 だからシュリテ国王も伴侶は、御一人だけだ。

 国王だけ特別にハーレムを持っているという事も無いらしい。

 デモス司教の話は続く。

「元々、ガルスの様な金持ちが多くの女性を娶る様な貧富の差を無くす為の一夫一婦制だったんだが……アウロペなどでは高齢少子化が顕著になってきてな。出生率を上げる為に多夫多妻を導入しようか検討されている」

「へえ……」

「封印の国も人口が少ないから同様に検討してみる価値は、あると思うがな……。なんなら王様だけのハーレムでもいいんじゃないか?」

 ──僕だけのハーレム……。

 僕は、つい想像してしまったが、慌てて首を横に振る。

「多夫多妻制の導入は検討してみます。でも四人と一緒に結婚するのは、彼女達それぞれに後ろめたい気もしますし喧嘩にならないのでしょうか?」

「そりゃ、なる時もあるだろう。俺の奥さん達だって意見の食い違いから始める事もあるしな。二人で、やり合っている分にはいいが……二人掛かりで俺に来られると、先ず勝てない」

 ──僕の場合は、四人掛かりになるわけか……。

 僕は苦笑した。

「だが、そんな事くらいで決裂したりしないさ。お前は相手の気持ちを考えているのだろうが、それなら一人を選んだ場合の他の三人の気持ちも分かるだろう?」

「……だから、悩んでいるんです」

 デモス司教は雑巾掛けを再開しながら尋ねてくる。

「結局お前は、どうしたいんだ? どちらを選んでも不幸になると思うなら、自分の心の赴くままに選択した方が後悔も少ないだろう?」

 僕も掃除を再開する。

「全員の告白を受けるなんて……最悪みんなに愛想をつかされないかな? ……って思って……」

「そればかりは、やってみない事には分からないが……お前に愛想をつかしたら、彼女達は不幸になるのか?」

 目から鱗だった。

 誰か一人を選べば、三人は一時的にせよ哀しみに囚われるだろう。

 僕が四人に告白して受け入れて貰えれば、全員が幸せになれるかも知れない。

 四人に愛想をつかされたら、不幸になるのは僕だけで済む。

 ──でも僕は、その孤独な現実に耐えられるかな?

 自問自答してみた。

 その時にならないと、はっきりとした事は分からないけれど……もう海に飛び込みたいとは、思わないのかも知れない。

 孤独になったとしても……まだ、この世界で生きていたいと思うだろう。

 僕は四人に愛想をつかされる事を恐れて、本当の気持ちを胸の奥へと仕舞っていた。

 でも結局それは、自分の事しか考えていなかったのと同じ事なのかも知れない。

 そして同時に……相手の気持ちを考える事も大事だけれど、所詮人間は自分の望む通りにしか行動できないのかも知れない……と、思った。

 ──もう少し我が儘を言っても良いのだろうか?


 僕は腹を決めた。


「デモス司教、ありがとうごさいます。貴方に相談したら何だか、すっきりしました」

「そうか? 俺が相談事を拳以外で解決できたなんて、お前が初めてだよ」


 そう言って、デモス司教は笑った。

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