第四話

勅使河原くんと最後の魔姫 Ⅰ

 僕は子供の頃の夢を見ていた。

 夢の中では子供の頃の美恵が、僕を見て泣いていた。

 …泣いて謝るくらいなら、こんな工事現場で遊ぼうなんて言わなきゃ良かったのに…。

 …一応、僕は危ないから、やめようって言ったじゃないか…。

 …結局は付き合ったけどさ…。

 僕は彼女の瞳を見た。

 涙が溢れて目の下の黒子ほくろを伝って流れ落ちている。

 実際に子供の頃にあった出来事だ。

 工事現場に積まれた砂利じゃりの山に登った彼女は、誤って滑り落ちてしまった。

 僕は勢いよく転がって来た彼女を下で受け止め様としたけれど出来なかった。

 僕を下敷きにして美恵は、何とか大きなケガをしなくて済んだ。

 代わりに僕がケガをする羽目になった。

 受け止め切れずに倒れた僕の左上腕に、放置された板に打たれた太い釘が、刺さった。

 血が出て来て、夢の中なのにリアルな痛みが走る。

 僕は傷口を抑えて痛みに耐えた。

 泣いていた美恵が立ち上がる。

 この後で彼女は、大人達を呼んで来てくれた筈だ。

 病院に運ばれ治療して貰った僕は、彼女と一緒に、とても怒られた憶えがある。


 しかし夢の続きは、記憶の通りにはならなかった。

 立ち上がった彼女の姿は、僕と同じ高校二年生の美恵へと変わる。

 僕と違って視力の良かった彼女は、眼鏡を掛けていなかった。

 高校生になっても美恵の目の近くにある泣き黒子は、はっきりと確認できる。

 でも、もう彼女は泣いてなどいなかった。

 むしろ虚ろな瞳になっている。

 制服姿のままで彼女は、後ろを向くと僕の元から去って行く。

 腰まで届きそうなくらい長いストレートの黒髪が、印象的だった。

 彼女の進む先には、闇が拡がっていた。

 僕は横たわったまま腕を抑えながら、あらん限りの声を振り絞って彼女の名前を呼び、静止の言葉を掛ける。

 …美恵!止まれ!

 …行っちゃ駄目だ!

 …そっちはマズいんだ!

 自分でも何がマズいのか分からなかった。

 ほとんど直感の様なものだ。

 しかし彼女は気付かないかの様に、そのまま歩いて行くと闇に呑まれ様とした。

 その時だった。

 黒い泡の様な球体が、彼女を包み込んだ。

 闇は泡の中に入れない様子だった。

 そして、彼女は…。


「テシ!おい!テシ!」

 イアに呼び掛けられながら揺り動かされて、僕は目が覚めた。

「…あ?ああ、おはよう?」

「おはよー、じゃねぇよ?…随分と、うなされていたみたいだけど…大丈夫か?」

 どうやら御者であるイアの隣で眠ってしまったらしい。

 小さなゴーレム達が席と僕を掴んで繋いで落ちない様に支えてくれていた。

 ちょっとしたシートベルトみたいだ。

 ドワーフ国の王室御用達の馬車は、揺れが少なくて済むような工夫が随所に見られる。

 車輪なども木製では無く鉄製で、輪は二重構造になっている。

 外側の輪と内側の輪の間には丸めた板バネが十数個以上も、ぐるっと円形に挟まれていた。

 これらがクッションというかタイヤ内の空気の様な効果をもたらしてくれている。

 ゴーレムで組まれた馬の操縦もイアは、とても上手くて丁度良い速度で静かにノンビリと走っていた。

 街道の乗り合い馬車と違って、揺れも少なく心地良かった。

 天気も良くて、疲れが溜まっていたせいか僕は、うっかりと眠り込んでしまった様だ

 しかし悪夢を見てしまったせいか、全身が汗だくになってしまっている。

 僕は服のボタンを外して襟を緩めて鎖骨の辺りをハンカチで拭いた。

 そして袖を捲ると左手を挙げて腕の汗も拭き取る。

「テシ…そんな所に傷があるんだな?」

 僕はイアの視線を目で追った。

 左上腕の内側に大きな釘が刺さってケガをした時の傷跡が見えた。

 普段、腕を下げている時には、脇と腕の間に隠れて見えづらい位置にある。

「ああ…これ?」

 僕はイアに何と言おうか少し考えた。

「男の勲章かな?」

 そう言ってキメ顔をして傷を見せつけると、二人で笑い合った。


「何か、ありましたか?」

 馬車の前方の窓を開けて、レアが瞼を擦りながら僕らに声を掛けて来た。

 どうやら彼女も眠っていた様だ。

「ああ、僕の…。」

 そこまで言い掛けて僕は、黙ってしまった。

 後ろを振り向いた僕の視界にある馬車の更に遠くに、とても大きな山が見えたからだ。

 かなり尖った槍ヶ岳みたいな峰なのに、富士山の様にポツンと一つだけ目立っていた。

「…凄い大きな山だね。」

「え?」

 レアは馬車の横にある扉の窓から確認してくれた。

「ああ…あれは竜神様の御山ですわ。」

「へえ、そう言う名前の山なんだ…。」

 僕が言うと、今度はイアが吹き出した。

「ははは。まあ山の名前だと云うのも合ってはいるんだけど…テシは多分、勘違いをしてるよ?あそこには正真正銘、竜神様が住んでらっしゃるのさ。」

 …ええっ?!

「本当に?」

「ふわぁ…あ…ええ、本当です。」

 次に、やっぱり眠っていたのか、マリアが欠伸あくびをしながら答えてくれた。

「もちろん私達は三人とも、お会いした事はありませんが…。ユピテル国の王様は代々…戴冠なされると必ず竜神様の住む頂上へと御報告に赴かなければならない決まり事があるんです。」

 マリアは両手で自分の頬を叩きながら教えてくれた。

「滅多にはありませんけれども、時々はアウロペにも降りて来られるそうですよ?母が若い頃の留学中に、お見掛けした事があるらしくて…わたくしも母が言う事ならと信じています。」

 レアが山を見ながら言った。

「オレの親父も先代のユピテル国王と自治権を賭けて戦争をしてた頃に、よく竜神様に仲裁に入られたって自慢してたなぁ…。」

 …へ、へえ〜?

 僕はコンバ陛下の意外な過去を知らされた。

「ま、今の穏健派のシュリテ国王になってからは、退屈だけど良い関係でいさせて貰ってるってさ。」

 イアは、そう言うと笑顔になりながら続きを話してくれる。

「嘘か本当か知らないけれど何でも創造神様が、この世界を創られた以前から創造神様の無二の親友だったらしいぜ?もっとも神に近い存在が、あそこに住んでらっしゃる竜神様なのさ…。」

 イアが馬車を走らせながら軽く溜息をついた。

「私達の社会には、余り深く関わりたく無いと仰っているそうですけどね。」

 マリアは、そう言うとシャキッとした瞳で僕を見て微笑んだ。


「見えてきたぜ?あれが首都アウロペだ。」

 後ろの山ばかり見ていた僕は、前に向き直る。

 こちらも巨大な煉瓦造りの街の外壁が見えて来た。

 中央らしき場所には大きくて綺麗で立派な宮殿も見える。


 ここに僕が元いた世界に戻れる可能性がある。

 でも僕は今直ぐに帰りたくは無くなってしまっていた。

 もちろん、家族に無事を知らせたい気持ちは、十分過ぎる程にある。

 美恵にも会って話がしたかった。

 でも…。


 僕はマリアとレアとイアを見る。

 たった数日の出来事なのに僕には、ここに残りたいと思える様な想い出が出来てしまった。


 僕は、ちゃんと答えが出せるのだろうか?


 僕の出す答えなど待たないと言っているかの様に、外壁の門が僕を呑み込むかの如く開いていった。

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