勅使河原くんとミランダさん Ⅳ
僕達がエルフの森を旅立ってから三日が過ぎようとしていた。
目的地である島が見える南の浜辺までは、後半分といった所だ。
僕は追撃を躱しつつの困難な道程になると思っていた。
だが実際は意外とルーチンワークな逃避行だった。
道の途中で川があって橋があれば、僕達が渡りきった後で必ずペイルかレギオンで破壊した。
それでホボス司教達の教会軍の足止めには十分だった。
そして、野営をしている彼等の場所にペイルで高空から奇襲を掛けて、美恵の力を使って彼等の馬を操り混乱させた。
もちろんペイルにも美恵にも十分な防御の装備を着けて貰っている。
人間用の鎧や盾をコンバさんに金槌で叩いて伸ばして貰って、急所を守る様に取り付けただけだが、ペイルは気に入ってくれたと、美恵は言っていた。
ちょうど今、もうじき日が沈みそうな時刻に、美恵はペイルの首に跨がって教会軍の野営地に奇襲を掛けている。
馬の嘶く声と兵士達の怒号が、こちらにも聞こえてきた。
僕はミランダさんと一緒にしゃがみながら、野営地とは川と壊れた橋を挟んで離れた丘の上で、その様子を観察していた。
「どうやら上手くいったみたいですね?」
「そうね……。本当にイアちゃんとミエさんには、助けて貰っているわ。彼女達の力が無ければ、こう易々と追撃の手を止められなかったでしょうね……」
やがてペイルは、美恵を乗せたままで翼をはためかせると、上空へ高く舞い上がった。
そして僕らの方へと向かってくる。
……おいおい。
美恵は僕らに手を振りながら頭上の空を通り過ぎて、味方のいる野営地に向かってペイルと共に飛んで行った。
僕は頭を抱えた。
「どうしたの?」
ミランダさんが僕に尋ねる。
「美恵には決して僕らの頭上は通るなと伝えてあったんです。敵に観測者の位置を知らせる様なものだと……」
「……橋は壊してあるし、敵は混乱の最中だから大丈夫じゃない?」
僕の返事にミランダさんは、楽観的な問い掛けを投げ返す。
「……それは、その通りかもしれませんが……念の為に一刻も早く、ここを離れましょう……」
そう言いながら僕は、今一度だけ敵の野営地の様子を確認する。
瞬間、向こう側から何かが光ったのが見えた。
「危ない!」
僕は反射的にミランダさんを後ろへ突き飛ばす。
そして右上腕の辺りに激痛が走った。
少しだけ振り返った僕の右腕に矢が一本だけ、骨からは外れながらも貫通していた。
──弓で狙撃されたんだ。
僕は意識が遠のく事を自覚した。
──まさか、また毒?
そして、そのまま僕は気絶してしまった。
──なんだか暖かいなあ……。
僕は目が覚めた。
右側から眩しさを感じて目を開ける。
眼鏡が外れていたので、周りが良く見えない。
でも、どうやら何かの木造建築物の床の上で寝かされていた様だ。
横になったままで首を回して右側を見る。
火の点いた固形物の入った簡易コンロらしき物と、その向こうに何やら肌色の人の形をしたものが見えた。
ふと胸に重みを感じる。
手で探ると、そこには眼鏡があった。
僕は眼鏡を掛けて起き上がると人型を見た。
「きゃっ!?」
上半身が素っ裸のミランダさんが、タオルで汗を拭いていた。
「すすすすすすすす、すいませーん!」
僕は慌ててミランダさんに背を向けて正座をする。
「き、気が付いたのね? ごめんなさい……。汗を拭いて着替え終わるまで、少し待っていてね?」
ゴシゴシという、タオルで身体を擦る音が聞こえる。
ミランダさんは後ろ姿だったけど、腕を挙げて脇を拭いていたせいか、はっきりと膨らみが見えてしまった。
──今、そこを拭いているんだ……。
僕は、どうしようもなくドキドキしてしまった。
やがて服を着るような、衣擦れの音がしてくる。
「はい、もういいわよ? ごめんね、待たせちゃって?」
僕は、ゆっくりと、ぎこちなくミランダさんの方へと向き直った。
彼女は色が白いけどイアも着ている様な袖無しの生地厚めのタンクトップみたいな服を着ていた。
大事な部分が浮き出てこそいないが谷間が、はっきりと分かる。
僕は先程と変わらない気恥ずかしさを感じていた。
「右腕の怪我は大丈夫?」
ミランダさんは僕に、そう尋ねてきた。
僕は、そう言われてから思い出した程に、右腕の痛みは特に感じなかった。
見れば僕の右腕には包帯が巻かれていて、僕自身も上半身が裸だった。
僕は真っ赤になって、とりあえず自分のシャツを着た。
「……大丈夫です」
「あはは、ごめんね? でも今回は、おあいこでしょう?」
ミランダさんは、そう言って笑った。
「……毒じゃ無かったんですね?」
僕は心の底からホッとした。
「流石に教会軍だから、そんなホブゴブリンみたいに
ミランダさんは何かを飲みながら答えた。
「そっか……僕はショックで気絶してしまっただけだったんだ……」
なんだか僕は、急に恥ずかしくなってしまった。
「貴方を背負って行ったら、馬の置いてあった場所に着く頃には夜になっちゃってね。直ぐ近くに、しばらく使われていなさそうな山小屋があったから、ここに入って貴方の治療を優先しようと思ったのよ」
ミランダさんは何かを飲みながら教えてくれた。
「すみません、ありがとうございます」
「教会軍の足止めは、後一日くらい保つと思うから……明け方には、みんなの所に戻りましょう? きっと心配しているわ……。危険な夜に捜索隊を出すような愚は、コンバやヨアヒムがいる限りは、しないと思うけどね?」
ミランダさんは何かを飲みながら提案してくれた。
──なんか、アルコール臭いぞ?
「ミランダさん? もしかして、お酒を呑んでます?」
「まあね……」
ミランダさんは頬を紅くして肯定した。
「こんな状況でと思うでしょうけど……とんでもない逃亡生活に入ってしまって、正直言って……最近は呑まなきゃ、やっていられなくて……」
ミランダさんは遠い目をしていた。
「……すみません」
僕は責任を感じて謝罪した。
「あ……ごめんね? 君のことは責めないってマリアちゃんと約束した筈だったのに……。まあ、お姉さんの軽い愚痴だとでも思って聞き流してよ?」
──お姉さん?
「なにか文句が、あるの?」
僕の微妙な表情の変化で察したミランダさんが、少し怒った声で詰問してきた。
「ございません」
僕は即答した。
「マリアで思い出したんですけど、どうして彼女の占いで、これからの重要な行動を決めようと思ったんですか?」
ミランダさんは少しだけ目を細めた。
「昔ね……レアを生んだ後で彼女の目の色で悩んだ時があったの……。それで主人の勧めでエンダの羅針盤を紹介されてね……」
「エンダの羅針盤?」
「マリアちゃんの、お祖母様の
「そんなに凄かったんですか?」
「ええ……」
ミランダさんは、また一つ、お酒に口をつける。
「でも当時の私は、そんなこと半信半疑だった……。それなのにエンダの村へとレアを連れてマリアちゃんのお祖母様を訪ねたら、彼女はレアの頭を撫でて……大丈夫、この娘は良い子に育つ……と言ってくれたのよ」
ミランダさんは溜め息を漏らした。
「不思議だったわ……。何一つ占いらしい事は、していなかったのに……彼女に言われただけで、とても安心できたわ。レアは本当に素直な良い娘に育ってくれて……私と何度もエンダの村へ行く度に、マリアちゃんとも徐々に仲良しになれて……」
楽しそうに思い出して微笑むミランダさんを見て、僕も嬉しくなってしまった。
「でも更に……レアが精霊魔法を上手く使えない事が分かると、私は本格的に絶望してしまったわ……。何度あの娘と一緒に……」
そこで言葉を途切れさせたミランダさんの表情に、強い
「もう、その頃には主人を
ミランダさんは涙ぐんでいた。
「でもね? いい加減に精神的にも限界だった私は、またレアを連れて、エンダの羅針盤を訪ねたわ。何故か彼女は、その時に限って何も訊かず、何も言わずに、先ずは水晶玉で占ってくれたの……」
ミランダさんは僕を見詰めてくる。
「……いずれレアにとって大切な人が、彼女の前に現れて精霊魔法の導き手となる……彼女は、そう教えてくれたわ」
僕は自分の顔を指差した。
ミランダさんは小さく頷く。
「それからの私は、その予言に
ミランダさんは僕を見た。
「テッシーくんがレアに、もう少し早く出会っていたなら……貴方を族長候補に推したかも知れないわね……」
また一口お酒を呑んで、ミランダさんは微笑んだ。
「でも、まさか……魔王と魔姫と呼ばれる存在になってしまったなんてね……」
急にミランダさんの目が据わった。
僕は居心地が悪くなってしまう。
「ヨアヒムさんが族長になる予定は、いつ頃なんですか?」
空気を変えようと思った僕の何気ない質問で、ミランダさんのコップを持つ右手が止まった。
──気のせいか、ミランダさんの右手が微かに震えている様な?
「……来月にもテミスと結婚式を挙げて、そのまま族長を引き継いで貰うつもりだったのよ……?」
彼女はジト目で僕を睨んだ。
やぶ蛇だった。
「本当に済みませんでした」
僕はミランダさんに土下座をしていた。
「ふん!」
ミランダさんは頬を膨らませて、そっぽを向く。
なんとなく……レアに似ているな? ……と、僕は思った。
「許さないわ」
ミランダさんは怒ってしまった。
「どうすれば、いいんですか?」
僕は今きっと、情け無い顔をしてミランダさんを見ているに違いない。
「おつまみを用意して!」
──はい?
僕は荷物入れから非常食のピーナッツと、パンに塗る為のバターを包んだ紙と、小さなフライパンを取り出した。
簡易コンロの上にフライパンを乗せて、バターを入れて溶かす。
そしてピーナッツを入れると、軽く炒めた。
出来上がった物を紙の上に置いて、油を吸わせて少しだけ冷ます。
「熱いから気を付けて食べて下さいね?」
僕が伝えると、ミランダさんは興味深そうに出来立てのバターピーナッツを口へと運んだ。
「おーいしーい! テッシーくん、これ、とっても美味しいわ!」
──良かった、喜んで貰えた。
僕はミランダさんの機嫌が直って一安心できた。
「うふふ……テッシーくんの作った美味しい、おつまみで益々お酒が進んじゃいそう……」
ミランダさんは、とっても嬉しそうに呑みながら、僕を見て褒めてくれた。
「ははは……程々で、お願いしますよ?」
僕も美味しそうに自分の作ったバターピーナッツを摘んでくれるミランダさんを見るのは、とても楽しかった。
だけど……まだ僕は、この時には気付いていなかったのだ。
この二人の台詞が、恐ろしいフラグを立たせていた事に……。
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