第三話

勅使河原くんとデモス司祭

 封印の国の春も終わり、夏を迎えようとしていた頃。


 大型の双胴船が、封印の国の港に到着した。

 防波堤の建設は、レギオンのおかげで難無く出来たけれど、現在この港に寄港できる船があるとすれば、この一隻だけだろう。

 船からはイアと乗組員達以外に、今日はデモス司祭と彼の部下達が、この封印の国へと降り立った。

「お久し振りです、デモス司祭! 封印の国へ、ようこそ! 歓迎します!」

 僕は手を差し出した。

「よう! デモス司祭以下数十名、今日から封印の国の『大浄化』の為、世話になるぜ?」

 デモス司祭は、そう告げると差し出した僕の手を強く握りしめてきた。


「しかし大浄化とは、上手い体裁の取り繕い方を思い付いたもんだな?」

 僕は取り敢えずデモス司祭に洞窟内の壁画を確認して貰う為に、一緒に縦穴のある崖へと向かっていた。

 マリアやレア、美恵とミランダさん、デモス司祭の部下数名も一緒だ。

「ええ、その為に新型船も開発しました。マリアに『対の門』で海を割って貰ったり、レギオンに海を渡らせて交易できれば楽なんですけど……魔姫が封印されているという建前がある以上は、おいそれと彼女達の力を見せびらかす訳にもいかないので……」

「あの船も相当にヤバい代物だったけどな……。帆が見当たらない船に乗れとか言われた時は、ぞっとしたぜ? しかも鉄で出来ているのに水に浮かんでいるんだからな……」


 この世界において封印の国の新型船以外で船は、木造しか存在しない。

 外洋は主に帆船が主流だ。

 風が無い時は、オールを使って人力で漕いで移動させる様な船が大半だ。

 この封印の国の周囲に流れる海流が速すぎる為に、その様な既存の木造の帆船では、大陸に辿り着く事さえ出来ない。

 新型船にはスクリューが、二つの船体に一つずつ取り付けられている。

 その推進力なら海流を問題無く超える事が出来るのだった。


 スクリューの動力は、イアが専用に作ったゴーレムを連結して造られたモーターから得られている。

 低速、中速、高速、逆転などの単純な回転運動をコアに記憶させているので、本来はイアがいなくても他の人でも操る事が可能なモーターだ。

 イアに新型船へ乗って貰っている理由は、何かあった場合に海底で並走させている百足型のレギオンで対処して貰う為だ。


 新型双胴船の船体には、金属が使用されている。

 精錬はドワーフの人達やレアに協力して貰って、美恵と一緒に試行錯誤しながら行った。

 そして加工は、コンバさん達ドワーフ族に手伝って貰った。

 船体の組み立ては、溶接を使わずにレアの精霊魔法を利用している。

 離れている合金同士を彼女の魔法で再び金属結合し直した。

 強度は金属の塊から削り出して加工する場合と、ほぼ変わらない。

 僕は第二の魔姫に関して『万物の支配者』という予言の言葉があった事から……レアの赤い左目には、水分子以外の物質もイメージとして見えるのではないか? ……と以前から考えていたので、実際に彼女に試して貰った所その通りの結果が得られた。

 彼女は金属原子などもイメージとして捉える事が出来て、その状態を変える事が可能だった。

 彼女の精霊魔法は、右目も合わせると応用範囲が広すぎる。

 レア自身や周囲にも危険が無い様に慎重に導いて行こうと決心し直した。


 デモス司祭達と雑談をしながら歩いて行くと、目的地である崖に着いた。

 今は干潮時なので縦穴の底は、砂地が見えている。

 外側の階段は修繕しており内側にも岩壁に沿って、ぐるりと螺旋階段を取り付けてあった。

 マリアの『対の門』を使わずに内側の螺旋階段を降りて、全員で壁画のある洞窟へと向かう。


「これが……?」

 デモス司祭は壁画を前にして驚きの表情をしていた。

「そうなんです」

 僕は肯定してデモス司祭の顔を見た。

 デモス司祭は涙を流していた。

 彼は壁画の前で片膝を地面に着いて、しゃがむと壁画に描かれた女神に祈りを捧げ始める。

 デモス司祭の部下達も彼の後ろに整然と並んで、同様に膝を着くと一斉にデモス司祭の行為に倣う。

 僕は、その光景に圧倒された。

 ──魔王の力は、神の手を人々から振り払う力……。

 ──それなら……どうして僕は、この光景を目にする事が出来ているのだろう?


 ──今なら分かる。


 神が人に手を差し伸べなくなっても、人は神に向かって手を伸ばす。

 ──それが人間なんだ。

 僕は自分の持つ力の事を考えると、少しだけ心が痛んだ。

 彼らが幾ら手を伸ばしても、もう神の手は人々の元へと降りては来ない。


 ──僕の力のせいで……。


 祈りを終えて立ち上がったデモス司祭に、僕は話し掛ける。

「それでは、もう一つだけ案内したい所があるので、一緒に付き合って貰えますか?」

 デモス司祭は頷いてくれた。


「これは……凄いな」

 僕が案内した建物の中に入ったデモス司祭は、僕の横で立ったまま溜め息を漏らした。

 ここは崖から遠くない場所に建てられた教会の中だ。

 僕は、この世界の教会に関して外観以外の知識が無かったので、コンバさんやミランダさん、村長さんの主導で建物の設計をして貰っていた。

 聖堂の入り口から正面奥の壁には、大きな絵が飾られてある。

 テミスに頼んで描いて貰った絵だ。

 彼女には洞窟の絵と、ほぼ同じ絵を描いて貰った。

 ……これで危険な洞窟まで足を運ぶ人は、いなくなる……そう思っていた。

「あの正面の絵は、みんなが喜んでくれたのですが……多少は減ったものの危険な洞窟に祈りに行く人達が途絶える事は、結局ありませんでした」

 ……考えが浅はかだった……と僕は、今にして思う。

「それは、仕方の無い事かも知れん……。だが、こちらはこちらで素晴らしい……」

 デモス司祭は、そう言って褒めてくれた。

「洞窟のある崖の周囲には、柵を設けて門を作り日中の干潮時以外に入れない様にする積もりです。門番を雇って入った人数と出る人数を確認する様にして、中に人が残る事のない様にします。いつまでも見張りを二十四時間付ける訳にも、いきませんからね」

 僕は洞窟の壁画へと祈りに来る人々を今後どの様に対処する方針なのかをデモス司祭に説明した。

「門番は、こちらの部下から交代で付けさせてくれ。あの洞窟の壁画は、その苦労をするだけの価値がある」

「ありがとうございます。助かります」

 デモス司祭の申し出を僕は、喜んで受け入れた。


「それで俺の役目は、この教会を中心として封印の国の人々に創造神様の教えを広めて、魔王の僕となった筈の彼らを『浄化』して人間に戻すこと……だな?」

「はい……魔王はホボス大司教によって封印されました。ここに住む人々は、浄化されて普通の人間に戻る事が出来た。そういう事にしたいんです」

 デモス司祭は苦笑いをする。

「広める必要も無いくらい敬虔な信徒ばかりだけどな? ここを訪れて、あの壁画を見たら、この国に魔王が平気で生きているなどと誰も信じないだろう」

 デモス司祭からの質問が続く。

「それで『浄化』が為された後は、どうするんだ?」

「希望者はユピテル国の元の生活に戻そうと思っています。完全に元の生活に戻れるという訳には、いかないでしょうが……」

 僕の答えに、デモス司祭は驚く。

「いいのか? ただでさえ少ない、この封印の国の人口が更に減るぞ?」

「移民を希望する人達を各地から募ろうと思っています。その為には封印の国が言われる程に危険では無い事を広く知ってもらう事と、移民希望者を国外から運ぶ手段が必要でした」

「その為の『浄化』と新型船か……」

 僕はデモス司祭に顔を向けて頷いた。


「だが俺達を呼んだ事に関しては、他にも目的があるんだろう?」

 僕はデモス司祭に対して身体ごと向き直る。

「人々には信仰が必要なのも勿論ですけど、神の奇跡も必要なんです」

「……神聖魔法か?」

 デモス司祭の問い掛けに、僕は頷いた。

「はい……レアの協力で新しく、ここで見つかった食材の毒の有り無しを調査していますが……それでも不測の事態は、起こり得ると思います」

 僕はレアを見る。

「解毒にしろ、治療にしろ……今は、数少ない医師とレアに頼り切りなのが実情なんです。その上レアには、造船を手伝って貰ったりもしている。僕は彼女の負担を、なるべく減らしてあげたいんです」

「なるほど……」

 デモス司祭は納得してくれた様だ。

 彼は僕に尋ねる。

「そして教会は、大陸にあって資源も豊富で発展していくであろう封印の国からの寄進を将来に渡って受け取っていける……と?」

「それだけでは、ありません」

 僕は印刷がされている一枚の小さな紙をデモス司祭の前に出した。

「これは?」

 彼は紙を手にとって眺めながら問う。

「硬貨の代わりになる物です」

 僕は努めて、にこやかに答える。

「僕の元いた世界の印刷技術……いいえ、封印の国の印刷技術は、この世界の中でもトップクラスです。この紙は現在の……この世界の技術では、恐らく複製不可能だと思われます。そして尚且つ素人でも判別し易い様に工夫されています」

「なるほどなあ……。事前にホボス大司教から、どの様な物か聞いてはいたが……」

 デモス司祭は紙に印刷された網目模様を確認する。

 網目模様は複数の色分けされた線によって構成されており、幾重にも互い違いに重なり合う様に印刷されている。

 通常の多色刷りでは、線が重なる部分に色同士が重なり合って別の色になってしまうが、この印刷は鮮やかに上に来る線の色だけがハッキリとしていて、しかも上下が互い違いに入れ替わる模様になっていた。

「透かしも入っています」

 デモス司祭は紙を陽の光に、かざした。

「きめ細やかで輪郭の、くっきりとした美しい透かしだ。確かに、これなら素人でも容易に判別できる」

 僕は手を差し出してデモス司祭から印刷紙を受け取ると、水の入った桶に入れて紙を揉んだ。

 取り出してデモス司祭に見てもらい、印刷が乱れたり色落ちしていない事を確認して貰う。

「これで雨の日でも安心です」

 僕はデモス司祭に微笑んで、そう言った。

「紙にも仕掛けが施してあります」

 そう言いながら僕は、手にした紙切れに磁石を寄せた。

 紙は磁石に吸い寄せられる様に、くっついてしまう。

「まるで魔法だな……」

 デモス司祭は感心してくれた。


 この異世界は、まだ希少金属を使った硬貨が主な通貨だった。

「硬貨は純度を下げたり、似ているが安価な金属を使ったり、鉛などの表面をメッキした偽物が出回り易いと聞きました」

「その通りだな」

 僕が以前に得た、この世界の事情に関する情報をデモス司祭は、肯定してくれた。

「この印刷紙を硬貨の代わりというか、より大きな額の取り引きで利用できる新たな教会発行の共通貨幣として採用して欲しいんです」

「複製が作れず判別もし易いなら確かに偽物は、出回りにくいだろうな。オマケに薄くて軽いから持ち運びにも便利だ。しかも丈夫と、きている。最終的な判断は、大司教がするだろうが……大きな問題は、今のところ見当たらないな」

 デモス司祭の感想に僕は、頷いて付け加える。

「しかも元は紙とインクですから、製造コストが安価です。この紙の貨幣……僕の元いた世界では、紙幣と呼んでいましたが……その価値を教会と各国の銀行が保障するのであれば、多くの人が利用してくれるに違いありません」

「保障とは?」

「ユピテル国の中央銀行から指定された枚数だけ紙幣を発行します。デモス司祭達には、僕らが発行する紙幣の枚数を監視して欲しいんです」

 僕は話を続ける。

「銀行の資産に合わせた発行枚数、教会による厳重な管理、それらが複製の作れない紙幣の信用を更に高めると同時に利用者に対する保障にもなります」

 デモス司祭は、少し考える。

「既にシュリテ王に根回しが済んでいるという事か……。分かった……現在のユピテル国の教会支部にいるホボスの後釜は、奴と俺の共通の知り合いだ。話を通しておこう……」

 僕はデモス司祭に御礼を込めて頷く。

「先ずはユピテル国で紙幣の流通に成功したいんです。紙幣の製造方法は、現時点では厳重に守っていますが……ゆくゆくはシュリテ国王に許可を頂いてアウロペにも造幣局を拡充したいと思っています」

 デモス司祭は唸った。

「事前にホボスから聞いてはいたが……医者や銀行の手伝いと、結構な忙しい仕事になりそうだ。本職の布教活動も手を抜けそうにないしな」

「よろしく、お願いします」

 僕はデモス司祭に向けて、お辞儀をした。

 顔だけ上げてデモス司祭を見詰める。

「それと……もう一つだけ、お願いがあります」


 僕は教会の外に出た。

 今度は中でミランダさんとデモス司祭が話し合っている。

 エルフ族やドワーフ族、人間の種族内での個々の揉め事は、三賢者で個別に対処するので……種族を超えた間での揉め事を教会に仲裁して欲しい。

 その為の相談をしている最中だ。

 レアも、その話合いに参加している。

 後で細かな部分を詰めた協議をコンバさんや村長さん、ヨアヒムさんを交えて行うので、今はミランダさんに任せて、僕は席を外した。

 マリアと美恵は、僕の後を付いてくる様に外に出た。

「それにしても、デモス司祭に協力を依頼する事になるなんて……」

 マリアは溜め息を吐いた。

「不満かい?」

 僕は彼女に尋ねる。

「だって、私達を殺そうとした人達ですよ?」

 周りに教会の人達がいない事を確認しながら、マリアは小声で話した。

 美恵も頷く。

「でも僕の命を救ってくれた恩人でもあるよ?」

「それは……そうなんですが……」

 僕は教会の方を見つめた。

「デモス司祭は敵に回すと怖いけど、味方について貰えれば頼もしい人だ。なら出来るだけ友達で、いて欲しい……そう思ったんだ」

「分からなくは無いわね」

 美恵が同意してくれる。

「封印の国の人達の感情も気にしたけれど、みんな教会が建てられる事には、基本的に賛成してくれた。ホボス大司教に断られたら、村長さんに神父をして貰おうかとは、思っていたけどね?」

 僕はマリアに微笑み掛ける。

 何かを想像したらしく彼女も吹き出していた。


「意外と、みんなの教会への怨恨が感じられなくて助かったよ。やっぱり神様って……信仰って奴は、人間にとって必要なものらしいね」

「そうですね」

 僕の言葉にマリアは、微笑んで同意してくれた。


「それに例のイベントも控えているからね? 本職の人に来て貰えて本当に嬉しいよ」


 僕は最後の御願いをデモス司祭が快諾してくれた事を思い出しながら、他の二人と一緒に静かに笑い合った。

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