勅使河原くんとミランダさん Ⅴ

「ひっく……ほんとに、ほんとに……ひっく……レアったら、酷いと……ひっく……思わないぃ?」

 ミランダさんは泣き上戸だった。

「昔は、ほんとおぉーにっ良い娘だったのに、成長して最近は生意気になって、何かと私と父親を……族長としてどうなのか? ……って比べて来るのよおぉ?」

「き、きっと父親がいなくて寂しい事への裏返しですよ?」

 正直言って面倒臭い。

「……寂しい? そう……そうよね……テミスだって口には出さないけど……特に、あの娘の場合は物心がついた頃には父親がいなかったし……でも……ひっく……でもね?」

 ミランダさんは鼻を啜りだした。

「わたしだって、寂しいんだからあぁーっ!」

 そして、わーんと子供みたいに泣き始める。

 僕はハンカチを取り出すと彼女の涙を拭いて、鼻に寄せる。

 ミランダさんは僕のハンカチで鼻をかんだ。

「……いで」

 そしてコップを僕に向かって突き出してくる。

「いや、あの、ミランダさん? もう、これくらいで止めた方が……?」

「注いでっ!」

 ミランダさんは目が据わったままで、僕に有無を言わさない感じで命令する。

 僕は心の中で、そっと溜め息をつくと、水筒の中の葡萄酒を彼女のコップに注いだ。

 ミランダさんは、ぐいーっと一気に飲み干すと、バターピーナッツを摘んでポリポリとかじって食べた。

「本当に最近のレアったら酷いわ。私の事を消極的だの臆病者だの卑怯だの……私だって、そりゃあ助けられるなら全員を助けてみたいわよ……。村長さんに向かって、あんな事なんて言いたくなかったわよ……」

 ──ミランダさん……今度は怒り出しちゃった。

 僕は簡易コンロで沸かした、お茶を自分のコップに注いだ。

「テッシーくんの為なら自分の精霊魔法で教会軍を相手に戦ってみせるとか……最近ちょっとばかり魔法を、ちゃんと使える様になったからって……今迄その魔法のせいで誰が、一番苦労して気を揉んでいたと思っているのよ……」

 僕は、ふうふうと息を吹きかけながらコップの中の、お茶を冷ました。

「……少し前まで子供だと思っていたのに……好きな男が出来ると、ああも変わるものなのかしら?」

 僕は、ゆっくりと、お茶を飲む。

 ミランダさんは、そんな僕をジーッと見つめてきた。


「テッシーくんは、もうレアと◯ックスしたの?」


 ぶばっ!


 僕は山小屋の玄関に向けて口の中の、お茶を思いっ切り噴いた。

「ななななななな?」

 ──いきなり、何を尋ねてくるんだ?

 ──いや待て?

 ──聡明で美しいミランダさんが、酔っ払ったとはいえ、こんな事を訊いてくるなんて、おかしいぞ?

 ──僕の聞き間違いかもしれない……。


靴下ソックス?」

 僕は尋ね返してみた。


「やあねえ、セッ◯スよ? セック◯!」

 ──聞き間違いじゃ無かった。

 ミランダさんは何が楽しいのかケラケラと笑っている。

「しているわけ無いじゃないですかっ!?」

 僕は少し大きめの声で否定した。

「あら?」

 ミランダさんは何故か意外そうな顔をする。

「親の欲目だったのかしら? 御免なさいね? てっきりレアだとばかり……」

 ──いったい何が、てっきりなのだろう?

「それじゃ、やっぱりマリアちゃんとしているの?」

 何が、やっぱりなのかは、さっぱり僕には分からなかったけれど……取り敢えず首を横に振った。

 ミランダさんが少しの間だけ沈黙する。

「あ、そうか!」

 彼女は手を打った。

「ミエさんね? 元の世界からの付き合いだって聞いていたし……彼女としているのね?」

 僕は再び首を横に振った。

「まさかと思うけど……イアちゃん?」

 何が、まさかなのか分からないけど、僕は三度みたび首を横に振った。


 ミランダさんは僕の事を珍獣を見る様な目で見つめてきた。


「もしかして、テッシーくんってイン……」

「違います」

 僕は彼女に最後まで言わせない様に否定した。

「じゃ、同性の方が好きなの?」

「なんで、そうなるんですか?」

 ──まさか異世界のエルフにまで、腐女子の素質があるんじゃなかろうな?

 僕は、そんな事を考えてしまった。

「もしかして経験が無いの?」

 ミランダさんは直球で聞いてきた。

「……僕の元いた世界では、同年代では別に珍しくない事です」

 ──多分。

「へえぇ……そうなんだあぁ……」

 ミランダさんは何故か感心した様に溜め息を吐いた。

 ──その、そうなんだあぁは、どっちに対しての言葉なんだろう?

 僕の元いた世界の事情に対する言葉なのか、僕が未経験である事に対してなのか?

 僕には分からなかった。

「まあヨアヒムもテミスとは、つい最近だったみたいだし……こっちの世界でも今の子は、そうなのかもね……」

 ミランダさんの生々しい確定情報を聞いて、僕は顔を赤くしてしまった。

「でも溜まったらテッシーくんは、どうしてるの?」

「……そんな事、言える訳無いじゃないですか?」

「あ、処理はしてるのね?」

 誘導尋問に引っ掛かってしまった。

「ふーん……やる事は、やってるんだ?」

 そう言いながらミランダさんは、ニヤニヤしながら僕を舐める様に眺めた。

 ──駄目だ、この酔っ払い……。

 ──早く寝かし付けないと……。


「でも不思議ねえ……私から言うのも何だけど娘も含めて、あんなに魅力的な女の子達に囲まれて、何も手を出さなかったなんて……」

「別に何も無かった訳じゃ……」

 言ってから僕は……しまった……と思った。

 ミランダさんは目を大きく見開くと、瞳を輝かせながら四つん這いになって、僕の方へと簡易コンロを避けて回って来た。

「なになに? 何があったの? お姉さんに聞かせて!?」

 喜色満面きしょくまんめんの笑みを浮かべて顔を寄せてくるミランダさんの吐息は、甘くて……酒臭かった……。


 ──数分後……。

「あははははははははははははははは!」

 バンバンバンバンっ! と、山小屋の床を思いっきり手で叩きながら笑い転げるミランダさんの姿が、そこにはあった。

「よ、四人とも部屋で待たせておいて……じ、自分は、うっかり寝てしまっただなんて……!? ひーひっひっひっひ!」


 ──異世界に来て……。

 ──憧れの美しいエルフと出会い……。

 ──自分の生涯の中で一番に最悪だった失敗談を、そのエルフの女性に大きな声で笑われている……。

 ──お家に帰りたい……。


「あー面白かった! テッシーくん、いいわあ! 最高の、おつまみだったわよ?」

 ミランダさんは笑い涙を指で拭いながら、そうコメントしてくれた。

 僕は、とても恥ずかしくて、全身が真っ赤になっていた。


 ──でも、ある意味でミランダさんが、酔っ払っていてくれて助かったかもしれない……。

 ──素面しらふだったら、きっと御説教されていたに違いないから……。


「でも馬鹿ねえ……そういう時は四人とも自分の部屋に呼んで身体の相性で選べば良かったのよ」

 ──すっごい事を言うな……この人……。


「しかし、まあ……母親としては、そこはレアを選んで欲しかった所ではあるわね……」

 ミランダさんは優しそうな顔をして、とんでもない事を言った。

「ミランダさんは……僕がレアと、そうなっても認めてくれるんですか?」

「テッシーくんが、ちゃんとレアに対して責任を取ってくれればね? 私、結構あなたの事が気に入っているのよ?」

 ミランダさんは僕の問いに、割と真面目で重い返答をした。

「責任ですか?」

「そうよ……」

 僕の訊き返しにミランダさんは、目を細めて肯定する。

「例えば……?」

「そうね……例えば……」

 ミランダさんは少しだけ考えると、呟く様に言う。

「……結婚して、ずっと一緒に生きて、そして共に死ぬまで離れないでいてくれる事……かな?」

 彼女は寂しそうな表情を僕に見せた。

「人間とエルフだと難しくありませんか?」

「……そうね。エルフとエルフだって難しいのにね……」

 ──あ、そうか……。

 僕は、ここに至って、ようやくミランダさんの言いたい事と彼女の表情の意味を悟った。

 ミランダさんは片手のコップを持て余す様に揺らしている。

 僕は空になっていた彼女のコップに黙って葡萄酒を注いだ。

「……ありがと」

 ミランダさんは僕に御礼を言うと、静かに葡萄酒を呑んだ。


「ふふふ……テッシーくんには美味しい、おつまみを二つも貰っちゃったから、何か御褒美ごほうびをあげないとね?」

 美味しい、おつまみとは……ひとつはバターピーナッツの事だろう。

 ──もう一つは、僕の恥ずかしい失敗談の事だろうな……。

 ──とほほ……。


「何が、いいかしら……?」

 ミランダさんは天井を見上げて、人差し指を顎にあてて考える。

「……そうだわ!」

 何かが彼女の中で決まったらしい。

 ミランダさんは悪戯いたずらっ子の様な顔をして微笑むと、僕の方を向いて問い掛けてきた。

「ねえ、テッシーくん?」

 ミランダさんの僕の名前を呼ぶ声は、つやっぽくて……その唇は甘くささやく様に震えていた。


「女の人を知りたくは……なあい?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る